コロナの方は東京の方でもやや希望が見えてきた。
日本は憲法第九条で戦争を放棄しているから、生物兵器の研究はもとよりできない。ならば生物兵器に対する防御の研究はというと、基本的に生物兵器そのものが研究できないのだから、それへの対策も研究できない。
これがコロナ下で国産ワクチンの開発の大きな障害になったのは間違いない。そればかりでなく、基本的にウィルス対策に国家は何もできない。PCR検査の技術者も養成してこなかったし、ワクチン接種も自治体にゆだねられている。
こんなことになるなら、加計学園にでもこっそりと生物兵器の研究施設でも作っておけばよかったんだ。そんな日本の映画があったけどね。生物兵器が研究されていれば、当然ながらその防御は並行して研究される。当然だ。味方がやられてしまうような兵器は作れない。
ワクチンに関しても最新の技術が研究されたはずだ。それがあればいち早く国産ワクチンが作れただろう。基礎研究が完成していれば、あとは治験だけで、一年で実用化できただろう。
今の日本は異世界に喩えるなら、魔王軍が攻めてきているのに勇者の暴力は禁止、民衆もあくまで非暴力で抵抗しなくてはならない。そして人権派の人たちはこう言う。「人間は今までさんざん悪いことをしてたから、魔族に滅ぼされても、奴隷にされても文句は言えないんだ」と。そんな状態だ。
日本だけでないかもしれない。今の世界は抵抗権と民族自決権を封印しようとしている。これがあっては世界を一つにできないというのだろう。裏を返せば世界征服ができない、ということだ。
それでは『三冊子』の続き
「或二三子、俳諧にしほこりて、哥仙二三巻、老翁に點を乞ふ。師是をうけず。再三の後その人に對していはく、皆秀作也。しかれども、我おもふ所に非ず。しゐてとらんとせば、是彼の内、此二三やり句と捨られし物や取侍らんと也。その人猶思ひやまずして、終に老師の門に入となり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.139)
誰とは書いてないが、土芳自身のことかもしれない。
土芳のことだとしたら、貞享二年、『野ざらし紀行』の旅の時で、談林・天和の風の俳諧を芭蕉に見せたのだろう。『冬の日』の五歌仙に手ごたえを得た芭蕉は古典回帰への道を歩んでた頃なら、談林調の笑いではなく、二三ある遣り句を取るということは十分ありうる。
「師の曰、句は天下の人にかなへる事はやすし。一人二人にかなゆる事かたし。人のためになす事に侍らばなしよからんと、たはれの詞なり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.139~140)
今の文学を見ればわかることだ。ラノベや大衆小説は作品数も発行部数も多く、アニメ化や映画化への道も開かれて、グッズの売り上げなども含めれば巨大な市場を形成している。これに対して純文学で賞を取るのはほんの一握り作者にすぎないし、賞を取ったからどうこうというものでもない。
つまり大衆に受ける作品を書く方がはるかに簡単であり、過去の権威に認められるようなものを書くのははるかに難しい。だったら審査員の顔色伺うよりも大衆向けのものを書いた方がいいではないか。
俳諧も点取ることを考えるより、多くの人に気に入られる句を詠むことを考えた方がいい。そうはいいながらもみんな点者に気に入られようと一生懸命になっているのは、今の俳句も何一つ変わらない。
「師のいはく、俳諧におもふ所あり。能書の物書るやうに行むとすれば、初心道をそこなふ所ありといへり。いかなる所ぞととへども、しがじかともこたへ給はず。
其後句を心得見るに、くつろぎ一位有、高く位に乗じて自由をふるはんと根ざしたる詞ならんか。末弟の迷ひて道をおろそかにせん事を、なにかに付て心にこめてつゝしみのことば也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.140)
俳諧に限らず解説書や入門書には頼らない方がいいというのは今でも言える。自分がこういう句を詠みたいという強力な初期衝動を持ち続けない限り、本を読でこういう句を詠めばいい、こういうふうに読んだ方が良い、とか書かれていると、何となくその気になって、自分が本当にやりたかったことを忘れてしまうものだ。
基本的には自分の好きなものを真似るというのが一番の近道だ。『去来抄』「修行教」にも、
「去来曰、俳諧の修行者は、己が好たる風の、先達の句を一筋に尊み学びて、一句一句に不審を起し難をかまふべからず。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.66)
と記されている。
「くつろぎ一位有」はある程度極めて余裕が出てきて、という意味だろう。そうなってみると芭蕉が何で「初心道をそこなふ」と言ったのかわかったという。
句は誰のために詠むのかというと、解説者や評論化を喜ばせるために詠むのではない。みんなを楽しませるために詠むんだと、そこを間違えると何がやりたいのか結局わからなくなってしまうものだ。師匠も自分の気に入る句を詠むのではなく、みんなが喜ぶ句を詠んでくれることを望んでいる。そのためには今までの常識をひっくり返すような、「底を抜く」ことをやってほしいと思っている。
「師の曰、其角は同席に連るに、一座の興にいる句をいひ出て、人々いつとても感ず。師は一座その事なし。後の人のいへる句はある事も有と也。さもあるべき事也。云く、座によりて一座の人にとれて句をそこなふ事あり。門人常に心得べし。其角は生質としてこゝに居らずと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.140)
「生質」は性質と同じ。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「性質・生質」の解説」に、
「① 生まれつきのたち。もって生まれた気質。ひととなり。天性。資性。
※地蔵菩薩霊験記(16C後)六「生質(セイシツ)横逆にして終に仏法の名字だも聞くことなし」
※今弁慶(1891)〈江見水蔭〉二「何は兎もあれ此儘に、見て居られぬが我性質(セイシツ)」 〔新唐書‐柳公綽伝〕
② 生まれながらの姿、形。生まれたときからの身体の様子。
※地蔵菩薩霊験記(16C後)一四「形短くして、甚だ醜き生質(セイシツ)なりしが」
とある。
其角は「空気が読める」ということなのだろう。同座人の顔ぶれを見ながら、その人たちの気に入るような句をさっと言い出すことができるが、芭蕉は相手に関係なく後になって書物にしたとき読者が喜ぶような句を付ける。だからその場で笑いを取れなくても、後になってあれってああいう意味だったんですか、みたいに言われることもあったのだろう。
その場で受けても、後になって何で面白かったのかという句もある。まあ、空気を読みすぎて自分を殺す(ここに居らず)ことのないようにという注意だろう。
「又いはく、一とせ對面の始いひ出られ侍るは、俳諧能過たり。碁ならば二三目跡へ戻してすべしと示されし也。面白教也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.140)
以前に対面した時に言ったことは言い過ぎだった、碁ならば、というわけだが、「二三目跡へ戻して」は相手に二、三目置かせてということか。
人に教える時の注意だろう。
「ある時、心見に哥仙一巻四唫して送侍れば、我おもふ所よく見知侍る也。此上いふ所なし。猶秀物は時の仕合、機嫌をうかゞひ、千變万化口の外より感ずべし。氣變に任すべしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.140)
土芳の送った歌仙一巻が高評価を得たようだが、歌仙の出来不出来はその時の偶然に左右されるもので、同じようなものがまた作れるという保証もない。その時その時の連衆の調子、雰囲気などに左右されるため、良い流れができたならそれに逆らわないことが大事だ。
どこかスポーツで言う「勝負は時の運」というのに似ている。
「諸集のうち聞がたき句あるよしをたづね侍れば、師のいはく、故ある句は格別の事也。さもなくて聞得ざると有は、聞へぬ句と思ふべし。聞へぬ句多しと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.141)
わからない句があったので聞いたら、何か特別な事情がある句でないならそれは「聞へぬ句」で、駄目な句だと思っていいということだ。
近代だと読者の想像力の不足や勉強不足が指摘されそうだが、実際の所普通の人が読んでみんなわからないような句なら、強いて理解しようと努める必要はない。
まあ、歴史的研究で、こうやって昔の句の意味を探るなら、理解しようと努めなくてはならないし、そこには謎解きの面白さもあるが、たとえばJ-popの歌詞で意味が分からなくても、それは意味の分からない歌詞ということで聞き流すように、当時の人にとっての同時代の俳諧は、わからなければそれは作者の方の問題といっていい。
『去来抄』「先師評」の、
兄弟のかほ見るやミや時鳥 去来
についても、「先師曰、曾我との原の事とハききながら、一句いまだ謂おほせず。其角が評も同前と、深川より評有あり。」と言われ、去来も「ただ謂不応也」と認めている。
昔の作品であれば、その作品の生み出された時代背景やその時代の文化・生活習慣の違いなどを理解しなくてはならないし、外国の文学を読む際にもそれは必要となる。ただ、リアルタイムの作品でわからないなら、それは作者の問題だ。
いかがわしい宗教団体の教祖は、わざとわけのわからないようなことを言って、信者に考えさせる。そのうち信者が悩んだ末に、自分にとっての最良の解釈を導き出す。文学はそういうものであってはならない。
「師、句作り示されし時、腹に戰ものはいまだ有と也。感心の趣也。是師の思ふ筋にうとく、私意を作る所也。元を動ざれば成るといふ事なく、只私意を作る也、工夫して私意やぶる道有べし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.141)
「戰」は「おののく」か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「戦・戦慄」の解説」に、
「〘自カ五(四)〙 恐れてふるえる。わななく。戦慄(せんりつ)する。
※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)一〇「聞く者(ひと)皆傷(いた)み、悼(ヲノノキ)、悲しび歎き苦しむこと裁(おさ)ふること難かりき」
とある。
作品を発表するときの不安は誰しもあることだろう。それが周りの人にどのように評価されるのか、それこそ震えるような思いであろう。
それは作品は命令ではないからだ。俺は最高の作品を作ったんだ、下々よ心して理解せよ、ではない。どんな名人であっても大衆の評価は絶対だ。
こんなけの作品を作ったんだから理解するように努めろ、というのは私意に他ならない。
「師、ある時土芳にはなしの次手に云、いつにても機嫌をはかり、誠の俳諧してと有。後、あるじの云、翁の詞、その誠の俳諧と云事は、いかなる事にか、とたづねらる。師の心しらず、思ふに餘念なき俳諧の事なるべし。師も氣にのらざれば、餘念なき俳諧はいつぞはいつぞはなどいはれし也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.141)
誠の俳諧は余念のない俳諧のことではない。「余念」は他の考え、余計な考えのことだが、余念のない俳諧は作者の独断の俳諧で、それこそ私意にすぎない。
誠は朱子学では格物窮理によって至るもので、そこに至るには何度も仮説検証を繰り返し試行錯誤しなくてはならない。心を無にすれば自ずと誠になるなんてものではない。そんな境地にいつかはなってみたいけど、ということだろう。
俳諧は日々是工夫であり、聞く人の反応を見ながら作り上げて行くものだ。
「師の句にても、再三吟じて、猶心得がたくや思はれ侍りけん、その句書付よ、人にも聞かせ見んと、聞へける事もおりおりあり。おろそかならざる所、門人としてわすれまじき所也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.141)
芭蕉の句で何度読み返してもわからない句があっても、その句を書き留めて人にも聞いてみるとわかることが何度もある。句について話し合うことは門人として必要なことだ、ということであろう。
「人の句前にて句の趣向いろいろ沙汰する事つゝしむ所也。或月次の座にて、其事を門人に示されし事あり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.141~142)
「句前」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「句前」の解説」に、
「〘名〙 連歌、俳諧などで、自分の句をつける順番に当たること。
※小出吉英宛沢庵書簡‐寛永一六年(1639)二月四日「城雲句前に成申候へば、吉祥寺さし合をくりと申候へば、難儀被レ仕候」
とある。
三吟四吟など出勝ちではなく順番に付けて行く場合に、自分の番に来て、ここはどういう句を付ければいいかなどとお伺いを立てる人もいるのだろう。
出勝ちなら素早く面白い句を言い出した方が勝ちだが、順番で付ける場合、付けあぐねても誰かに先を越されるわけではない。そうなるとついつい長考になりがちになる。かといっていつまでも考えていると時間ばかりかかってしまう。それでどういうふうに付ければいいですか、なんて聞きたくもなるのだろう。
俳諧というのは意外な展開があるから面白いんで、そこに別に答えがあるわけではない。できればあっと驚くような句を出してほしいんで、どうしても付けられないなら助け舟を出すこともあるだろうけど、考える前から聞いてこられても困るというものだ。
「師のいはく、俳諧を嫌ひ、俳諧をいやしむ人あり。ひとかた有ものゝうへにも、道をしらざる事にはかゝるあやまちもある事也。その品なにゝもせよ、俳諧ならざる事更なし。其人、甚俳諧をして事をさばき、事をたのしむと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.142)
まあ、いつの世にもアンチというのはいるもので、大概はブームに乗り遅れて、時代遅れとそしられるのが嫌だからあれは有害だと言っている連中だ。イソップの「酸っぱい葡萄」だ。
基本的には道を知らないからだと芭蕉は言っている。風雅の誠を理解せず、私事の主張を繰り返す人間は、結局最後は世間から相手にされなくなって孤立してゆくことになる。それは今のネット上のアンチも一緒だ。
こういう連中は世間から無視されればさらにヒステリックになってがなり立て、わざと炎上するような発言を繰り返す。忘れ去られるよりは覚えておいてほしいから炎上商法に身をやつすことになる。
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