2021年5月4日火曜日

  今年のコロナウィルスは去年の暑い夏を乗り切ったウィルスの子孫だから、暑さに強いかもしれない。夏になれば弱体化するということも期待できないかもしれない。そうなると、より強い対策を取らない限り、緊急事態宣言がかなり長期化する可能性がある。
 仮に枝野暫定政権が誕生した場合、コロナ対策はどうなるのかシミュレーションしてみようか。
 まずは公約通り、憲法二十五条第二項、

 第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
   2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 

に基づいて公衆衛生の名目で徹底した対策を行うと宣言する。
 ただし、実際にロックダウンを行うにはこの憲法に基づいた法整備が必要になり、すぐにはできないばかりか、この春に罰則規定の導入に反対した経緯がある。そのため法整備をするにしても強制力を持たせることは難しい。
 そのため、強制力のないまま憲法二十九条第三項、

 第29条 財産権は、これを侵してはならない。
   2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
   3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

に基づいて補償について協議に入る。
 そこでまずAシナリオ。
 財政規律を重視する官僚の反対にあい、ここで補償案が頓挫し、最終的に補償する金がないのでロックダウンなどの措置は見送り、従来通りの自粛要請を継続するにとどまる。これはかつての民主党政権が数々のばらまき公約をことごとく反古にしてしまったことを思えば、一番可能性がある。
 次にBシナリオ。
 官僚と妥協した形で現在よりは多少額を上増しした形でそこそこの補償をする。
 その分GO TOキャンペーンや景気刺激策の予算を削ることになる。オリンピックを中止してその予算を工面する手もあるが、違約金や何かの関係でどの程度の予算が確保できるかは未知数。
 補償と引き換えに強制力のないロックダウンを行うにしても、困窮している業界からはその程度の補償ではという反発から、効果は限定的になる。
 また、給付金が自治体を通じて配布される今の状況は変わらないし、一年でそんなにデジタル化は進んでないので、自治体のオーバーワークによる給付金の遅れは避けられない。
 自治体のオーバーワークはワクチン接種にも悪影響をもたらす恐れがある。ワクチン接種も原則的には自治体が行うもので、国による集団接種には反対論が根強くあまり期待はできない。
 強制力がない以上、コロナ対策としての効果は限定的だが、まあこれがおそらく最善のシナリオであろう。
 次に最悪のCシナリオ。
 MMT理論により自粛要請に応じた場合の完全補償を行い、湯水のように金をばらまく。
 強制力がない以上、効果は完全ではないが、そこそこの効果は得られるだろう。ただ、給付を受けながら営業する業者も後を絶たず、それ以上に国家の財政破綻への不安から円も株も売られて日本は市場の信頼を完全に失う。
 失業者が街にあふれるとその都度大規模な財政支出を繰り返す悪循環に陥る。そしてその混乱に乗じて左翼内部から一気に革命を起こそうとする連中が現れ、彼らは間違いなく外圧を利用する。つまり中国に助けを求めることになる。
 自民党政権が続いた場合でも、強制力のある措置がとれず、補償にたいした国家予算を配分できない現状が一緒なのは確かだ。それが今の日本の政治の限界だと思った方がいい。あとは国民がいかにわきまえるかだ。
 あと、鈴呂屋書庫に「夏馬の遅行」の巻をアップしたのでよろしく。読んでいて何となく違和感を感じる巻というのは今までもいくつかあったが、これもその一つで、本当に何となくなんだけどね。
 例えば語句を検索してもヒットしない言葉が多かったり、そうなると、古そうに見えるように作った言葉なのかななんて思ったりもする。ただ、この巻は似せ物だとしても良く出来ていると思う。

 それではまだ春も残っているので、今回は貞享五年春の「何の木の」の巻を読んでみようと思う。
 『笈の小文』の旅の伊勢山田滞在中の興行で、連衆は伊勢の人たちであろう。杜国が途中から「の人」名義で参加している。
 発句は、

 何の木の花とは知らず匂ひ哉   芭蕉

 この句は『笈の小文』にもあるし、元禄八年刊支考編の『笈日記』にも、

     貞享の間なるべし此國に
     抖擻ありし時
  奉納 二句
     西行のなみだをしたひ增賀の
     信をかなしむ
 何の木の花ともしらずにほひかな はせを
 裸にはまだ二月のあらし哉

とある。
 抖擻(とそう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (dhūta 頭陀の訳) 仏語。
  ① 身心を修錬して衣食住に対する欲望をはらいのけること。また、その修行。これに一二種を数える。とすう。頭陀(ずだ)。
  ※性霊集‐三(835頃)中寿感興詩「斗藪之客、遂爾忘帰」
  ※源平盛衰記(14C前)一八「角(かく)て抖擻(トソウ)修業の後再(ふたたび)高雄の辺に居住して」
  ② ふりはらうこと。特に、雑念をうちはらって心を一つにすること。一つのことに集中して他のことを思わないこと。
  ※卍庵仮名法語(18C中か)「参禅は、刹那も油断あるべからず、出息入息、精神を抖擻(トソウ)し、前歩後歩」

とある。
 「此國」は伊勢国のことで、伊勢で修行したということだろう。伊勢神宮に二句を奉納する。その一句は「西行のなみだをしたひ」で、これは、

 何ごとのおはしますをば知らねども
     かたじけなさの涙こぼれて
              西行法師

の歌による。
 もう一句は「增賀の信をかなしむ」で、これは『撰集抄』増賀上人の話で、天台山根本中堂に千夜こもって祈りを捧げたけども悟りを得られなかったが、あるとき、伊勢神宮を詣でて祈っていると、夢に「道心おこさむとおもはば、此身を身とな思ひそ」という示現を得て、それならとばかりに着ているものを皆脱いで乞食に与え、裸で物乞いをしながら帰ったという話から来ている。
 ここでは前者の方の句を立て句として興業が始まる。
 仏者であるから伊勢神宮の由来や何かは知らないが、この伊勢神宮という花の匂いにはその尊さが感じられ、西行法師のように涙が出ます。
 脇は、

   何の木の花とは知らず匂ひ哉
 こゑに朝日をふくむ鶯      益光

 花に鶯を付けて、その鶯の声に登る朝日ような輝かしい心が含まれている、と前句の有難さを補足してゆく。
 第三は、

   こゑに朝日をふくむ鶯
 春ふかき柴の橋守雪掃て     又玄

 柴は森や林の下の方に生える灌木で、実際のところこれで橋が作れるのかどうかはわからないが、比喩としてその辺の雑木を組んで作った簡単な橋、という意味であろう。
 深い谷にあれば朝日の指すのも遅く、まだ暗い中で橋守が橋に積った雪を掃いていると、聞こえてくる鶯の声に見えない朝日の輝きが感じられる。
 四句目。

   春ふかき柴の橋守雪掃て
 二葉の菫御幸待けり       平庵

 二葉の菫はフタバアオイであろう。皇室の御幸の来るのを待っている。場所は上賀茂神社だろうか。
 五句目。

   二葉の菫御幸待けり
 有明の草紙をきぬに引包     勝延

 天皇陛下に捧げる「有明の草紙」を絹に包んで待っている。
 六句目。

   有明の草紙をきぬに引包
 寝覚はながき夜の油火      清里

 前句を有明の月の出る頃に草紙を布に引き包み、として寝覚め手行燈の油に火を灯すとする。
 初裏。
 七句目。

   寝覚はながき夜の油火
 釣柿に鼠のかよふ音聞て     益光

 朝寝覚めて行燈に火を灯すと、外には干し柿が釣ってあるのが見え、天井からは鼠の走る音が聞こえてくる。
 八句目。

   釣柿に鼠のかよふ音聞て
 しほりを戸ざす田の中の寺    芭蕉

 「しほり」は枝折戸で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 木や竹の小枝などの折ったものをそのまま並べて作った、簡素な開き戸。しおり。
  ※看聞御記‐永享七年(1435)八月三日「四辻沽却門〈師織戸〉召寄」

とある。
 枝折戸を閉ざして田の中の寺は冬籠りに入るのだろう。
 九句目。

   しほりを戸ざす田の中の寺
 山路来て清水稀なる袖の汗    平庵

 長い峠越えの山道で水場がないとなると夏は大変だ。脱水症状になる。お寺があったから水がもらえるかと思ったら無情にも留守のようだ。水分は汗になってどんどん失われてゆく。
 十句目。

   山路来て清水稀なる袖の汗
 煩ふ鷹をおしむかなしき     又玄

 「煩ふ鷹」は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の注には、「鷹の羽毛の脱け落ちる「塒(とや)鷹」の意」とある。鳥屋・塒(とや)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 鳥を飼って入れておく小屋。鶏や種々の鳥を飼う小屋をさすが、特に鷹を飼育するための小屋をいうこともある。鳥小屋。
  ※肥前風土記(732‐739頃)養父「鳥屋(とや)を此の郷に造り、雑の鳥を取り聚めて、養ひ馴づけて」
  ② 鷹の羽が夏の末に抜け落ち、冬になって生え整うこと。この間①にこもるところからいう。その回数によって鷹の年齢を数え、三歳あるいは四歳以上の鷹、または四歳の秋から五歳までの鷹を特に称するともいう。
  ※禰津松鴎軒記(室町末か)「鷹の年を見るやう。一とや二とやなれば爪の上に色黒く、そこ色あかし」

とある(③以下は省略)。
 鷹狩の鷹は鷹匠に依頼して育てさせていたので、鷹匠は山の中の鳥屋で鷹を飼っていたのだろう。
 夏場は古い羽を抜いてやって、鷹狩の季節までに生え揃うようにしなくてはならない。そういう暑いさなか鳥屋での鷹の健康管理は大変だし、鷹の餌も確保しなくてはいけない。
 そうした中で鷹を死なせてしまうことがあったらどうなったのか、想像もつかない。
 十一句目

   煩ふ鷹をおしむかなしき
 女のみ古き御館の破れ簾     芭蕉

 「御館(みたち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (「み」は接頭語)
  ① 国府の庁。また、領主の役所。
  ※土左(935頃)承平五年一月九日「藤原のときざね、橘のすゑひら、長谷部のゆきまさらなん、みたちより出でたうびし日より、ここかしこに追ひ来る」
  ② 貴人の住居。おやしき。
  ※虎明本狂言・餠酒(室町末‐近世初)「我らのまいる御(ミ)たちはこれで御ざるが」
  ③ (①の住人の意から) 領主。殿様。
  ※今昔(1120頃か)二四「此は御館の名立にも有(あらむ)と云て」

とある。
 未亡人だろう。夫は戦死して、飼っていた鷹も病気で失い、妻のみが荒れ果てた館に残されている。
 十二句目

   女のみ古き御館の破れ簾
 碁に肱つきて涙落しつ      勝延

 『源氏物語』でも空蝉と軒端荻が碁を打つ場面があったように、囲碁は女性の間でも人気のある遊びだったのだろう。今でも女性の棋士は多いし、将棋のような「女流」はなくて男女混合で戦っている。
 古い御館に使える女房達が碁を打ちながら、恋ばなをしたり悩みを聞いてもらったりもしてたのだろう。この日は何か悲しいことがあったのか。

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