今日は晴れた。外は暑くなったようだ。
イスラエルはガザへ地上部隊を送り込んだ。ワクチンを止められたパレスチナとワクチン接種を終えたイスラエル。こうなるとコロナは生物兵器だ。ワクチンのあるなしで戦局が左右されるなら、ワクチン自体も生物兵器と言った方が良い。ワクチンは同盟国優先で、日本も中国寄りの姿勢を取っていたらワクチンが来なかった所だ。
日本のワクチン接種の方は今のペースだと今月中一千万回は難しい。週百五十万回ペースだ。もう少し加速してくれれば。
昨日のハンニバルの話だが、結局どんなすぐれた知略があっても、内紛があれば根底からひっくり返ってしまう。三谷脚本の『真田丸』もそういう話だった。
ハンニバルがもしあのような真っすぐなキャラでなく腹黒キャラだったら、ローマに勝つもう一つの方法を取っただろう。つまり噂を流したりスパイを送り込んだりするなどの情報戦略を駆使してローマを分裂させる。現実の我々もキンペイにそれをやられないように気をつけよう。
コロナ対策も一番の敵は内紛だ。いくらロックダウンをやっても誰もそれに従わなくてデモばかり起きるようなら何の意味はない。いくらワクチンがあっても誰もそれを信用せずにワクチン接種を拒否するようになれば何の意味もない。
それでは『三冊子』の続き。
「同いはく、俳諧は、教てならざる所あり。よく通るにあり。或人のはいかいは會て通ぜず、たゞ物をかぞへて覺るやうにして通る物なしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.137)
俳諧は基本的には俳諧の心を持つことで、形だけ真似しても俳諧にはならない。
『去来抄』修行教にも、
「魯町曰いはく、俳諧の基(もとゐ)とはいかに。去来曰、詞に言ひ難し。凡吟詠する物品あり、歌は基也。其内に品有、はいかいも其一也。其品々をわかち知らるる時は、俳諧連歌は如斯物也と自ら知らるべし。それを不知宗匠達、俳諧をするとて、詩やら歌やら旋頭・混本やら知れぬ事を云へり。是等は俳諧に逢ひて、俳諧連歌といふ事を忘れたり。はいかいを以て文を書ば俳諧文也、歌を詠ば俳諧歌也、身に行はば俳諧の人也、」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.61~62)
「『去来抄』を読む」でも書いたが、
「『俳諧の基もとゐとは何か』というのは難しい質問で、今日で言えば、ロックとは何かというようなものだ。
ロックとは何かといっても、エレキギターなどを用いたバンドでエイトビートのリズムを持つ音楽、などというのは何の説明にもなっていない。アイドルグループの演奏するその手の歌謡曲はいくらでもあるし、演歌だってエイトビートで演奏されることはある。また、ロックだってシックスティーンビートの曲もあれば八六拍子の曲もあるし、もっと複雑な変拍子の曲もある。
エレキを使わずにアンプラグドで演奏されることもあれば、バンド形態を取らないDJのサンプリングによるヒップホップも広義のロックに入る。結局はロックスピリッツを持ったものがロックだということになる。
俳諧もそれと同じで、俳諧スピリッツを持つものが俳諧だといっていいだろう。俳諧スピリッツがあれば、歌を詠んでも俳諧歌であり、文章を書けば俳文、絵を描けば俳画となる。いわば、平和を愛し、命を尊重し、花鳥風月を楽しみ、風雅の世界に遊ぶことで、日常の生存競争のぎすぎすした雰囲気を和らげようとする心があれば、句を詠まずとも俳諧だといっていいだろう。」
たとえば日本人が日本でバイオリン作りを学んでイタリアに行って向こうの職人に見せたら、「よく出来ているがこれはバイオリンではない」と言われたなんて話もある。バイオリンは物理的な存在ではなくイタリア人の魂であり、それがわからないならバイオリンではない。
俳諧も俳諧の技法を一通り学べば俳諧師になれるというものではない。精神が、生き方が俳諧でないなら、それは俳諧ではない。
「師のいはく、或人の句は艶をいはんとするに依て句艶にあらず。艶は艶なし。又、或人の句は作に過て心の直を失ふ也。心の作はよし、詞の作好べからずと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.137)
艶はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 あでやかで美しいこと。なまめかしいこと。また、そのさま。「艶を競う」「艶な姿」
2 情趣に富むさま。美しく風情のあるさま。
「月隈なくさしあがりて、空のけしきも―なるに」〈源・藤袴〉
3 しゃれているさま。粋(いき)なさま。
「鈍色の紙の、いとかうばしう―なるに」〈源・澪標〉
4 思わせぶりなさま。
「いとこそ―に、われのみ世にはもののゆゑを知り、心深き、類(たぐひ)はあらじ」〈紫式部日記〉
5 中世の歌学や能楽における美的理念の一。感覚的な優美さ。優艶美。妖艶美(ようえんび)。
「詞のやさしく―なるほか、心もおもかげも、いたくはなきなり」〈後鳥羽院御口伝〉」
と色々な意味がある。
艶というのも明確に定義できるものではないし、何となく感じられるというようなもので、狙って出せるものでもない。ただ、ひとから「艶」だと言われるだけのもので、意識してできるものではない。今日でいえば「エモい」が定義できないようなものだろう。
俳諧は心であり、その人の生き様の現れる所に人は感動するもので、大事なのは心を磨くことで口先だけのテクニックではない。
「又いはく、格は句よりはなるゝ也。はなるゝにならひなし。鳶に鳶を付、隱士の打越に隱士を出す類イ、爰に至てせん儀なし。一たびはくるしからず、後の隱士は過てあやまち也。必うらやむ所にあらずと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.137)
格はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① きまり。法則。法式。規則。
※米沢本沙石集(1283)一〇末「凡(およそ)世間出世の格(カク)をこえて格にあたるにあたらずと云事なし」 〔礼記‐緇衣〕
② くらい。地位。身分。程度。等級。
※日葡辞書(1603‐04)「ソノ ヒトノ cacuga(カクガ) ヨイ、または、ワルイ」
※家(1910‐11)〈島崎藤村〉上「家の格が違ひます」
③ 同じような仕方。流儀。手段。
※咄本・露休置土産(1707)一「よいあいさつ、出来た出来た。此後も其格(カク)にあいしらへよ」
※安愚楽鍋(1871‐72)〈仮名垣魯文〉三「去年の仕初(しぞめ)に勧進帳を見せた格(カク)でござへますがいいおもひつきじゃアござへませんか」
④ 品格。風格。
※中華若木詩抄(1520頃)上「此詩は、常の格ではないぞ、異相な詩と云こと也」
⑤ 奈良・平安時代、律令を執行するため、時に応じて発せられた修正、補足の命令。律・令・格・式の一つ。→格(きゃく)。」
とある。⑥以下は近代の意味なので省略する。ここでは一番に守るべきことは、というような意味だろう。をれはとにかく「離るる」ということだ。
鳶に鳶を付けるような同語を付けることは式目には反しない。それは和歌でも同じ言葉の反復はあるからだ。ただ、打越は嫌う。連歌では同字五句去り、俳諧では三句去りになっている。
式目には反しないとは言っても好まれることではない。
同字を付けることは「一たびはくるしからず」。打越に同字を用いることは「過てあやまち」。
「うらやむ所にあらず」というのはわざわざするようなことではない、ということ。
「發句は門人にも作者あり。附合は老吟のほねといひ給ひけると、或俳書にあり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.137)
発句は若くても良い句を作る人はいるが、付け句は長年の習熟が必要ということであろう、「或俳書」は許六の『宇陀法師』だと『去来抄・三冊子・旅寝論』の潁原注にある。
「句のすがた、さのみかはるにもあらで、人々の腸をしぼる所、聞ものゝ好、すかざるによりて、言下に心のごとく聞なし侍らんは本意なしと、師のいへるよしあり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.137~138)
句の微妙な違いを腸(はらわた)を絞るような、いわば精魂込めて直したりしても、人々がそれを単なる好みの問題みたいに言って聞き流さしてしまうのは残念だ。
「師のいはく、わが句ども多くの集に書誤り多し。是をみづから書本とし、門人の志を以て二三句ほどづゝ書添て、所々の哥仙一折宛、是もいがの門人を初として、志を以て書留むべし。號を笈の小文とせん、又、小文と計やすべき。此號は或方にて能見侍るに、太刀とかいふ謡に此事あり。宜集の名と思ひ留たる也。書號によろしきものなど常に見習べし。拙號はあさましき物也。萬に心遣ひ有事也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.138)
今日我々が『笈の小文』と呼んでいるものは、芭蕉の元禄四年から五年にかけての関西方面の旅の遺稿をまとめたもので、未完成の断片的なものに宝永六年、乙州があとからタイトルを付けて刊行しただけのものだ。芭蕉自身がこれを『奥の細道』のような一つの作品にしようと意図した物かははっきりしない。
それとは別に芭蕉が『笈の小文』と呼んでいる別のものがあったことは『去来抄』にも記されている。おそらく私歌集のようなもので、芭蕉が気に入った句や俳諧の巻を書き留めたものではなかったかと思われるが、今日残ってはいない。将来何らかの形で発見される可能性がなきとも言えないが、あまり期待はできない。発見されたら世紀の大発見となろう。
ネット上の綱島三千代さんの『「笈の小文」の読み方について』によると、「太刀とかいふ謡」は謡曲「刀」で、そこに、
「初学者の笈には笈には真言天台の聖教要交、下段には小文を揃へて入れたるは、少人達の名残を惜しみ又逢ふ迄の記念の為か託しや床しや」
とあるという。
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