朝の五時に家を出て近所を散歩した。薔薇の咲いてる公園へ行った。澄んだ綺麗な声で鳴く鳥がいたが、鳴き声に特に決まったパターンがない。イソヒヨドリかもしれない。元は磯にいた鳥だが、最近都市の内陸部に進出しているという。青い鳥見てみたい。
ネット工作というと前はごく少人数のネトウヨ(本来の意味での)が一人でたくさんのアカウントを作ってブログやSNSに大量の書き込みを行い、炎上しているように見せかけることが多かったが、途中から左翼も真似するようになり、特に組織力の強いあの政党が人海戦術を用いたりするようになった。それにネトウヨのお株を奪うような一人でたくさんのアカウントを作ったりして、Twitterのトレンド入りをさせることで似せの世論を作っている。
Change.orgというネット署名のサイトは一度だけピエール瀧のことで署名したことがあるが、その後新たな署名の度にメールが来ていた。今はうざいので切ったが、その署名のほとんどは何々に反対しますという左翼の主張の物だった。こうした署名は最初から組織的なもので、大体いつも一定数の署名は集まっていたようだ。
ネット上ではネトウヨとパヨクばかりが目立つが、本当の世論はそこにはない。
それでは「麦をわすれ」の巻の続き。
初裏。
七句目。
風の目利を初秋の雲
武士の鷹うつ山もほど近し 越人
武士は「もののふ」と読む。鷹狩は冬のものだが、秋にも小鷹狩といって小鳥を狩る。weblio古語辞典の「三省堂 大辞林」に、
「小鷹を使って秋に行う狩り。ウズラ・スズメ・ヒバリなどの小鳥を捕らえる。初鳥(はつと)狩り。 ⇔ 大鷹狩り」
とある。山に雲が出てきたので風の目利きに尋ねる。李由・許六撰の『韻塞(ゐんふたぎ)』の「雌を」の巻六句目にも、
暮切て灯とぼすまでの薄月よ
鷹場の上を雁わたる也 許六
の句がある。
また、「連歌新式永禄十二年注」の鳩吹のところに、
「秋わたる鷹をとらむとて、柴をさしかざして、前に鳩をつなぎて、網をはりて鷹を待に、空を鷹のとおれば、鳩是をみて、地にふして、たかにみえじとする也。」
とある。鷹うつ山は秋でも仕事はある。
八句目。
武士の鷹うつ山もほど近し
しをりについて瀧の鳴る音 野水
普通に鷹狩に転じる。枝折をたどって山の奥に分け入って行けば、やがて滝の音が聞こえてくる。
九句目。
しをりについて瀧の鳴る音
袋より經とり出す草のうへ 荷兮
滝行を行うのであろう。まずは経を上げる。
十句目。
袋より經とり出す草のうへ
づぶと降られて過るむら雨 越人
村雨でずぶ濡れになった旅僧が、大事な経典は無事だったかと草の上に広げる。
十一句目。
づぶと降られて過るむら雨
立かへり松明直ぎる道の端 野水
「直ぎる」は「ねぎる」。雨が降ったから松明が濡れて値下げするのではないかと思って、引き返して松明売りの所に行く。
十二句目。
立かへり松明直ぎる道の端
千句いとなむ北山のてら 荷兮
北山での千句興行はあまり聞かないが、やるとしたら朝未明から松明を灯して山に入っていくことになるだろう。昔の連歌師ならともかく、今の俳諧師だと、その松明も値切らなくてはならないほど金がない。
十三句目。
千句いとなむ北山のてら
姥ざくら一重櫻も咲残り 越人
姥ざくらは花の咲いたあとに葉の出る桜で、葉(歯)がないというので姥桜という。染井吉野や河津桜はこれに含まれるが、山桜や大島桜はちがう。一重桜は八重桜ではない桜。下界は八重桜の季節でも北山の奥へ行けばまだ姥桜や一重桜が残っている。
十四句目。
姥ざくら一重櫻も咲残り
あてこともなき夕月夜かな 野水
「あてこともなき」は縁がないということで、行き遅れた姥桜一重桜が夕月夜に通う男を待つでもなく暮らしている。
十五句目。
あてこともなき夕月夜かな
露の身は泥のやうなる物思ひ 荷兮
通う男を待つあてもなく夕月夜を過ごす身は、尼になったわけでもないのに尼のようだ。
十六句目。
露の身は泥のやうなる物思ひ
秋をなをなく盗人の妻 越人
夫はいつしか泥棒家業に身をやつし、夜には家を出て行ってしまうし、いつ捕まって帰ってこなくなるとも知れない。気分は既に尼になったかのようだ。
十七句目。
秋をなをなく盗人の妻
明るやら西も東も鐘の声 野水
明け方にあちこちから早鐘の音が聞こえる。大捕物になったようで、どうやら夫も捕まる日が来たようだ。
十八句目。
明るやら西も東も鐘の声
さぶうなりたる利根の川舟 荷兮
広大で遮るもののない利根川を行けば、明け方には西や東から遠い鐘の音が聞こえてくる。芭蕉も『鹿島詣』の旅では、夜のうちに布佐から船に乗って鹿島へ向かっている。鹿島香取へ詣でる人は利根川を船で下る人が多かったのだろう。
二表。
十九句目。
さぶうなりたる利根の川舟
冬の日のてかてかとしてかき曇 越人
前句の寒くなったのを曇ったからとした。
二十句目。
冬の日のてかてかとしてかき曇
豕子に行と羽織うち着て 野水
「豕子(ゐのこ)」は玄猪のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 陰暦一〇月の亥の日。この日の亥の刻に新穀でついた餠(もち)を食べて、その年の収穫を祝ったものといわれる。厳重(げんちょう)。→亥子(いのこ)。《季・冬》
※俳諧・五元集(1747)亨「三日月のおぐらき程に玄猪哉」
② 陰暦一〇月の亥の日に食べた餠。亥子餠(いのこもち)。玄猪の餠。厳重(げんちょう)の餠。厳重。〔易林本節用集(1597)〕
③ 置花生けの一つ。イノシシの頭に似た形のもので、主として池坊の生花に用いる。」
とある。宮廷を中心に行われていたため、格式の高い行事で、羽織を着て行く。
0 件のコメント:
コメントを投稿