2021年5月17日月曜日

 家の近くの枇杷が大分黄色くなってきて、朝から鳥がたくさん集まってくる。鳥たちの枇杷祭の季節が今年もやってきた。
 それでは『三冊子』の続き。

 「師の神樂堂と云句を難ずるもの有。師のいはく、俳諧は平話を用ゆ。つねに神樂堂といひならはし侍れば、ふかき事は知らずと也。其後此事をたづねたる人あり。師の曰、唯一の神道には神樂殿、兩部には神樂堂といふ。むづかしくいひ分して益なし。たゞ俳諧には、神樂殿おかしからずと或俳書にあり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.142)

 芭蕉の神楽堂の句は不明。俳諧は基本的に日常の言葉を用いるため、専門家から見れば間違ってるだとか正確ではないという指摘はもっともなことなのだろう。コオロギとキリギリスとカマドウマの区別だとか、ミミズや蓑虫が鳴くかどうかだとかも、当時の本草家から見れば指摘する所はあるのだろうけど、基本的には当時の一般人のレベルで変でなければ問題はない。
 まあ、それを言えば、我々の見ている映画やドラマや漫画、アニメ、J-popなども突っ込みどころ満載で、それを笑って済ますのが大人というものだ。神楽殿と神楽堂の違いを芭蕉が知っているのも、きっと後で曾良に聞いたからだろう。

 「季にて、戀の句をつゝむこと、戀の句にて季の句をつゝむこと、むつかしは嫌へども今はくるしからずと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.142)

 「むつかし」は「むかし」の書き間違いであろう。これも江戸初期の連歌にあったしきたりなのかもしれない。宗祇の時代までの連歌の全盛期にはこんな規則はなかったし、蕉門でも嫌わない。
 春夏秋冬の景物に寄せる恋が駄目なら、一体どんな恋が詠めるというのか。恋の情を春夏秋冬に重ね合わすのは、王朝時代の和歌から今日のJ-popにまで脈々と受け継がれている。

 「師のいはく、絶景にむかふ時は、うばはれて不叶、物を見て取所を心に留メて不消、書寫して静に句すべし。うばはれぬ心得もある事也。そのおもふ所しきりにして、猶かなはざる時は書うつす也。あぐむべからずと也。師、松島にて句なし。大切の事也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.142~143)

 そもそも筆舌に尽くしがたいから「絶景」なので、簡単に言い表せるようなものは絶景とは言わない。『士峯の賛』でも、

 「むかふところ皆表にして美景千変す。詩人も句をつくさず、才士、文人も言をたち、画工も筆捨てわしる。」

と記している。
 あえて句にするのであれば、その景色を記憶に留めて消さないようにして、後にそれを写すかのように静かに句にする、という。おそらく

   殺生石
 石の香や夏草赤く露あつし    芭蕉

はそういう句だったのだろう。これは本当にそのまんまを詠んだ句だ。
 また、象潟で詠んだ

 夕晴や桜に涼む浪の花      芭蕉

の句もそうした句だったのではないかと思う。夕暮れに浪の花という景色に西行の桜の俤で「桜に涼む」と取り囃した句だ。絶景のほんの一部しか記せないもどかしさのようなものも感じられる。
 芭蕉の松島の句というと、今日は、

 島々や千々に砕きて夏の海    芭蕉

の句が知られている。ただこれは『蕉翁全伝附録』という最近になって発見された書にあるもので、ネット上の今栄蔵さんの「新出『蕉翁全伝附録』」に詳しくある。これは土芳も知らない句だったのだろう。
 内容としては夏の海に島々が浮かぶという景色に大山津見神(おおやまつみのかみ)の神話から「千々に砕きて」と取り囃した句で、芭蕉らしさは感じられる。
 この言い尽くさないもどかしさを遁れようとすると、

 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き  芭蕉

ということになる。

 「師のいはく、俳諧の益は俗語を正す也。つねに物をおろそかにすべからず。此事は人のしらぬ所也。大切の所也と傳へられ侍る也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.143)

 今日的な感覚だと、これは俗語を正しい標準語に正すというふうに受け取られやすい。だが、残念ながらこの時代は「標準語」なるものはなかったし、国家が学校教育を通じて日常の口語を管理するという発想そのものが存在しなかった。
 俗語を正すといっても、正しい言い方が存在しているわけではない。ならば何を正すのかといえば、俗語の心を正すことに他ならない。
 だから次に「つねに物をおろそかにすべからず」とつながる。この場合の物は物質ではなく魂であり、心の「誠」に他ならない。いわば四端の情などの人間の本性をおろそかにしてはいけないという意味だ。
 俗語を正すとは、俗語に魂を与えることであり、風雅の誠を与えることだ。
 この時代の「俗語」は雅語に対して用いられている。雅語は風雅の心を述べるために王朝時代の和歌を元にして、中世に確立された。しかし雅語で語れる世界はあまりに限られている。庶民が日常の様々な出来事を語ろうとしても、雅語では言えない事柄が多すぎる。
 俗語を正すというのは、雅語ではない俗語に雅語のような風雅を語る力を与えることだ。風雅の誠を俗語で語ることで、俗語は雅語と同等の言葉になる。これが俗語を正すということだ。
 何度も繰り返して行ってきたことだが「もともと言葉に意味はない、人が喋ればそこに意味ができる。」意味というのは過去に聞いた用例の積み重ねであり、その用例に従って自ら発話することによって、言語の意味は人から人へと広まって行く。
 例えば猫のことを誰かが間違って「ぬこ」と入力した。それを見た人が「ぬこ」という言葉を用い、それが多くの人に広まれば「ぬこ」は猫の意味になる。
 こうしたことは過去にも起こった。たとえば「山茶花」は本来「さんざか」だったのを、誰かが「さざんか」と言ってしまったのだろう。今ではみんな「さざんか」と言っている。「新し」も本来は「あらたし」だったが、今ではみんな「あたらし」と言っている。
 もともと「ぬこ」という音声であれインクの染みであれ液晶の光であれ、そこに意味があるわけではない。人がそれを猫を表すものとして用いてはじめてそれは「猫」という意味を生じる。
 言葉(能記)自体はただの任意に選ばれた符号であり、それを正すことに意味はない。
 たとえば今の人権派の人たちが躍起になっている言葉狩りも、何ら差別の抑止にはならない。たとえば「チョン死ね」を「在日の韓国籍及び北朝鮮籍の方は死ぬべきである」と言い換えたところでヘイトスピーチには変わりない。ヘイトは心の問題であり、そこを正さなければ言葉だけ奪っても何の意味もない。
 同様に言葉自体に美しい言葉なんてのも存在しない、たとえば「ともだち」は米軍が東日本大震災の時の災害救助・救援および復興支援のときに「トモダチ作戦」として用いていたが、私の知っている会社の社長は、いつも社員を罵る時に「ともだち」という言葉を用いていた。駄目な社員がいるとほかの社員が何かミスした時に、「お前はあいつのトモダチか!」という意味で「ともだち」という言葉を乱用していた。あの会社では「ともだち」は人を罵る時の言葉だった。
 「家具」という言葉も普通の人にとっては何の変哲もない言葉だが、竜騎士02さんの『うみねこのなく頃に』の中では「使用人は家具たれ」という家訓から、使用人を罵る時に「家具」という言葉が用いられていた。
 言葉が奇麗かどうかは使う人の問題で、言葉自体にはもともと意味はない。「俗語を正す」というのは心を正すことに他ならない。心を正せばどんな俗語も美しくなる。

 「師のいはく、結び題の發句などの時に、たとへば五句ある時は、秀作三句は過る也。當座の題は猶其心得あり。哥の題の事もかやうの事とやら聞へ侍るとなり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.143)

 「結び題」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「結題」の解説」に、

 「〘名〙 和歌で題詠の際に出される歌題の一種。漢字三、四字から成り、二つないしはそれ以上の事柄を結合した歌の題。「初春霞」「旅宿夜雨」の類。
  ※毎月抄(1219)「結び題をば、一所におく事は無下の事にて侍とやらん」

とある。
 俳諧では題詠で競うことはあまりない。適当に題詠っぽく前書きを付ける場合はある。撰集などで題があってそこに何句か並べてあっても、似たような句を分類して後から題を付けていることが多いのではないかと思う。
 これも多分、撰集で一つの題で句を何句か並べる時に、三句ぐらいにしておいた方が良いという意味であろう。

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