朝から蒸し暑かった。そろそろ梅雨入りが近いのかな。
鈴呂屋書庫に「月出ば」の巻をアップしたのでよろしく。
それでは『三冊子』の続き。
「師、ある俳諧の時、宵やみといふ句に月成まじ、是を月にすべしとて、秋に付出し、八月と云月次を出せり。月秋の堪所によひやみ出合たればこそ、ふしぎの働出たりと、俳書に有。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.138)
「ある俳諧」とは元禄五年十月三日許六亭での興行で、発句は、
けふばかり人も年よれ初時雨 芭蕉
になる。その十三句目からで、
宵闇はあらぶる神の宮遷し 芭蕉
北より荻の風そよぎたつ 許六
八月は旅面白き小服綿 酒堂
となっている。
宵闇は日が暮れて月が登るまでの闇のことなので、月の句となる。無月や月なしが秋になるように、また月の字がなくても「有明」が月の句で秋になるように、「宵闇」もそれに準じて扱うというわけだ。
ただ、月の文字がないということで、見た目には初裏の月をこぼしたかのように見えるため、形だけ「八月」という月次の月を入れている。
「牡丹に芍薬を付る事はあるまじ。是は心の好所にて差合にはあらず。付らるゝ働あらば付て猶よろしかるべしと、師の詞也。萬に此類あるべし。門人心得てすべき事也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.138)
牡丹と芍薬は似ているけど別の花だから式目上は付けても何の問題はない。ただ、スミレにタンポポを付けるのと違い、両方とも大きな花で、一巻の飾りということもあるのだろう。牡丹に芍薬を重ねるのはくどいと感じた手のことだと思う。
対句に仕立てて何か面白い意味にでもなるなら、別に構わない。好みの問題だと芭蕉自身も言っている。杓子定規に判断しないようにということ。
「師のいはく、相似たる句は、集に出す時外に置て、まぎらはしくせざるよし。後猿蓑に、師の蕎麦の花の句、猿雖が蕎麦の花一所にわざと置侍ると也。 付句の心得いろいろいひ出られし時に、前句を添て、付心に顯るゝ事などならて見るべしと、さまざま句をさせて見侍られし事もあり。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.138~139)
後猿蓑は『続猿蓑』のことで、芭蕉の蕎麦の花の句は、秋之部の「農業」の所に、
いせの斗從に山家をとはれて
蕎麥はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉
の句がある。
これに対し猿雖の蕎麦の句「名月」の所に、
いざよひは闇の間もなしそばの花 猿雖
の句がある。この二句は全然似ていない。おそらく問題になったのは芭蕉の元禄五年八月に詠んだ、
三日月の地はおぼろ也蕎麦の花 芭蕉
の方であろう。これだと、三日月を十六夜に変えただけで、薄明かりの中の蕎麦の花という趣向に月を添えている発想が似ている。
そして、芭蕉があえて並べたというのは「いざよひは」の句の前にある、
十六夜はわづかに闇の初め哉 芭蕉
の句であろう。
結果的には十六夜で短い間だが宵闇の時間が生ずる、というのが読者の頭に刻み込まれて上で、「いざよひは闇の間もなし」と来るから、読者は何だろうと思う。そして「そばの花」と結ばれることで「なるほど」と思う。なかなか見事な演出になっている。
この場合外に置かれたのは芭蕉の「三日月の」の句の方だった。また、同じ蕎麦の花を詠んだ芭蕉の句は「名月」と「農業」という別の部立にして間を放して置いている。
『春の日』で、
初春の遠里牛のなき日かな 昌圭
の句と、
けふとても小松負ふらん牛の夢 瑞雪
の句をあえて七句隔てて置いているのも同様の配慮なのだろう。
後半の「付句の心得」は、出勝ちの時にただ自分の付け句をいうだけでなく、前句とつなげて読み上げてみるとどういうふうに付いているかが捌く人にわかりやすくなる、つまり選ばれるこつだということか。
「又、猿蓑に脇三を三体に仕わけてなし置たり。心付て見るべしと也。身はぬれ紙のとり所なき、といふ句を云出侍れば、師の曰、是一體に見へ侍る也、体格は定がたし。心がけて勤るに猶あるべし。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.139)
脇の三体というのは、
鳶の羽も刷ぬはつしぐれ
一ふき風の木の葉しづまる 芭蕉
市中は物のにほいや夏の月
あつしあつしと門々の聲 芭蕉
灰汁桶の雫やみけりきりぎりす
あぶらかすりて宵寝する秋 芭蕉
のことか。
「一ふき風の」の脇は「あかさうし」に、
「あれあれて末は海行野分かな
鶴のかしらをあぐる粟の穂
鳶の羽もかいつくろハぬ初しぐれ
一吹風の木の葉しづまる
此脇二つは、前後付一体の句也。鶴の句は、野分冷じくあれ、漸おさまりて後をいふ句なり。静なる體を脇とす。木のはの句は、ほ句の前をいふ句也。脇に一あらし落葉を亂し、納りて後の鳶のけしきと見込て、發句の前の事をいふ也。ともにけしき句也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.122~123)
とある。
「あつしあつし」の脇も同じく「あかさうし」に、
「市中は物の匂ひや夏の月
あつしあつしと門々の聲
此脇、匂ひや夏の月、と有を見込て、極暑を顯して見込の心を照す。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.125)
とある。
「あぶらかすりて」の脇は特にない。
灰汁(あく)は染色の際の媒染液で、椿や榊を燃やした灰を水で溶いた上澄を用いる。染料につけた布を灰汁に浸して干した時、雫しずくが灰汁桶にぽとぽと垂れ、その雫の音も止むころには日も暮れ、コオロギの声が聞こえてくる。「きりぎりす」はかつてはコオロギのことだった。
この発句に対し、芭蕉は「あぶらかすりて」、つまり行灯の油も底を尽きたということで、仕方ない、まだ宵の口だがもう寝るか、と付ける。
「一ふき風の」の脇は「鳶の羽も刷ぬ」に「木の葉しづまる」、「はつしぐれ」に「一ふき風」と四手に着いている。
「あつしあつし」の脇は「市中」の「夏」に「あつしあつし」という市中の人の位で付けている。
「あぶらかすりて」の脇は発句の染物業者の侘しい雰囲気に「あぶらかすりて」で応じている。
藍染をおこなう紺屋については他の所で述べたが、被差別民だった。『ひさご』の「何の木の」の巻十八句目に、
もる月を賤き母の窓に見て
藍にしみ付指かくすらん 芭蕉
の句がある。
「身はぬれ紙のとり所なき」の句は脇ではない。『猿蓑』「梅若菜」の巻二十四句目の、
大胆におもひくづれぬ恋をして
身はぬれ紙の取所なき 土芳
の句。前句の心を物に例えて付けている。
恋離れの手段としては一つの方法だと言っていいが、「濡れて張り付いた紙ははがそうにもはがせない。そんな恋をしてしまった」と、前句の「おもひくづれぬ恋」を咎めるような調子は、必ずしも芭蕉の本意ではなかったと思う。
芭蕉は元禄七年の「牛流す」の巻二十九句目で、
分別なしに恋をしかかる
蓬生におもしろげつく伏見脇 芭蕉
の句を詠んでいる。去来の恋に対しやや非難めいた句にを、『源氏物語』「蓬生」の末摘花を俤にして、源氏の君の分別のなさに読み替えている。このことは『去来抄』「先師評」にも、
「先師都より野坡がかたへの文に、此句をかき出し、此辺の作者いまだ是の甘味をはなれず。そこもとずいぶん軽みをとり失ふべからずと也。 (『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.27~28)
と去来をたしなめている。
「又、琴三味線の類、句ふるびて世上あつかひかねたり。心見に句して見よと、いろいろ句作りを見られし時もあり。道にすゝむ者の勤る所、かくの事もあるべき示し也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.139)
琴は王朝時代にも好まれていたが、三味線は新しい楽器で、延宝の頃までは古浄瑠璃で琵琶法師が琵琶の代わりに弾くというイメージがあったのだろう。その一方で遊郭にも三味線は広まり、やがて三味線=遊郭のイメージが作られていった。
ただ、元禄期に入ると既に新味を出すのが難しくなってきたのだろう。明和天明期になると、遊郭を離れて一般人の間で三味線が大流行するが、それはまだかなり先の話になる。
すでに煮詰まってきた題材に何か新味を出せないかという工夫は、常に行われていたのだろう。
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