2021年12月1日水曜日

 新暦の十二月一日で、今年もあと一か月。今朝は季節外れの雷が鳴ったが、その後晴れた。
 今年一年、「うっせぇわ」の一年だったな。マス護美もツイッターもとにかく口汚い言葉で、何でもかんでも批判批判批判批判批判批判、とにかく「うっせぇわ」。
 選挙の後少し静かになったけど、立憲民主党の新しい党首が決まったから、またうっせいだろうな。
 流行語大賞は「リアル二刀流」ということで、まあLGBTの時代だし、時代はレインボウ。BLも百合も大歓迎。
 コロナの方は今のところ静かなもので何よりだ。ある程度のサンプル数がないとオミ株の正確な重症化率は出ないだろうけど、大したことないなら、逆に今までのコロナが弱毒のものに置き換わって、一気に収束する。

 それでは「なきがらを」の巻の続き。

 三裏、六十五句目は支考の二回目。

   所がらとて代官を殿
 打鎰に水上帳を引かけて     支考

 打鎰(うちかぎ)は打ち鉤で、柄のついた鉤。水上帳(みづあげちゃう)はその日の売り上げを記す帳面のこと。
 代官を殿と呼ぶような土地柄なら、商家も鑓のような打ち鉤で帳簿を担いで勇ましいんではないか、という空想の句。
 六十六句目は正秀の三回目。

   打鎰に水上帳を引かけて
 乳母と隣へ送る啼児       正秀

 児にムシとルビがある所から、「なきむし」と読む。
 前句を子供の遊びとする。軍ごっこで打ち鉤を槍に見立てて遊ぶが、負けて泣いて乳母に連れられて帰る。
 六十七句目は丈草の三回目。

   乳母と隣へ送る啼児
 獅子舞の拍子ぬけする昼下リ   丈草

 獅子舞の獅子が恐いと言って子供が泣いて帰っちゃったので、舞う方としては拍子抜けする。
 今では獅子舞というと正月のイメージがあるが、獅子舞神事は秋の祭の時にやることも多い。ここでは無季になる。
 六十八句目は昌房の三回目。

   獅子舞の拍子ぬけする昼下リ
 雨気の雲に瓦やく也       昌房

 前句の拍子抜けを天候の悪化で人が来なかったとする。獅子舞が拍子抜けする昼下がり、この町では瓦が盛んに生産される。屋内で作業しているため、ただでさえ人が集まりにくい。
 六十九句目は臥高の三回目。

   雨気の雲に瓦やく也
 在所から医師の普請を取持て   臥高

 儲かっている医者なのだろう。瓦屋根の立派な屋敷を立てる。
 七十句目は之道の三回目。

   在所から医師の普請を取持て
 片町出かす畠新田        之道

 「片町出かす」は片側町が新たにできるということで、片側町は道の片方だけが町になっていることで、新たに畠や新田ができたので、その端っこの道路の反対側に町ができたということだろう。
 町が新しく出来たので古い町から医者の移住を呼びかける。
 七十一句目は去来の三回目。

   片町出かす畠新田
 鳥さしの仕合わろき昏の空    去来

 鳥さしは鳥もちを塗った竿で鳥を捕まえることで、この日は運が悪く鳥も獲れずに日が暮れて行く。
 前句の畠新田での出来事とする。
 七十二句目は泥足の三回目。

   鳥さしの仕合わろき昏の空
 木像かとて椅子をゆるがす    泥足

 黄昏時で物がはっきり見えなくて、木像だと思ったら椅子だった。
 ただ、江戸時代では椅子はほとんど用いられなかった。あるとすれば長い背もたれのないベンチ状のものか、床几という折り畳みのもので、木像と見間違える椅子がどういうものかはよくわからない。
 七十三句目は尚白の三回目。

   木像かとて椅子をゆるがす
 三重がさねむかつく斗匂はせて  尚白

 「三重がさね」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三重重・三重襲」の解説」に、

 「① 布帛を三枚かさねること。特に衣類などで、中陪(なかべ)を入れて三重にしたもの。
  ※宇津保(970‐999頃)蔵開上「唐裳、摺裳、綾の細長、みへがさねの袴添へたる女の装五具」
  ② 「みえがさね(三重重)の扇」の略。
  ※青表紙一本源氏(1001‐14頃)花宴「かのしるしの扇は桜のみへかさね」

とある。椅子ということで王朝時代のイメージになったか、これでもかと香を焚き込んだ衣類とする。

 七十四句目は卓袋の三回目。

   三重がさねむかつく斗匂はせて
 座敷のもやうかふる名月     卓袋

 名月の明りに座敷も模様替えしたかのようにいつもと違う風情がある。
 七十五句目は角上の三回目。

   座敷のもやうかふる名月
 漣や我ものにして秋の天     角上

 漣(さざなみ)は志賀に掛る枕詞で、琵琶湖の波のことになる。名月を映してきらめく琵琶湖を眺める座敷は、まるで秋の天を我が物にしたかのようだ。堅田の浮御堂のイメージか。元禄四年の、

 錠明て月さし入よ浮御堂     芭蕉

の句がある。
 七十六句目は膳所の牝玄の二回目。

   漣や我ものにして秋の天
 経よむうちもしのぶ聖霊     牝玄

 盂蘭盆会に転じる。それこそ浮御堂で一人こっそりとお経をあげるお坊さんとしたか。
 七十七句目は土芳の三回目。

   経よむうちもしのぶ聖霊
 かろがろと花見る人に負れ来て  土芳

 前句の聖霊を旧暦二月二十二日の聖徳太子の聖霊会(しょうりょうえ)としたか。
 ウィキペディアに、

 「 江戸時代(明治3年まで)には、門外にある太子堂での四箇法要(唄、散花、梵音、錫杖という四つの声明曲を具備した法要)の前半を行なったのち、楽人・衆僧らの右方・左方の行進により聖徳太子像と仏舎利が境内の六時堂に渡御、安置され、堂の前で舞楽を伴う法要があり、その後、本尊への奉納と参詣者の娯楽をかねて演奏される「入調」と呼ばれる舞楽が十数曲行われ、再び太子堂へ還御し四箇法要の後半を行うという組み合わせだった‥」

とあるが、この聖徳太子像の渡御を「負れ来て」としたか。
 七十八句目は芝柏の四回目。

   かろがろと花見る人に負れ来て
 村よりおろす伊勢講の種     芝柏

 伊勢講でお伊勢参りに行った人は、農作物の種をお土産に持ち帰ったという。

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