昨日言ったことを、一つの神話にしてみた。
かつて神様はいつもこう言ってました。
この地球という船は、全員を乗せる程大きくありません。
男は武器を持って戦い、勝ったものだけが乗ることができます。
女は美しさを競い、男に選ばれたものだけが乗ることができます。
しかし、人も何とかみんな全員仲良く船に乗ることができないか、知恵を絞りました。
そうだ、船を大きくすればいい。なければ作ればいいんだ。
これが近代資本主義の始まりでしたとさ。
やがて船は大きくなりました。
ですけどそれ以上に人口が増えてしまいます。これでは争いは無くなりません。
そのうち人は子供をあまり作らなくなりました。そして争いのない平和な世界が実現しました。
でも、世界ではまだそうならない地域が沢山あります。いつか世界中が平和になりますように。
マルクス・エンゲルス共著の『共産党宣言』(堺利彦訳 幸徳秋水訳、青空文庫)には、こう記されている。
「ブルジョアジーは、僅かに百年ばかりの階級的支配の中に、過去一切の諸時代を合したよりも、一そう多量な、一そう巨大な生産力をつくり出した。自然力の征服、大機械、工業および農業における化學の應用、汽船、鐵道、電信、全世界各地の開墾、河川航路の開鑿、呪文をもつて地下から呼び起したやうな全人口の増殖、――およそこれほどの生産力が社會的勞働の胎内に眠つてゐたとは、いかなる前時代にもかつてその徴候がなかつたではないか。」
マルクスはこの「全人口の増殖」には注意を払ってなかった。ここに注意を払ったのはマルサスの方だった。しかし、生産力の多少の向上が人口増加によって食い尽くされることに気付かなかったわけではないだろう。
ただそれが当時一般に侵略の方に結びついていたために、仮に侵略という手段を奪われたなら逆に飢餓をもたらす、という予測はしなかったのかもしれない。
そして、
「ブルジョアジーが封建制度を顛覆したその武器が、今はブルジョアジー自身に向けられてゐる。
ただしブルジョアジーは、自分を殺すべき武器を鑄造したばかりでなく、またその武器を使用すべき人物をつくりだした。すなはち近代の勞働者、プロレタリヤがそれである。」
という時、革命の主体は封建制度の旧勢力ではなくプロレタリアであることをはっきり自覚していた。旧勢力は生産性を下の低い状態に戻してしまう。プロレタリアならブルジョワの高い生産性を維持できると信じたとするなら、それはプロレタリアが資本主義の生産性向上のシステムを乗っ取ると考えたとしか考えられない。
だが、二十世紀に起きた社会主義革命は資本主義を否定し、遥かに生産性の劣る官僚支配と計画経済を採用した。それでも自ら帝国主義の担い手となった旧ソ連はそれなりの発展を遂げたが、そうでない鎖国的な社会主義はことごとく飢餓に陥った。
「共産主義は誰人に對しても、社會的産物を獲得する力を奪ふものではない。ただその獲得によつて、他の勞働を屈服させる、その力を奪ふのである。」
と書いてあるにもかかわらず、二十世紀の社会主義革命は資本主義が作り出した「社會的産物を獲得する力」を破壊してしまった。
マルクスが空想的社会主義に向けた批判、
「しかしこの社會主義は、その積極の目的においては、昔の生産交換方法とともに、昔の財産關係および昔の社會を復興しようとするか、さもなくば、近世の生産交換方法を、舊財産關係(近世の生産交換方法によつて刎ねとばされたところの、また刎ねとばされねばならなかつたところの、その舊財産關係)の外殼の中に、無理に再び押しこまうとするのであつた。いづれにしても、それは反動的であり、また空想的であつた。」
と、これはそのまま二十世紀の社会主義に当てはまるのではないかと思う。
この間違いのもとになったのは「私有財産」の概念の不明瞭さによるものではないかと思う。
「世人は我々共産主義者を非難していふ。共産主義者は、人が自己の勞働によつて獲得したところの個人的財産を廢絶しようとする。すなはちあらゆる個人的の自由、活動、および獨立の根底たる財産を廢絶しようとする、と。」
私有財産は個人的財産とははっきり区別されている。
「資本家たることは、生産界において、單純なる個人的地位をもつばかりでなく、また一の社會的地位をもつことである。資本は協力的産物である。多數部員の共同作業によつてのみ、いな、それを究極すれば、社會全員の共同作業によつてのみ働かされうるものである。」
資本は共同作業の産物でありながら、それが私有されている限りにおいて「私有財産」とよばれるのであり、資本が共同で運用されるのが本来の資本の在り方だということが示されている。この資本の共同運用にかかわらないものは「個人財産」にすぎない。
「故に資本は決して個人的の力でなく、一つの社會力である。
故に資本が共有財産(すなはち社會全員の財産)に變更される場合、それは個人的財産が社會的財産に變更されるのではない。ただその財産の社會的特質が變更されるのである。すなはち財産の階級的性質が失はれるのである。」
ただどのような仕方で資本が共有されるべきなのかは、ここからはわからない。
いうまでもなく、今日資本は基本的には出資者(株主)の共有財産になっていて、一個人が資本を所有することはほとんどない。
今日の労働者は少なくとも銀行などに預金を持つ限り、間接的に資本に係わっている。ただ運用の権利を銀行に全面的に委託しているだけだ。仮に国家が資本を所有したとしても、運用を国家に委託して、自ら何の権利を持たないという点では変わりはない。
労働者が資本の運用に関して何の権利も持たないような状態を、果たしてマルクスが望んでいたのかどうか、問題はそこだろう。
それでは「なきがらを」の巻の続き。
三表、五十一句目は正秀の二回目。
煮た粥くはぬ春の引馬
小機嫌につばめ近よる堀の上 正秀
前句の引馬を、単に馬に乗らずに引いて行くこととして、暖かくなって熱い粥を食う必要もなくなり、ツバメも塀の上に飛来している。そんな暖かい日で、人も機嫌がよくなるし、天候の機嫌も良い。
五十二句目は膳所の囘鳧の二回目。
小機嫌につばめ近よる堀の上
洗濯に出る川べりの石 囘鳧
春のうららかな日には川に洗濯に行く。
五十三句目の朴吹は膳所の人で初登場。
洗濯に出る川べりの石
日によりて柴の値段もちがふ也 朴吹
婆さんが川に洗濯にと来れば爺さんは山に柴刈って、このフレーズがこの時代にあったかどうかは知らないが、こういう分業は普通だったのだろう。
刈った柴は自宅で使用するだけでなく、売りに行って小銭を稼ぐ。柴が値崩れしている時期には爺さんも川へ洗濯に行ったのだろうか。
五十四句目は堅田本福寺の角上で二回目。
日によりて柴の値段もちがふ也
袋の猫のもらはれて鳴 角上
野良猫は捕まると簀巻きにされて川に沈められたりもしたが、ここでは飼い主が決まって目出度し目出度し。
前句の日によって値段も違うというところから、猫の運命もいろいろあるという所で付けている。
五十五句目は泥足の二回目。
袋の猫のもらはれて鳴
里迄はやとひ人遠き峯の寺 泥足
猫が引き取られたのは山奥の寺だった。
余談だが、近代の「山寺の和尚さん」という唱歌は、福岡県うきは市にある大生寺の和尚さんがモデルだという。
五十六句目は尚白の二回目。
里迄はやとひ人遠き峯の寺
聞やみやこに爪刻む音 尚白
「爪刻む音」がよくわからないが、都では爪をきちんと手入れしているということか。山奥の寺に都の噂を付ける。
五十七句目は伊賀の卓袋の二回目。
聞やみやこに爪刻む音
七ツからのれども出さぬ舟手形 卓袋
前句を都に用事があるとして、船旅にする。
七つはこの場合夜の七つで寅の刻であろう。夜もまだ明けぬうちから船に乗っているが、船手形がないので関所を通過できない。
江戸の中川船番所では船手形を必要としていたが、関西の方でもそういう場所があったのだろう。
五十八句目は大阪の芝柏の三回目。
七ツからのれども出さぬ舟手形
二季ばらひにて国々の掛 芝柏
「二季ばらひ」は盆と暮とに支払いを行うことで、日本中どこでも大体掛け売りは二季払いだった。前句を盆暮れの決算期の舟の混雑としたか。
五十九句目は膳所の探芝の二回目。
二季ばらひにて国々の掛
内に居る弟むす子のかしこげに 探芝
決算期の忙しさに、弟や息子が頼もしく見えてくる。
六十句目は膳所の游刀の二回目。
内に居る弟むす子のかしこげに
うしろ山迄刈寄るの萱 游刀
弟と息子のおかげで山の方まで萱を刈ることができた。
六十一句目は膳所の楚江の二回目。
うしろ山迄刈寄るの萱
此牛を三歩にうれば月見して 楚江
萱を刈って売った後は牛も三歩(三分)で売って月見する。金三分は牛の相場として高いのか安いのかはよくわからない。
六十二句目の魚光は膳所の人で初登場。浪化編『有磯海』に、
子をつれて岩にふりむく雉子哉 魚光
の句がある。
此牛を三歩にうれば月見して
すまふの地取かねて名を付 魚光
地取(ぢどり)は相撲の稽古で、月夜に相撲というのはよくある事だったか。元禄二年山中三吟にも、
花野みだるる山のまがりめ
月よしと角力に袴踏ぬぎて 芭蕉
の句がある。
六十三句目は其角の三回目。
すまふの地取かねて名を付
社さえ五郎十郎立ならび 其角
五郎十郎というと曽我兄弟だが、神社で相撲を取ると、五郎十郎だとか称する人たちがいたりしたのか。
六十四句目は風国の二回目。
社さえ五郎十郎立ならび
所がらとて代官を殿 風国
前句を箱根権現(今の箱根神社)としたか。曾我兄弟がここに預けられて武道を磨いた。箱根は小田原藩と沼津代官の両方が支配していた。
0 件のコメント:
コメントを投稿