2021年11月12日金曜日

 今日も晴れて良い天気で、電車で小田原へ行き、小田原城から箱根一夜城の方を散歩した。
 小田原城のお堀にはカモやバンがいて、早川には青鷺がたくさんいた。ミカン畑の中の道を登って行くと、海や丹沢の山がよく見えた。
 一夜城ヨロイヅカファームでパンとシュークリームを買って食べた。
 そのあとは入生田の方へ降りて、風祭のCAFE107でビールを飲んで帰った。

 それでは風流の方を。
 元禄四年一月上旬、大津で、乙州(おとくに)が江戸へ行くということで、芭蕉、珍碩、素男、智月、凡兆、去来、正秀らによる餞別興行が行われる。
 この時は二十句で終わるが、芭蕉がこの巻を伊賀に持ち帰り半残、土芳、園風、猿雖で二十一句目から三十二句目まで継がせ、暮春に芭蕉が上京したときに嵐蘭、史邦、野水、羽紅に残り四句を継がせて満尾している。一巻は『猿蓑』に収録されることになる。芭蕉の句は発句を含めて三句のみ。
 発句は、

   餞乙州東武行
 梅若菜まりこの宿のとろろ汁   芭蕉

で、これから江戸までの旅の間に至る所で梅を見るだろうし、芽生えたばかりの若菜も見ることだろう、そして宿では新鮮な若菜を食べることだろうし、そうそう丸子宿のとろろ汁も美味い頃だ、と江戸への旅路を羨んでみせて、乙州を喜ばそうというものだ。
 脇は、

   梅若菜まりこの宿のとろろ汁
 かさあたらしき春の曙      乙州
 (梅若菜まりこの宿のとろろ汁かさあたらしき春の曙)

 江戸へと旅立つにあたって旅に不可欠な笠を新調し、真新しい笠でこの春の曙に旅立って行きますと、芭蕉の餞別に対しての「行ってきます」の挨拶となる。
 六句目。

   片隅に虫齒かかへて暮の月
 二階の客はたたれたるあき    芭蕉
 (片隅に虫齒かかへて暮の月二階の客はたたれたるあき)

 虫歯の痛みを抱えて一人たそがれているのに加えて、二階にいたはるばる遠方より来たお客さんまで帰ってしまうとますますたそがれてしまう。
 九句目。

   稲の葉延の力なきかぜ
 ほつしんの初にこゆる鈴鹿山   芭蕉
 (ほつしんの初にこゆる鈴鹿山稲の葉延の力なきかぜ)

 これは西行法師の、

 鈴鹿山うき世をよそにふり捨てて
    いかになりゆくわが身なるらむ
              西行法師(新古今集)

を本歌としている。
 前句の「力なき風」に無常の思いを読み取り、発心を付けている。
 十四句目に智月の句がある。女性の俳席への参加は珍しく、芭蕉との同座はこの一句と、芭蕉最後の「白菊の」の巻の園女以外に例を見ない。

   萩の札すすきの札によみなして
 雀かたよる百舌鳥の一聲     智月
 (萩の札すすきの札によみなして雀かたよる百舌鳥の一聲)

 前句は『撰集抄』巻六第八の「信濃佐野渡禅僧入滅之事」の本説による付けで、本説の後の逃げ句は難しい。
 ここでは「札」のことは単なるたまたまあった景色の一部とみなし、

 裾野には今こそすらし小鷹狩
     山のしけみに雀かたよる
              藤原良経(夫木抄)

を本歌として付けている。小鷹狩の所をモズに変えている。

 元禄四年の七月、京での興行で丈草が登場する。路通は奥州行脚から戻り、冤罪も晴れて復帰する。惟然も久しぶりの登場。発句は、

 蠅ならぶはや初秋の日数かな   去来

で、七月初秋も既にお盆も過ぎて、秋になって久しくなりました、という挨拶になる。
 七月も日数を経て、うるさく飛び回ってた蠅も、今は静かに並んで止まっている。
 さすがに「蠅ならぶ」に寓意はない(と思う)。俳諧らしい題材ということで出したのであろう。
 脇は芭蕉で、

   蠅ならぶはや初秋の日数かな
 葛も裏ふくかたびらの皺     芭蕉
 (蠅ならぶはや初秋の日数かな葛も裏ふくかたびらの皺)

と、葛の葉が秋風に裏返るように、帷子にも皺が寄ると付ける。初秋から秋風を連想するが、風と言わずして風を表現している。
 葛の裏葉は、

 秋風の吹き裏返す葛の葉の
     うらみてもなほうらめしきかな
              平貞文(古今集)

などの古歌による。
 四句目で丈草の登場となる。

   小燈を障らぬ萩にかけ捨て
 釣して来る魚の腸        丈草
 (小燈を障らぬ萩にかけ捨て釣して来る魚の腸)

 前句を河原の萩として、小燈で照らしながらの夜釣りとする。前句の「かけ捨て」を魚の腸を取ってかけ捨てるとする。
 七句目。

   只そろそろと背中打する
 打明ていはれぬ人をおもひ兼   芭蕉
 (打明ていはれぬ人をおもひ兼只そろそろと背中打する)

 前句を自分で自分を元気づけようとする仕草として、恋に悩むさまに転じる。嫌いな人から打ち明けられて、それが断りづらい相手だと最悪だ。
 十二句目。

   夕まぐれ煙管おとして立帰り
 泥うちかはす早乙女のざれ    芭蕉
 (夕まぐれ煙管おとして立帰り泥うちかはす早乙女のざれ)

 夕暮れで煙管を落としたので田んぼの道を戻っていると、田植を終えた早乙女が泥を掛け合って遊んでいる。
 七句目と言い、出典にもたれずに軽い付けを心掛けているように思える。
 十七句目。

   室の八島に尋あひつつ
 陸奥は花より月のさまざまに   芭蕉
 (陸奥は花より月のさまざまに室の八島に尋あひつつ)

 これは芭蕉さん自身の『奥の細道』の旅の感想だろう。夏から秋で花の季節ではなかった。
 二十二句目。

   物申は誰ぞと窓に顔出して
 疹してとる跡のやすさよ     芭蕉
 (物申は誰ぞと窓に顔出して疹してとる跡のやすさよ)

 疹は「はしか」。発疹の跡がしばらく残ることがあるがやがて消える。
 伝染病なので見舞いに来た人がいても、出ていくわけにもいかない。誰が来たのかなと窓から確認する。
 二十七句目。

   畑の中に落る稲妻
 崩井に熊追落す夕月夜      芭蕉
 (崩井に熊追落す夕月夜畑の中に落る稲妻)

 雷が落ちたのにびっくりして、熊が使われなくなった井戸に落ちる。
 三十二句目。

   ほととぎす声々鳴て通りけり
 烟の中におろすはや桶      芭蕉
 (ほととぎす声々鳴て通りけり烟の中におろすはや桶)

 「はや桶」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「早桶」の解説」に、

 「〘名〙 粗末な棺桶。手早く作って間に合わせるところからいう。
  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)奉納弍百韻「富士の嶽いただく雪をそりこぼし〈信章〉 人穴ふかきはや桶の底〈芭蕉〉」

とある。火葬の場面とする。
 ホトトギスは死んだ望帝杜宇の霊がホトトギスになり、農耕を始める季節が来るという伝承もあり、そこから人の死の暗示を読み取っての付けになる。
 特定の故事にの本説でも俤でもないし、付け句の方も「はや桶」で死を匂わすだけの匂い付けになる。
 この一巻は惟然の参加もあってのことか、意図的に出典をはずした軽い付けを試み、いわゆる「軽み」の風への一歩を踏み出した瞬間だったのかもしれない。

 同じ七月、

 牛部屋に蚊の声よはし秋の風   芭蕉

を発句とする興行が行われる。去来の弟子の野童が参加する。
 季節はまだ初秋で、匂いのぷんぷん籠るような牛小屋にもさわやかな秋風が吹いて、蚊の声も弱ってきている。
 八句目。

   笈摺もまだ新しくかけつれて
 遊行の輿をおがむ尊さ      芭蕉
 (笈摺もまだ新しくかけつれて遊行の輿をおがむ尊さ)

 遊行は遊行上人のこととも取れるが、特に誰と言うことでもなく単に諸国を行脚して回る高僧のことを言っているだけなのかもしれない。
 いずれにせよ、まだ発心したばかりの笈摺もまだ新しいお遍路さんが、駆けつけては拝みに来る。
 十五句目。

   薄縁叩く僧堂の月
 分別の外を書かるる筆のわれ   芭蕉
 (分別の外を書かるる筆のわれ薄縁叩く僧堂の月)

 「分別」がないということは恋を連想させる。
 これよりあとの元禄七年の「牛流す」の巻に、

   朝の月起々たばこ五六ぷく
 分別なしに恋をしかかる     去来

の句がある。僧堂の僧が分別もなく恋文を書いたりするが、僧だけに相手は稚児さんか。
 「筆のわれ」は墨がかすれて線が一本でなくなることを言う。

 元禄四年八月十六日、近江堅田の成秀亭での興行は路通、丈草、惟然、正秀なども交え、総勢十九人でのにぎやかな興行となった。芭蕉の句は発句と十六句目の二句のみ。
 発句は、

   堅田既望
 安々と出でていさよふ月の雲   芭蕉

 十六夜の月が待つ程もなく出てきたが、すぐに雲に隠れなかなか姿を現さず、これをそのまま詠んだのがこの日の興行の発句だった。
 十六句目。

   糊こはき袴に秋を打うらみ
 鬢のしらがを今朝見付たり   芭蕉
 (糊こはき袴に秋を打うらみ鬢のしらがを今朝見付たり)

 人間の一生を四季に喩えれば、春は青春秋は白秋、老化で白髪が混じる時期になる。いわゆる「さび」を感じさせる句だ。

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