何か漠然とした考えでまだもやもやしてるんだが、多産多死と人権思想って最初から矛盾していたのではなかったか。自由・平等・博愛、その理想は立派だけど、増えすぎて農村に留まれなくなった人々すべてに平等の生存権を与えた瞬間から、飢餓か侵略かの二択になってしまったのではなかったか。
フランス人は躊躇せずにナポレオンを担ぎ上げて侵略の道を選択した。イギリスには新大陸があった。
溢れ出る人口に農業生産が追い付かなくなれば、閉じた系であれば一人当たりの食糧が徐々に減って行き、やがて飢餓に至る。それを回避するには農地を拡大するしかない。開かれた系であれば、そこに他国の農地を奪うという選択肢が生じる。
江戸時代の日本は閉じた系だったが、開国によっていきなり開かれた系になった。戦後のいくつかの社会主義国家は閉じた系を選択して飢餓と粛清の嵐を経験した。資本主義社会主義関係なく旧ソ連は左翼の間からも露帝と呼ばれた侵略国家だった。
少産少死でやっと可能な人権思想を、多産多死のフロンティアに押し付けることはできないし危険なことだ。その少産少死の国でも大量の移民を受け入れたら実質的に多産多死と変わらなくなる。その矛盾に気付くべきだ。
まあ、こんなことを言っても人権思想を宗教みたいに信じている人にはわからないと思うが。人権思想は矛盾している。それを自覚しないと結局西洋世界は失敗する。
二裏、三十七句目の木枝は大津の人で、浪化編『有磯海』に、
明月や里の匂ひの青手柴 木枝
の句がある。
四ツになる迄起さねば寐る
ねんごろに草鞋すけてくるる也 木枝
ねんごろは丁寧にとか一心にとかいう意味で、「すけて」は下駄だと鼻緒を差し込むことだが、草鞋の場合は緒を横にある輪の中に通して鼻緒にする作業のことか。
「くるる」はこの場合は日が暮れるの意味であろう。
旅体の句で、すぐに旅立てるように草鞋の準備をしながら夕ぐれには寝てしまい、誰も起さなかったのでそのまま翌朝九時まで寝てしまった。
三十八句目は発句を詠んだ其角に戻る。
ねんごろに草鞋すけてくるる也
女人堂にて泣もことはり 其角
女人堂はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「女人堂」の解説」に、
「〘名〙 女がこもって読経や念仏をする堂。寺の境内の外にある。特に女人禁制であった高野山のものが有名。
※浮世草子・椀久一世(1685)上「是かや女人堂、一日の事ながら女を見ぬこと悲しく」
とある。
浄瑠璃や説教節の『苅萱』の本説だろうか。出家した父を追って妻子が高野山に行くが、女人禁制ゆえに妻の方は逢うことができなかった。
三十九句目の角上はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「三上角上」の解説」に、
「1675-1747 江戸時代中期の僧,俳人。
延宝3年生まれ。三上千那の養子。近江(おうみ)(滋賀県)の浄土真宗本願寺派本福寺の住持。隠退して京都に瞬匕亭(しゅんひてい)を,のち大津園城寺のちかくに荷(にない)庵をむすんだ。松尾芭蕉の門人。延享4年5月8日死去。73歳。近江出身。別号に瞬匕亭,夕陽観など。法名は明因。著作に「白馬紀行口耳」。」
とある。『続猿蓑』に、
江東の李由が祖父の懐旧の法事に、
おのおの経文題のほつ句に、弥陀
の光明といふ事を
小服綿に光をやどせ玉つばき 角上
の句がある。
女人堂にて泣もことはり
ひだるさも侍気にはおもしろく 角上
侍気は侍気質のことで、「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあるように、空腹でもそれを表に出さないで、何のこれしき面白いではないか、と開き直るが、同じく腹をすかせた女房はたまったもんでもない。女人堂に駆け込む。
四十句目は大阪の之道に二回目。
ひだるさも侍気にはおもしろく
ふるかふるかと雪またれけり 之道
腹ペコもなんのその、雪も降るなら降って見ろ、それが武士だ。
四十一句目は京の去来の二回目。
ふるかふるかと雪またれけり
あれ是と逢夜の小袖目利して 去来
前句を雪が降れば目当ての男を留め置くことができる、という意味にし、逢瀬にやって来る男の小袖を見て値踏みする。
四十二句目は伊賀の土芳の二回目。
あれ是と逢夜の小袖目利して
椀そろへたる蔵のくらがり 土芳
祝言の席であろう。客をもてなすための椀が揃えられた蔵で、今夜用いる小袖を吟味する。
四十三句目は大阪の芝柏の二回目。
椀そろへたる蔵のくらがり
呑かかる煙管明よとせがまるる 芝柏
蔵の中で火を用いるのは危ないし、煙も籠るから、煙管を吸うのをやめて片付けろということか。
四十四句目は膳所の臥高の二回目。
呑かかる煙管明よとせがまるる
ふとんを巻て出す乗物 臥高
駕籠に乗って帰るので、蒲団を巻いて、煙管を仕舞い、出て行く。
四十五句目は尚白で初登場。大津の人で貞享の頃からの古い門人。千那とともに近江蕉門の基礎を作ったとも言われる。
ふとんを巻て出す乗物
弟子にとて狩人の子をまいらする 尚白
貧しい狩人が子供を何かの弟子にと送り出すが、荷物は蒲団一つ。
四十六句目は膳所の昌房の二回目。
弟子にとて狩人の子をまいらする
月さしかかる門の井の垢離 昌房
垢離は仏教用語で、身を清める冷水のこと。前句の弟子を仏門の弟子とする。
四十七句目の丹野は初登場。大津の能太夫で、元禄七年六月に丹野亭で「ひらひらと」の巻の興行があり、この時に同座している。
月さしかかる門の井の垢離
軒の露筵敷たるかたたがへ 丹野
この場合の「かたたがへ」は古代陰陽道の方違えだと意味が通じないので、単に方向違いということか。道に迷いお寺の軒を借りて、筵を敷いて寝る。
四十八句目は丈草の二回目。
軒の露筵敷たるかたたがへ
野分の朝しまりなき空 丈草
台風の去った後の朝は、大気の乱れから雲も乱れている。軒には雨露が吹き込んで、筵もあらぬ方に吹っ飛んでいる。
四十九句目は惟然に二回目。
野分の朝しまりなき空
花にとて手廻し早き旅道具 惟然
秋の野脇の頃から花見の旅を思い立ち、旅道具を揃える。芭蕉の『笈の小文』の旅立ちのイメージか。
江戸桜心かよはんいくしぐれ 濁子
の餞別句があった。
五十句目は膳所の霊椿の二回目。
花にとて手廻し早き旅道具
煮た粥くはぬ春の引馬 霊椿
前句を大名の行列を仕立てての花見としたか。槍・打ち物・長柄傘・挟箱・袋入れ杖などの旅道具を急遽揃えて、粥を食う暇もなく飾り立てた引馬の手配をする。
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