2021年11月21日日曜日

 小学館の『仮名草子集』の「御伽物語」を読み始めた。最初の「すたれし寺を」に出て来るのはドラクエ的に言うと、メラゴースト、サーベルきつね、とつげきうお、おおにわとり、ポンポコだぬきかな。
 巻二に出て来る蜘蛛のモンスターは女郎蜘蛛ということで女性設定なのか。蜘蛛子の原型?
 「#岸田政権の退陣を求む」というツイッターのことは2チャンネルにもスレが立っているが、その反応を見ていると、相変わらず正体不明の連中がいるようだ。反ワク、眞子様と同じ連中じゃないかって気がする。匿名をいいことに右翼を装っているが、一般的に右側の連中はこれに同調していない。
 前にも書いたが高市さんはリベラルで極右ではない。ただ、左翼基準だと「日本共産党に同調しない連中はすべて一緒、米帝の手先」ということで、みんな極右だというだけのことだ。これだと筆者も極右のネトウヨということになる。
 まして高市さんに狂信的な支持者集団がいるなんてことも事実とは思えない。それは安倍信者なるものが実体のないのと一緒だ。

 元禄七年五月、芭蕉が上方へ向けての最後の旅に出る前、深川の子珊亭で「紫陽花や」の巻が興行される。
 発句は、

 紫陽花や藪を小庭の別座敷    芭蕉

 藪というと、いかにも草ぼうぼう木がぼうぼうの荒れたところで殺風景なイメージがあるが、そこに紫陽花の花が咲くと急に見違えるかのように、まるでそこだけ別座敷になったかのように見える。
 「別座敷」はこの場合比喩で、「小庭」というくらいだから、本当はそれほど広い家ではなく、狭い家が別座敷になったみたいだと洒落ただけと見た方がいい。
 十一句目。

   ちいさき顔の身嗜よき
 商もゆるりと内の納りて     芭蕉
 (商もゆるりと内の納りてちいさき顔の身嗜よき)

 「ゆるり」というのは今でいう「ゆるい」に近いか。まあ、あまりがつがつ稼ごうとしなくても、のんびりゆったりと楽しながらそれでいてちゃんと成り立っていて、家内も丸く納まるなら言うことはない。
 「ちいさき顔」からその人物を見定めての位付けになる。
 十六句目。

   秋来ても畠の土のひびわれて
 雲雀の羽のはえ揃ふ声      芭蕉
 (秋来ても畠の土のひびわれて雲雀の羽のはえ揃ふ声)

 さてまたまたこれは難しい。秋は三句続けなくてはいけないのに「雲雀の羽のはえ揃う」は練雲雀で夏になってしまう。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』では六月の所に、

 「練雲雀 ○凡六月、毛をかへて旧をあらたむ。俗呼て練雲雀と称す。毛かふるとき、其飛こと速かならず。故に鷹を放てこれを捕ふ。これを雲雀鷹と云。」

とある。
 『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の補注に引用されている『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)や『華実年浪草』(三余斎麁文、宝暦三年刊)にも練雲雀や雲雀鷹への言及がある。
 おそらくこの頃から芭蕉は談林の頃の形式的な季語の考え方に疑問を持つようになったのだろう。
 連歌では季語は実質的にその季節の情を持つかどうかが重視されていて、季節感のないものは季語を用いても「ただ〇〇」として無季扱いになることもあった。
 貞門もそれを受け継いでいたが、談林の時代に式目をかいくぐるマリーシアとして、形だけの季語が普通に用いられるようになった。特に「露」などは便利な言葉として、涙の比喩としての露でも秋として扱われた。
 この頃から季語がなくても実質その季節であれば良いという方向で、この句も「練雲雀」という季語を外すことで、夏ではなく秋として用いたのではないかと思う。
 二十句目の八桑の句。

   正月の末より鍛冶の人雇
 濡たる俵をこかす分ヶ取     八桑
 (正月の末より鍛冶の人雇濡たる俵をかす分ヶ取)

 これは「鍛冶」を「梶」に取り成したか。今では「梶」は船の方向を変えるための道具だが、本来は船を進めるための櫓や櫂を意味していた。
 前句の「正月の末より」は捨てて、舟漕ぐ人足を雇って、難破船から濡れた米俵を転がし、山分けした。
 二十一句目の芭蕉はこれに応じて、取り成しで返す。

   濡たる俵をこかす分ヶ取
 昼の酒寝てから酔のほかつきて  芭蕉
 (昼の酒寝てから酔のほかつきて濡たる俵をこかす分ヶ取)

 これも「俵」の「瓢」への取り成しだろう。
 昼間っから酒を飲んでいい気持ちになってうとうとしていると急に酔いが回ってきて、酒のこぼれて濡れた瓢箪を分けてもらって飲もうとしてひっくり返す。
 春の「菊もらはるるめいわくさ」もあったが、この頃から芭蕉は大胆な取り成しの面白さを追求し始めている。「八九間」の巻の二十五句目にも、

   槻の角のはてぬ貫穴
 濱出しの牛に俵をはこぶ也    芭蕉

の句があった。
 同じ五月、山店の餞別句、

 新麦はわざとすすめぬ首途かな  山店

を立句とした両吟歌仙が興行される。
 新麦はここでは大麦のことと思われる。麦飯に用いられる。そのまま焚いて食べる分には、やはり取れたてがいい。小麦は熟成を必要とする。新麦では粘りが足りない。
 ここで新麦のご飯をすすめてしまうと、もっと食べたくなって旅に出るのをやめてしまいかねないから、という意味だろう。
 それに答えての芭蕉の脇。

   新麦はわざとすすめぬ首途かな
 また相蚊屋の空はるか也     芭蕉
 (新麦はわざとすすめぬ首途かなまた相蚊屋の空はるか也)

 これからの旅を想像してのもので、相蚊屋というのは庵に同居して芭蕉の身の回りの世話をしていた二郎兵衛少年を連れていくから、ともに同じ蚊帳の中に寝ることになるというもの。
 九句目。

   ほしがる者に菊をやらるる
 蓬生に恋をやめたる男ぶり    芭蕉
 (蓬生に恋をやめたる男ぶりほしがる者に菊をやらるる)

 失恋し、「もう恋などしない」という色男だろう。蓬生の里の家に籠るが何にも興味が持てず、庭の菊なども人に与えてしまう。
 菊は「菊もらはるるめいわくさ」の句で人名に取り成したことがあったが、ここでも比喩として、自分の恋してた人も他の男にくれてやる、という意味が含まれているのかもしれない。
 十一句目。

   湿のふきでのかゆき南気
 丹波から便もなくて啼烏     芭蕉
 (丹波から便もなくて啼烏湿のふきでのかゆき南気)

 丹波は京に近いが山の中にある。山陰方面の街道も東海道や奈良大坂方面への街道に比べれば人も少なく、寂れた印象がある。
 そんな丹波の知人からの便りもなく、一人部屋で疥癬に苦しむ。
 丹波だから、より寂しげになる。これが「近江から便りもなくて」では印象がかなり違ってくる。
 十五句目。

   ただ原中に月ぞさえける
 神鳴のひつかりとして沙汰もなき 芭蕉
 (神鳴のひつかりとして沙汰もなきただ原中に月ぞさえける)

 「ひつかり」はピッカリ。雷は光るだけ何事もなく去っていった。
 これは稲妻のことだが、稲妻という言葉を使うと秋になる。前句の「冴ゆる月」は冬。
 三十句目。

   鶏をまたぬすまれしけさの月
 畠はあれて山くずのはな     芭蕉
 (鶏をまたぬすまれしけさの月畠はあれて山くずのはな)

 葛の花は夏の季語だが、それを避けて秋にするためにあえて「山葛の花」としたか。形式季語から実質季語への一つの試みであろう。
 句の方は、人々の心が荒んでいて、畑も荒れ放題になっているということか。
 三十二句目。

   日光へたんがら下す秋のころ
 くれぐれたのむ弟の事      芭蕉
 (日光へたんがら下す秋のころくれぐれたのむ弟の事)

 前句は収穫の少ない田んぼに生えるという田芥子(たんがら)を引っこ抜いて日光にさらすという句。
 ここでは前句の「たんがら」を丹殻染のこととして、日光(地名)へ出荷すると取り成し、日光へ行く人に弟の事を託す。

 元禄七年五月二十三日か二十四日、名古屋の荷兮亭での十吟歌仙興行が行われる。
 荷兮、越人など蕉風確立期の立役者との久しぶりの同座だ。
 発句は、

 世は旅に代かく小田の行戻り   芭蕉

 代掻き作業は田んぼを端から端まで何往復もするもので、芭蕉さんも今まで旅をしていたけど、江戸と名古屋の間は何度も行ったり来たりしている、と自嘲気味な挨拶とする。
 裏には、これまでひたすら新風を追い求めてきたけど、同じところを行ったり来たりしているだけではないか、という思いがあったかもしれない。
 これに対して荷兮の脇は、

   世は旅に代かく小田の行戻り
 水鶏の道にわたすこば板     荷兮
 (世は旅に代かく小田の行戻り水鶏の道にわたすこば板)

で、小田を行ったり来たりするのでしたら、その水鶏の住む水田に板を渡して、歩きやすくしてあげましょう、と答える。
 十句目は取り成し句。

   一門の広きは事のあき間なし
 蕨をかられて雑穀積るる     芭蕉
 (一門の広きは事のあき間なし蕨をかられて雑穀積るる)

 前句を空いた部屋がないということにして、庭の蕨を刈り取って、そこに雑穀の俵を積み上げる。
 三十一句目。

   扨は無筆のしるる正直
 江戸の子が影で酒おも下さるる  芭蕉
 (江戸の子が影で酒おも下さるる扨は無筆のしるる正直)

 江戸に出て行った子供に密かに酒を送る。当時は上方の方が酒の質が良かった。前句の無筆を手紙はないが、という意味に取りなす。

 元禄七年五月二十五日、名古屋の西、今の愛西市の辺りの佐屋の隠士山田庄右衛門宅での芭蕉・露川・素覧による三吟半歌仙が巻かれる。
 発句は、

   隠士山田氏の亭にとどめられて
 水鶏啼と人のいへばや佐屋泊   芭蕉

 水鶏の鳴く声の聞こえる所だと聞いたので、この佐屋に泊まることにしました、という挨拶になる。
 四句目。

   朝風にむかふ合羽を吹たてて
 追手のうちへ走る生もの     芭蕉
 (朝風にむかふ合羽を吹たてて追手のうちへ走る生もの)

 追手はここでは「おふて」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追手」の解説」に、

 「おう‐て おふ‥【追手】
  〘名〙
  ① 敵の正面を攻撃する軍勢。大手。⇔搦手(からめて)。
  ※源平盛衰記(14C前)三四「木曾義仲、〈略〉西門へぞ追手(ヲフ)手にとて向ひける」
  ② 城郭の正門。表門。大手。
  ※太平記(14C後)三「一万二千余騎、梨間の宿のはづれより、市野辺山の麓を回て、追手へ向ふ」

とある。
 何かが城の大手門へと入っていったのだろう。門の向こうへ行ってしまうと、もう追いかけられない。追手(おって)が追手(おうて)で追えなくなる。
 それにしても、生き物は何だったのか。
 十句目。

   尻敷の縁とりござも敷やぶり
 雨の降日をかきつけにけり    芭蕉
 (尻敷の縁とりござも敷やぶり雨の降日をかきつけにけり)

 雨が降ると一日茣蓙の上に座り、何か書き物をする。芭蕉自身の閉門の頃の体験かもしれない。
 十六句目。

   うそ寒き言葉の釘に待ぼうけ
 袖にかなぐる前髪の露      芭蕉
 (うそ寒き言葉の釘に待ぼうけ袖にかなぐる前髪の露)

 駆け落ちの約束をしたのだろう。女は現れなかった。ありそうなことだ。

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