2021年11月7日日曜日

 岩波の『仮名草子集』の「身の鏡」を読んだ。これは当時の武家のオヤジが読んでいそうな、今でいう自己啓発本に近い。「歌道の事」に万治の頃の貞門時代の点取り俳諧のことが記されている。

 「殊に今時俳諧の点取とて、一句を二銭三銭づつにて、宗匠に見するならば、百韻にては銭二三百のついへ、塵積もつて山となるといへば、年月の俳諧のついへ限りなし」

と、あえて歌道好きな人の言葉として書いているが、著者自身の考えであろう。人の言ったことにして責任逃れをするのはよくあることだ。自分が思っていることでも、友達から聞いた話なんだけど、と言うようなもの。

 さて、続き。
 山中三吟の二十一句目は芭蕉の推敲過程が辿れる。

   銀の小鍋にいだす芹焼
 手まくらにしとねのほこり打払ひ 芭蕉
 (手まくらにしとねのほこり打払ひ銀の小鍋にいだす芹焼)

評語

   手枕におもふ事なき身なりけり 翁
   手まくらに軒の玉水詠め侘   同
   てまくら移りよし。汝も案ずべしと有けるゆへ
   手枕もよだれつたふてめざめぬる  枝
   てまくらに竹吹ふきわたる夕間暮  同
手まくらにしとねのほこり打払ひ   翁
ときはまりはべる。

 芹焼はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「芹焼」の解説」に、

 「〘名〙 焼き石の上で芹を蒸し焼きにした料理。転じて芹を油でいため、鳥肉などといっしょに煮た料理もいう。《季・冬》
  ※北野天満宮目代日記‐目代昭世引付・天正一二年(1584)正月一四日「むすびこんにゃく、せりやき三色を折敷にくみ候て出候」

とある。

 芹焼や縁輪の田井の初氷     芭蕉

という晩年の句もある。
 日本では野菜を生で食う習慣がなく、芹も蒸したり炒めたり煮込んだりして、火を通して食べた。この場合の初案、

   銀の小鍋にいだす芹焼
 手枕におもふ事なき身なりけり

だと、手枕をして手持ち無沙汰で待っているのだから、この場合は煮物であろう。
 推敲の方は何か一つ取り囃しが欲しいということであろう。「おもふ事なき」を直接ではなく、何かそれを匂わすようにということで、

   銀の小鍋にいだす芹焼
 手まくらに軒の玉水詠め侘

となる。

   銀の小鍋にいだす芹焼
 手枕もよだれつたふてめざめぬる 北枝

はあるあるネタで笑いを取ろうとする。

   銀の小鍋にいだす芹焼
 てまくらに竹吹ふきわたる夕間暮 北枝

は景で流した感じにする。

 我がやどのいささ群竹吹く風の
     音のかそけきこの夕べかも
              大伴家持(万葉集)

が本歌で、そのまんまという感じもする。

    銀の小鍋にいだす芹焼
 手まくらにしとねのほこり打払ひ 芭蕉

の最終案は、あるあるネタだが、あまり人が気に留めないネタということで、これに定まったのだろう。
 二十四句目。

   つぎ小袖薫うりの古風也
 非蔵人なるひとのきく畠     芭蕉
 (つぎ小袖薫うりの古風也非蔵人なるひとのきく畠)

評語

  非蔵人なるひとのきく畠   同
我、此句は三句のわたりゆヘ、向へて附玉ふにやと申ければ、うなづき玉ふ。

 非蔵人というと、禁中に出入りできる貴族の中では一番下の部類で、蔵人見習いみたいな微妙な立場だが、昔から結構風流人が多い。『古今著聞集』巻十九には順徳院のときのこととして、

 「内裏にて花合ありけり、人々めんめんに風流をほどこして花たてまつりけるに、非蔵人孝時、大なる桜の枝を両参人してかかせて、南庭の池のかたに ほりたて たりけり。」

とある。こういう華道の達人なら、さぞかし立派な菊の畠を持っているのだろう。
 「向むかへて附玉つけたまふ」というのは、中世連歌でいう「相対付け」のことで、三句同じ趣向が続くこと(三句の渡り)を避けるために、大きく展開を図りたいときに用いられる。
 ここでは「薫物売り」と「非蔵人」が対になる。

 山中三吟で曾良と別れた後、芭蕉は再び小松に戻り、

 あなむざんやな冑の下のきりぎりす 芭蕉

を発句とする興行が行われる。この句も後に

 むざんやな甲の下のきりぎりす  芭蕉

の形で『奥の細道』の句となる。
 十六句目。

   鵙落す人は二十にみたぬ㒵
 よせて舟かす月の川端      芭蕉
 (鵙落す人は二十にみたぬ㒵よせて舟かす月の川端)

 猟師は殺生を生業とするため、身分的には何らかの差別を受けていたのだろう。ウィキペディアには

 「各村の「村明細帳」などに「殺生人」と記される「漁師」・「猟師」などの曖昧な存在もあり、士農工商以外を単純に賤民とすることはできない。」

とあり、いわゆる穢多・非人ではないが、何らかの区別はあったようだ。
 漠然と被差別民とみなすなら、河原に縁があったのかもしれない。
 十九句目。

   去年の軍の骨は白暴
 やぶ入の嫁や送らむけふの雨    芭蕉
 (やぶ入の嫁や送らむけふの雨去年の軍の骨は白暴)

 藪入りは奉公人だけでなく、嫁も実家に帰ることができた。夫が同伴する地域もあったという。
 江戸時代には奉公人の帰省の日になったが、本来は嫁が実家に帰る日だったという説もあり、前句を戦国時代として、藪入りの古い形を付けたのかもしれない。
 二十二句目。

   うつくしき佛を御所に賜て
 つづけてかちし囲碁の仕合     芭蕉
 (うつくしき佛を御所に賜てつづけてかちし囲碁の仕合)

 御所を碁所に取り成したか。「碁所」は一般的には「ごどころ」だが、「ごしょ」と読むこともあったのだろう。仕合は「しあはせ」と読む。
 二十八句目。

   竹ひねて割し筧の岩根水
 本家の早苗もらふ百姓       芭蕉
 (竹ひねて割し筧の岩根水本家の早苗もらふ百姓)

 前句を苗代水としたか。苗は本家の敷地でまとめて作られていて、分家がそれをもらいに来るというのはよくあることだったか。芭蕉も農人の出だから、幼少期の経験なのかもしれない。
 三十一句目。

   討ぬ敵の絵図はうき秋
 良寒く行ば筑紫の船に酔      芭蕉
 (良寒く行ば筑紫の船に酔討ぬ敵の絵図はうき秋)

 「良」は「やや」と読む。仇を討つために筑紫の船で旅をするのだが、船酔いして情けない。
 筑紫船「めづらしや」の巻二十三句目にも、

   寝まきながらのけはひ美し
 遥けさは目を泣腫す筑紫船     露丸

というふうに登場している。

 八月二十一日、芭蕉は大垣に到着する。しばらくは長い旅の疲れを癒したのだろう。九月三日にようやく「野あらしに」の巻半歌仙が興行される。
 十句目。

   いとおしき人の文さへ引さきて
 般若の面をおもかげに泣      芭蕉
 (いとおしき人の文さへ引さきて般若の面をおもかげに泣)

 愛しき人に裏切られたのだろう。文を引き裂いて般若の顔で泣く。
 十三句目。

   薬たづぬる月の小筵
 薄着して砧聞こそくるしけれ   芭蕉
 (薄着して砧聞こそくるしけれ薬たづぬる月の小筵)

 前句の「小筵」を筵を着た乞食として、砧の音も悲しげだが、砧打つような衣すらない乞食はもっと苦しい、とする。

 九月四日には大垣左柳亭で、

 はやう咲九日も近し宿の菊    芭蕉

を発句とした歌仙興行が行われる。曾良とも再開し、他にも路通、越人、木因、荊口一家の参加する賑やかな会となった。
 十四句目。

   飽果し旅も此頃恋しくて
 歯ぬけとなれば貝も吹れず    芭蕉
 (飽果し旅も此頃恋しくて歯ぬけとなれば貝も吹れず)

 長いこと旅から遠ざかった前句の人物を修験者とする。修験者は巡礼もすれば登山もする。ただ、年老いて歯も抜けて法螺貝を吹くこともできなくなると、さすがに昔を恋しがるだけになる。
 二十九句目。

   尼に成べき宵のきぬぎぬ
 月影に鎧とやらを見透して    芭蕉
 (月影に鎧とやらを見透して尼に成べき宵のきぬぎぬ)

 透けて見えるのは亡霊だ。残念ながら主人は戦死しました。明日からは尼です。

 九月六日、芭蕉は曾良、路通とともに伊勢長島へ行き、大智院に滞在し、九月八日に七吟歌仙が興行される。
 十三句目。

   月見ありきし旅の装束
 さまざまの貝ひろふたる布袋   芭蕉
 (さまざまの貝ひろふたる布袋月見ありきし旅の装束)

 『奥の細道』の旅での敦賀の記憶だろう。

 潮染むるますほの小貝拾ふとて
     色の浜とは言ふにはあるらん
              西行法師

の歌で知られていて、芭蕉もここで、

 寂しさや須磨にかちたる浜の秋  芭蕉
 波の間や小貝にまじる萩の塵   同

の句を詠んでいる。
 二十七句目。

   薬手づから人にほどこす
 田を買ふて侘しうもなき桑門   芭蕉
 (田を買ふて侘しうもなき桑門薬手づから人にほどこす)

 桑門は「よすてびと」と読む。自ら薬を作って人に施すのは殊勝なことだが、それには先立つものがなくてはならない。
 田を買い寺領を所有し、経済的基盤を固めなくてはならない。
 三十四句目。

   打むれてゑやみを送る朝ぼらけ
 麦もかじけて春本ノママ     芭蕉
 (打むれてゑやみを送る朝ぼらけ麦もかじけて春本ノママ)

 「春本ノママ」は「春」の下の文字が読めなかったということで、春がどうなったのかは想像するしかない。まあ、大変なことになったのは確かだ。
 「かじける」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 「①  寒さで凍えて、手足が自由に動かなくなる。かじかむ。 「手ガ-・ケタ/ヘボン 三版」
 ②  生気を失う。しおれる。やつれる。 「衣裳弊やれ垢つき、形色かお-・け/日本書紀 崇峻訓」

とある。麦が旱魃で萎れてしまい、春だというのに‥‥。これは飢饉だ。疫病神を追い払う儀式が行われる。

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