2021年11月28日日曜日

 今日も良い天気だが大分寒くなってきた。やはり冬だ。
 マスクをする習慣って、一度身に着いちゃうと外しにくいのではないかと思う。前は冬になるといつも扁桃腺が腫れて、薬など飲んでいたけど、去年今年と何事もない。マスクしていると冬に風邪引かないし、口元にいろいろ気を使わなくても良いから、案外楽なんじゃないかと思う。
 早く他所の国もそうなるといいと思う。
 『伽婢子(おとぎぼうこ)』の続きを読んだ。牡丹灯籠の話があったが、タイトルは有名だがどういう話かは知らなかった。今の牡丹灯籠は近代の落語が元になっているらしく、『伽婢子』のは中国の『剪灯新話』の「牡丹燈記」の翻案だという。これが元ネタになって、日本独自の「牡丹灯籠」の物語が作られていったようだ。
 「鬼谷に落て鬼となる」「地獄を見て蘇」は江戸時代の儒教と仏教との関係が反映されているのか。「鬼谷」のほうは儒教は唯物論ではなく、あくまで陰陽不測として、語らないだけで否定はしないというところで神仏との調和を保っている。
 「地獄」の方は、仏教は何で金が掛かるのか、という問題を孕んでいる。尼となり法師となっても戒律を守らず施物で贅沢三昧していれば地獄に落ちる、という所で折り合いを付けている。
 仏教は何で金がかかるのかというと、多産多死という所から考えるなら、農村の生産力を越えた人口が口減らしではなく、生きて村落から排除された時、彼らもまた生きる権利を主張する。そこで農民の生存を脅かさない程度の施物で生活するというのが、一つの妥協点になる。
 施物がなければ僧は餓死する。施物を過剰にふんだくれば農民が餓死する。その瀬戸際の取引で、僧は功徳を与えるから、その代償として施物をせよという妥協が生じる。仏教は純粋な信仰だけの問題ではなく、僧の生活がかかっている以上、仏教は金がかかるのが当然という論理になる。多分中世西洋の免罪符も同じ論理なのだろう。
 やがて都市の商工業が発達すると、そこで発明された新技術が農村の生産性向上に還元されるようになる。この循環が生じると、農村を追われた人口が都市の商工業に吸収されて行き、その分僧の比重が軽くなる。そうなると、宗教は生活手段から次第に心の問題になってくる。西洋の宗教改革もその辺りで説明できるのかもしれない。
 源氏物語の澪標巻を読み進めているが、源氏と紫との会話がだんだん「りゅうおうのおしごと」のくず竜王とあいのイメージになってくる。

 二表、二十三句目は伊賀の土芳で、『三冊子』を書き表したことでもよく知られている。

   多羅の芽立をとりて育つる
 此春も折々みゆる筑紫僧     土芳

 筑紫僧は特に誰ということでもなく、遠くからやって来る雲水の僧というイメージなのだろう。
 今年もやって来た筑紫僧のために多羅の芽を育てる。そのやり方も筑紫僧に教わったのかもしれない。
 二十四句目も伊賀の卓袋が付ける。

   此春も折々みゆる筑紫僧
 打出したる刀荷作る       卓袋

 筑紫僧は顔が広いのだろう。腕の良い刀鍛冶なども知っていて、遠くの武家から取次ぎを頼まれたりする。
 ここでは出来上がった刀を依頼主に届ける。
 二十五句目は膳所の霊椿。浪化編『有磯海』に、

   芭蕉翁の住捨給ひける幻住庵を
   あづかり侍りければ
 初雪や去年も山で焼豆腐     霊椿

の句がある。

   打出したる刀荷作る
 四十迄前髪置も郷ならひ     霊椿

 前髪をそり上げる月代は元禄の頃には成人男子の標準的な髪型になったが、江戸初期には前髪を生やして髷を茶筌にしている人も多かった。
 前句を刀鍛冶として、古風な茶筌頭をしていたのだろう。四十過ぎて初老になると、さすがに禿げてくるので月代を剃っていたか。
 二十六句目は京の去来の弟子の野童が付ける。元禄三年の「ひき起す」の巻、元禄四年の「牛部屋に」の巻などに芭蕉と同座している。

  四十迄前髪置も郷ならひ
 苦になる娘たれしのぶらん    野童

 女性の場合も元禄期には島田髷が定着したが、それ以前は長い髪を後ろで束ねるだけの女性も多かった。
 四十になるまで髪を結い上げない女性のところに、誰が忍んでやって来るのだろうか、と恋に転じる。
 二十七句目の素顰は膳所の女性で、浪化編『有磯海』に、

   梅がえにこそ鶯は巣をくへ
 もずの子をそだて揚るや茨くろ  素顰

の句がある。

   苦になる娘たれしのぶらん
 一夜とて末つむ花を寐せにけり  素顰

 前句を『源氏物語』の末摘花とする。忍んで来るのは言わずと知れた‥。
 二十八句目の万里も膳所の女性。浪化編『有磯海』に、

       かまくらの女郎はすゝ竹のつめ
   比丘定 だに織ものゝ手おほひ
       うつの宮がさを
             きりゝとめされて
 秋ののを舞台に見たる薄かな   万里

の句がある。

   一夜とて末つむ花を寐せにけり
 祭の留守に残したる酒      万里

 何処の娘か、祭の留守にたまたま置いてあった酒に酔って寝てしまう。酔って顔が赤くなったので「末つむ花」と呼ばれる。
 二十九句目の誐々は大津の人。

   祭の留守に残したる酒
 河風の思の外も吹しめり     誐々

 祭の日だが川風が湿っていて雨が降りそうなので、酒を家に残してきた。
 三十句目の這萃は膳所の人。

   河風の思の外も吹しめり
 薮にあまりて雀よる家      這萃

 風が湿っているので雀は薮に帰るが、一部の雀は家の植え込みか生垣で雨をやり過ごす。
 三十一句目は彦根の許六が付ける。江戸で四回芭蕉と同座したが、満尾したのは二回だけだったという。

   薮にあまりて雀よる家
 鹽売のことづかりぬる油筒    許六

 前句の薮の近くの雀の沢山集まってくる家を海から遠い片田舎と見て、塩売が山の方に売に通うついでに手紙を届けてもらう。状箱なんてものもなく、油筒に手紙を入れる。この「油筒」が取り囃しで工夫した所だろう。
 三十二句目の囘鳧は膳所の人。浪化編『有磯海』に、

 水うちて跡にちらほふ蛍かな   囘鳧

の句がある。

   鹽売のことづかりぬる油筒
 月の明りにかけしまふ絈     囘鳧

 絈は「かせ」。紡いだ糸を巻く桛木(かせぎ)のことか。
 月の明りで紡績をしていた女のところに、塩売が愛しい人の手紙を持って来たので、片づけてもてなす。
 結局塩売と結ばれるなんて落ちがありそうだが。
 三十三句目の荒雀は京都嵯峨の人。なぜか嵯峨は「京」とは別扱いになる。去来門であろう。
 浪化編『有磯海』に、

 露もるや精霊棚のうりなすび   荒雀

の句がある。

   月の明りにかけしまふ絈
 秋も此彼岸過せば草臥て     荒雀

 暑さ寒さも彼岸までというが、秋の彼岸は夏の疲れが出る頃でもある。月は明るいが、今日は一休みする。
 三十四句目の楚江も膳所の人。芭蕉が元禄四年の名月の会を木曽塚で行ったときのことが、支考の『笈日記』に、

  「三夜の月
   是もむかしの秋なりけるが今年は月の本ずゑ
   を見侍らんとて待宵は楚江亭にあそび
   十五夜は木そ塚にあつまる。」

とある。このあとの堅田の成秀亭での「安々と」の巻にも参加している。

   秋も此彼岸過せば草臥て
 くされた込ミに立し鶏頭     楚江

 前句の「草臥て」を植え込みのコンディションが悪くて、やっとのことで咲いている鶏頭のこととする。
 三十五句目の野明は去来門で嵯峨の人。

   くされた込ミに立し鶏頭
 小屏風の内より筆を取乱し    野明

 小屏風はものを書く時に見られないように立てる。腐った庭の植え込みに取り乱して何かを書き付ける。
 三十六句目は風国。京の人で後に芭蕉の句を集めた『泊船集』を編纂する。

   小屏風の内より筆を取乱し
 四ツになる迄起さねば寐る    風国

 何に腹を立てたのか、筆を取り乱した後ふて寝する。昼の四つは午前九時前後で、それまで寝る。

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