今日も良い天気だが、遠出の方は一休みして図書館へ行った。
小学館の方の『仮名草子集』を借りてきた。「艱難目異誌(かなめいし)」から読み始めた。浅井了意は当時の人気作家だったのか、『東海道名所記』が有名なようだが。
「艱難目異誌」は寛文二年五月一日の寛文近江・若狭地震の時の話で、その時の見聞きした頃や噂話なども含めて、基本的には笑えるような面白い話を記したと言っていいだろう。
今だったらすぐに「不謹慎だ」と言われそうな話だし、多分いつの時代にもそういう不謹慎厨がいて不謹慎狩りはあったのだろうけど、基本的に人間というのはどんな悲惨な状況に置かれても、笑い飛ばすことで乗り切って行くものだ。
浅井さんも多分それを配慮して作者署名なしで出版したのだろう。
タイトルの要石は地震を起こす鯰を封印するための石で、鹿島神宮や香取神宮にある。それを艱難辛苦に掛けている。
地震が起きた時に「空かきくもり、塵灰の立ちおほひたるやうに見えて、雨気の空にもあらず、夕立のけしきにもあらず。」というのは土埃のことか。地震によって起きる土埃の前後の記憶がごっちゃになって、こういうのが噂で伝わってゆくうちに、いつのまにか「地震雲」なんてものができたのかもしれない。
昔だとそれが龍が飛び立ったという噂になったか。
地震の二日後に火球が現れたのは偶然だろう。
あと、
棟は八つ門は九つ戸はひとつ
身はいざなぎの内にこそすめ
の歌は「朕はいつものように皇居にいるから安心しろ」という意味ではなかったか。「門は九つ」は御所九門のことで、八棟は御所の主要な八つの建物、八棟九門を合わせて、一つの家という意味で一戸。そこには伊弉諾以来の皇統を持つ者が住んでいる。
中巻はシリアスな内容になり、崖崩れ、それに伴う水害、津波、地割れなどのことが記されている。
下巻の三は、これが原因でこの文を記すことになったという物語にして、一応の落ちにしている。
さて、風流の方は昨日の続き。
同じ年の閏八月、膳所で「御明の」の巻が興行される。
十句目。
山づたひ伊賀の上野の年ふりて
狂歌の集をあみかかりけり 芭蕉
(山づたひ伊賀の上野の年ふりて狂歌の集をあみかかりけり)
伊賀が出たものだからここは自虐ネタで、狂歌の集を編纂しようとした、とする。『冬の日』の最初の歌仙で「狂句こがらし」と自称しているから、本当は狂句の集だが。
十五句目。
新酒の酔のほきほきとして
語る事なければ君にさし向ひ 芭蕉
(語る事なければ君にさし向ひ新酒の酔のほきほきとして)
会話が持たずについつい酒ばかり飲んでしまう。男にはよくあることだ。
二十二句目。
見るばかり細工過たるもみ佛
湖水を呑て胸にさはらず 芭蕉
(見るばかり細工過たるもみ佛湖水を呑て胸にさはらず)
これは取成し句で、前句を「見るばかり細工過たるも、御仏」としたか。良く出来た仏像で、湖の底に沈んでたのが発見された。寺の起源とかによくある霊験譚だ。
三十句目。
相組に男所帯のきれいずき
おはるるごとに法華あらそふ 芭蕉
(相組に男所帯のきれいずきおはるるごとに法華あらそふ)
何か追及されるとそのたびに法華経を持ち出して反論する、ということか。日蓮の徒はあまり人と妥協しないというイメージがあったのだろう。
この巻でも古典にもたれない軽い付けが続く。
九月三日膳所で「うるはしき」の巻が興行される。
二十八句目。
弓と矢もまだいたいけに膝まづき
白髪さし出す簾のあわせめ 芭蕉
(弓と矢もまだいたいけに膝まづき白髪さし出す簾のあわせめ)
若い武将が父の戦死を知らされる場面だろう。御簾の向こうの母が遺髪を差し出す。
状況は全く違うが、
手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜 芭蕉
の句が思い起される。
貞享四年「京までは」の巻二十句目の、
うき年を取てはたちも漸過ぬ
父のいくさを起ふしの夢 芭蕉
や元禄二年「はやう咲」の巻二十九句目の、
尼に成べき宵のきぬぎぬ
月影に鎧とやらを見透して 芭蕉
などと同じテーマといっていい。
この後芭蕉は江戸に下ることになる。その途中大垣で、「もらぬほど」の巻半歌仙が巻かれる。
十二句目。
わかれんとつめたき小袖あたためて
おさなきどちの恋のあどなき 芭蕉
(わかれんとつめたき小袖あたためておさなきどちの恋のあどなき)
幼い者同士の恋というと『伊勢物語』の筒井筒しか思い浮かばないが、出典とするほどのものでもないし、王朝時代に限定するものでもない。ごく軽い俤といえよう。
十七句目。
峠に月のさえて出かかる
初花の京にも庵ンを作らせて 芭蕉
(初花の京にも庵ンを作らせて峠に月のさえて出かかる)
「庵ン」は「あん」。「庵」だけだと「いほ」か「あん」かわからないから「ン」を補っている。隠者の住居の「いほ」と区別する必要があったとすると、ここでは茶室のことか。逢坂山の方から月が登るのが見える。
三河新城(しんしろ)でも「其にほひ」の巻の十二吟歌仙が興行される。支考が同座する。
その支考は五句目で登場する。
はやう野分の吹てとる也
洗濯のいとまをもらふ宵の月 支考
(洗濯のいとまをもらふ宵の月はやう野分の吹てとる也)
台風が去れば台風一過で良い天気になるから、雲が切れて宵の月が出た時点で洗濯をする時間をもらう。生活感の現れている軽い付けだ。
十四句目。
華すすきわかき坊主の物ぐるひ
額やぶれたる白雲の月 芭蕉
(華すすきわかき坊主の物ぐるひ額やぶれたる白雲の月)
坊主の物狂いで寺は荒れ果てて、山門の額も壊れたままになって、雲の合間の月だけが昔のままだ。
十六句目は支考の句。
猪の追れてかへる哀なり
茶ばかりのむでけふも旅立 支考
(猪の追れてかへる哀なり茶ばかりのむでけふも旅立)
夜興引の声を聞きながら、追われる猪に同情するこの旅人は、肉も食わなければ酒も飲まない。
二十四句目。
かご作るそばにあぶなく目をふさぎ
松葉の埃のにゆる鍋蓋 芭蕉
(かご作るそばにあぶなく目をふさぎ松葉の埃のにゆる鍋蓋)
前句の「目をふさぎ」から籠の竹とは違う尖ったものということで松葉を導き、松葉の埃(ごみ)で火を焚いて鍋を煮ていると展開する。
松葉は油を含んでいるため、落ちた葉を拾い集めて焚き付けなどに用いた。
二十七句目の支考の句。
雪ふりこむでけふも鳴瀧
にこにこと生死涅槃の夢覚て 支考
(にこにこと生死涅槃の夢覚て雪ふりこむでけふも鳴瀧)
前句を山の中の禅寺とし、瞑想による無の境地から我に返る瞬間とする。物事があるがままに存在し、花は紅柳は緑の状態で、雪も瀧の音もただそこにあるがままに存在する。
生死涅槃は生死即涅槃で、ウィキペディアには、
「大乗仏教における空の観念から派生した概念である。生死即涅槃の即とはイコールと捉えられやすいが微妙にやや異なる。この場合の「即」とは、和融・不離・不二を意味する。
迷界(迷いの世界)にいる衆生から見ると、生死(生死=迷い)と涅槃には隔たりがある。しかしそれは煩悩に執着(しゅうじゃく)して迷っているからそのように思うだけで、悟界(覚りの世界)にいる仏の智慧の眼から見れば、この色(しき、物質世界)は不生不滅であり不増不減である。したがって、いまだ煩悩の海に泳いでいる衆生の生死そのものが別に厭うべきものではなく、また反対に涅槃を求める必要もない。
言いかえれば、生死を離れて涅槃はなく、涅槃を離れて生死もない。つまり煩悩即菩提と同じく、生死も涅槃もどちらも差別の相がなく、どちらも相即(あいそく)して対として成り立っている。したがってこれを而二不二(ににふに)といい、二つであってしかも二つではないとする。これは維摩経に示される不二法門の一つでもある。」
とある。
涅槃は死後のものではなく、生きながら得られるというこうした発想は、涅槃をある種の真理の体験だと解釈することによる。つまり様々な日常の先入見から解放されて、対象をそれが存在するがままにあらしめる、いかなる解釈も可能でありながらそのどれもなされていない自由な状態、判断を中止した空っぽの状態として捉えるところにある。
こうした発想はどこにでもあるもので、朱子学では既発に対しての未発の状態であり、風雅の誠も基本的にここに属する。西洋の現象学が判断中止(エポケー)によって対象の本質を直観するというのも、同じ発想だ。
こうして得られる真理は一種の感覚というか状態であって、何らかの命題を得られるわけではない。むしろハイデッガーが「真理の本質は自由である」というように、答えがない空っぽの状態(フリーな状態)が真理だということになる。
支考が『葛の松原』で古池の句をこの生死涅槃の文脈で捉えた可能性は十分にあるが、支考の場合は子規と違って写生に価値を見出すのではなく、むしろその意味のなさこそが日常の先入観に満ちた見方からの超越であって、そのまま俳諧の笑いにも適用された。ナンセンスな笑いをもたらすこともまた一つの超越であり、それは俗から遊離したものでなく、俗の中に見出されることに意味があった。
ただ、支考が芭蕉と違ってたのは、あくまで曇り亡き目で見た世界を描くことに終始し、新しい言葉や新しい発想を生み出す方向に行かなかったことだ。新味に欠け、多くの人の印象に残るキャッチーなフレーズを生み出せなかった。それは、せっかく得た自由をただ表現するだけで、新たなものの創造に十分生かしきれなかったということではないかと思う。
同じ冬、三河新城滞在中にもう一つの十二吟歌仙が興行される。発句は、
此里は山を四面や冬籠り 支考
で早速芭蕉に気に入られ、発句を詠むにまで至ったようだ。
三河新城は豊川市の北東の豊川を遡った盆地にある。長篠の戦いのあった長篠城跡もこの近くにある。
四方山に囲まれた土地柄を踏まえての挨拶になる。
十一句目。
代継を祈ル久世の観音
侘人に明ケてほどこす小袖櫃 芭蕉
(侘人に明ケてほどこす小袖櫃代継を祈ル久世の観音)
小袖櫃は小袖を入れる櫃。小袖を収納するための小型の櫃をいう。「小袖櫃(を)あけて侘び人にほどこす」の倒置。
乞食に衣類の施しをする事でご利益を得ようとする。
十一句目はこの句に支考が付ける。
侘人に明ケてほどこす小袖櫃
あられはらめく谷の笹原 支考
(侘人に明ケてほどこす小袖櫃あられはらめく谷の笹原)
「あられはらめく」は霰がぱらつくこと。侘び人の住んでいるところを付ける。
信濃路や木曽の御坂の小笹原
わけゆく袖もかくや露けき
藤原長方(続後撰集)
を本歌として「わけゆく」を分けて施すに掛けたか。
二十句目。
やうやうと峠にかかる雲霞
複子のしめる味噌の曲物 芭蕉
(やうやうと峠にかかる雲霞複子のしめる味噌の曲物)
複子(ふくす)は雲水の僧が行脚する際、荷物を入れるために用いる風呂敷のことで、曲物(まげもの)は杉や檜などで作った桶のように丸い器。
峠を越える雲水の僧は、味噌の入った曲物を複子で包んで持ち歩いてが、峠道で雲霞に巻かれて湿り気を含む。
二十七句目の支考の句。
小づらのにくき衣々の月
さまざまの恋は馬刀貝忘レ貝 支考
(さまざまの恋は馬刀貝忘レ貝小づらのにくき衣々の月)
馬刀貝(まてがひ)は「待て」に掛かる。
忘れ貝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「忘貝」の解説」に、
「① 二枚貝の、離れた一片。また、それに似ているところから一枚貝の殻。拾えば恋しい思いを忘れることができると考えられていた。こいわすれがい。
※万葉(8C後)一五・三六二九「秋さらばわが船泊てむ和須礼我比(ワスレガヒ)寄せ来ておけれ沖つ白波」
② マルスダレガイ科の二枚貝。鹿島灘以南に分布し、浅海の砂底にすむ。殻長約七センチメートル。殻は扁平でやや丸く、厚くて堅い。色彩は変化に富むが表面は淡紫色の地に美しい紫色の放射彩や輪脈模様のあるものが多い。食用にする。殻は細工物に利用される。ささらがい。」
とある。
後朝にはいろいろあって、待ってほしいということもあれば、忘れてしまいたいということもある。有明の月も感情は様々で、憎く思える時もある。
この興行では支考は技巧的な付け方を見せている。
二十八句目。
さまざまの恋は馬刀貝忘レ貝
乞食と成て夫婦かたらふ 芭蕉
(さまざまの恋は馬刀貝忘レ貝乞食と成て夫婦かたらふ)
駆け落ちというと心中という結末が思い浮かぶが、乞食となりながらも仲睦まじくハッピーエンドというパターンもあっていいのではないか。そんな願望の句であろう。
「かたらふ」は『源氏物語』などでは性交の暗示もある。
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