小学館の『仮名草子集』の「浮世物語」を途中まで読んだ。
まあ、クズでも生きて行かなくてはならないというところで、いろいろ悪知恵を使うが、失敗してトホホ、というパターンで、最近は少ないが昔は結構このパターンってあったかな。
品行方正な正義の味方ばかりが主人公では面白くないという所で、今でも『無職転生〜異世界行ったら本気だす〜』なんてもの流行るわけで、中国では叩かれてたみたいな。
まあ、偉い人だけが生きている社会なんてのは間違っているわけで、才能がなくても一生懸命隙間を見つけて何とか自分の居場所を作らなくてはいけない。それを胸糞と思うのは、多分自分が偉いと思っている人なんだろうな。
「博奕の事」で「おいちょかぶ」の語源が分かった。おいちょは追重でポルトガル語のOcho、かぶは迦烏でポルトガル語のcaboから来ているらしい。ブラックジャック系のゲームで博奕に用いられる。
「ぬす人の事」の三人の盗人の話は聞いたことがあるなと思ったら、オリジナルではなく出典があるのね。
COP26が終わったようだが、今まではCO2が中心だったが、ここにきてメタンガスの問題になるとなかなか穏やかではない。
CO2は基本的に化石燃料の問題で、地中に埋もれていた炭素が燃焼することで炭酸ガスが増えるだけで、植物を燃やしても炭酸ガスは増えないという所で安心していられた。
ただ、メタンガスということになると、三千年の歴史のある水田稲作が真っ先にやり玉にあげられることになる。牧畜の方も既にビーガンなんかが騒いでいるが、水田もダメということになると欧米の麦作地帯が圧倒的に有利になる。中国は北が麦作で南が水田、政府は北京。
CO2の方も結局日本では東電とトヨタがなー。地震や火山や台風のある日本では既存原発の再稼働はリスクが大きい。それに多くは老朽化している。液体トリウムや核融合を開発するならいいが。
CO2削減に失敗すると水田を人質に取られかねない。
元禄四年十月二十九日に江戸に到着した芭蕉と支考は、しばらく日本橋橘町に滞在する。
年が明けて芭蕉と支考の両吟歌仙が巻かれる。
発句は、
鶯や餅に糞する縁の先 芭蕉
で、許六の言う「取り囃し」の見本のような句だ。正月の鶯はあまりに使い古された取り合わせだが、「餅に糞する」と卑俗に落として取り囃すところに新味がある。
どんな卑俗なものの中にも風雅の誠があるというのは、荘子の「道は屎尿にあり」にも通じる。芭蕉のシモネタは基本的にはこの枠の中にある。糞尿を侮蔑的な意味で用いることは好まない。『猿蓑』の「市中は」の巻二十二句目の、
追たてて早き御馬の刀持
でつちが荷ふ水こぼしたり 凡兆
の句は、「糞」だと丁稚の糞まみれを笑うことになるというのがあったのではないかと思う。
支考の脇、
鶯や餅に糞する縁の先
日も真すぐに昼のあたたか 支考
(鶯や餅に糞する縁の先日も真すぐに昼のあたたか)
は、穏やかな日和を付けて応じるもので、『ひさご』の珍碩(洒堂)の「西日のどかによき天気なり」の句を思わせる。
第三も支考で、
日も真すぐに昼のあたたか
薮入は只やぶ入と見せかけて 支考
(薮入は只やぶ入と見せかけて日も真すぐに昼のあたたか)
薮入りは奉公人が一月十五日に帰省を許される日だが、ただ親の元に帰るだけと見せかけて、いろいろ他のことをしたりもしたのだろう。「只やぶ入と見せかけて」に一工夫ある。
四句目。
薮入は只やぶ入と見せかけて
慰みながら箒もつ也 芭蕉
(薮入は只やぶ入と見せかけて慰みながら箒もつ也)
前句のうきうきした雰囲気とは裏腹に、案外現実はこんなものということか。
奉公で掃除をさせられ、実家に帰っても掃除をさせられる。「只やぶ入り」と自分に言い聞かせて、自分を慰める。
九句目。
臺子の間にも居る侍
ぐはらぐはらと音する物を聞にける 芭蕉
(ぐはらぐはらと音する物を聞にける臺子の間にも居る侍)
台子の間に曲者が潜んでいたか、誤って茶釜をひっくり返しガラガラと音をたてる。咄嗟に猫の鳴き真似とかしたりして。
十句目。
ぐはらぐはらと音する物を聞にける
瓦がよれば諸願成就 芭蕉
(ぐはらぐはらと音する物を聞にける瓦がよれば諸願成就)
瓦笥(かはらけ)投げであろう。ウィキペディアに、
「かわらけ投げ(かわらけなげ、土器投げ、瓦投げ)は、厄よけなどの願いを掛けて、高い場所から素焼きや日干しの土器(かわらけ)の酒杯や皿を投げる遊びである。」
とある。
十二句目。
二三年たつのは夢の其ごとく
髪をはやして見違る顔 支考
(二三年たつのは夢の其ごとく髪をはやして見違る顔)
お寺育ちが還俗して、すっかり俗人の顔になった。支考自身のことか。
十三句目。
髪をはやして見違る顔
座敷には行燈つける暮の月 芭蕉
(座敷には行燈つける暮の月髪をはやして見違る顔)
還俗した仲間がお寺で行われる月見の宴に、すっかり立派になった姿で戻ってきた。
古典にもたれず軽く付けるだけでなく、思い切った取り成しで展開を早くするのも、「軽み」の風の特徴と言えよう。
十七句目。
夜明けの星のまだひとつ有
御供に常陸之介もはな心 芭蕉
(御供に常陸之介もはな心夜明けの星のまだひとつ有)
前句を旅立ちの時刻として、花見の旅のお供に常陸之介を連れて行く。武士らしい立派な名前ではあるが、どこか仮名草子『竹齋』の「にらみの介」を連想してしまう。
二十三句目の支考の句。
金を崩して銭をつみ置
松風のずんずんとふく夜中過 支考
(松風のずんずんとふく夜中過金を崩して銭をつみ置)
「ずんずん」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ずんずん」の解説」
「① 傷などが脈搏(みゃくはく)に合わせて間歇(かんけつ)的に痛むさま、物音や寒気などが身体に響くさまなどを表わす語。ずきずき。
※俳諧・七番日記‐文政元年(1818)八月「ずんずんとボンの凹から寒哉」
② 人が脇目もふらないで力強く進んで行くさまを表わす語。〔俚言集覧(1797頃)〕
※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉一「母は矢張無言でずんずん落葉に埋む小途を山へ山へと上って行くから」
③ 物事が遅滞なく、すみやかにすすむさま、また、程度のはなはだしさが容赦なく加わり増すさまを表わす語。どんどん。
※歌舞伎・曾我梅菊念力弦(1818)三立「いつもいつも羨ましい。有る所には、づんづんと金儲けだね」
※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉四「兎に角婦人ですらずんずん上京するものを」
とある。ここでは①の意味で、荒れ狂う風にに不安になる、そういう心理的な状態を表したと思われる。前句の準備で金から銭への両替をし、それを確認する場面とし、旅立ちの不安な雰囲気で付ける匂い付けになる。
「ずんずん」のようなオノマトペも、「軽み」の風ではよく用いられる。
二十四句目。
松風のずんずんとふく夜中過
捨子があると告る門番 芭蕉
(松風のずんずんとふく夜中過捨子があると告る門番)
真っ暗な嵐の夜には、こっそり捨子をする人もいたのだろう。門番というからお屋敷だろうか。前句の不安な雰囲気に捨て子で答える。
二十八句目。
小調市の時から居たる奉公人
瘤がなければ女房取もつ 芭蕉
(小調市の時から居たる奉公人瘤がなければ女房取もつ)
古くからいる奉公人で、主人としては女房をみつけてやりたいが、子持ちだといろいろ難しい。
元禄四年秋の「牛部屋に」の巻十六句目に、
分別の外を書かるる筆のわれ
瘤につられて浮世さり行 路通
の句がある。
三十三句目でも支考はオノマトペを用いる。
雨もあがつてほんの朔日
さらさらと茶漬の飯を喰じまひ 支考
(さらさらと茶漬の飯を喰じまひ雨もあがつてほんの朔日)
「お茶漬けさらさら」という言い方は今でもする。雨は上がっても朔日なので夜は暗い。早めに夕飯を食って仕舞にする。
三十五句目。
口上いふて返す若党
氏神の花も盛に咲揃ひ 支考
(氏神の花も盛に咲揃ひ口上いふて返す若党)
芭蕉の順番だが、ここは支考に花を持たせる。ついでに挙句まで。多分、支考に合格点ということだろう。
田舎の神社での地元の者を集めての花見だろう。遊び盛りの若者を解散させた後は、老人たちが静かに楽しむところか。
「両の手に」の巻は本物かどうか疑いをもたれているし、六年成立説もある。
四句目。
野屋敷の火縄もゆるすかげろふに
山のあなたの鐘聞ゆ也 芭蕉
(野屋敷の火縄もゆるすかげろふに山のあなたの鐘聞ゆ也)
火縄は鳥獣の殺生を連想させるもので、それを諫めるように山の向こうから鐘の音が聞こえてくる。四句目ということもあり、軽く景を添える形で流している。
十三句目。
剥ゲやともらふ老の紅裏
屓軍巧者に引てかへる也 芭蕉
(屓軍巧者に引てかへる也剥ゲやともらふ老の紅裏)
屓軍は「まけいくさ」と読む。前句の剥げの弔いから軍の場面として付けている。
主君は討ち死にしたが、巧者の参謀が率いて軍は撤収し、すっかり剥げた頭で主君を弔う。
十六句目。
見尽して蚊屋へ這入月の友
庵の雑水をすする小男鹿 芭蕉
(見尽して蚊屋へ這入月の友庵の雑水をすする小男鹿)
月見の後、友と一つの蚊帳で眠ると、朝になったら雑炊がなくなっている。「お前か?」「とんでもない、鹿が喰ったんじゃない?」
二十三句目。
てうちん見ゆる町の入口
女房よぶ米屋の亭主若やぎて 芭蕉
(女房よぶ米屋の亭主若やぎててうちん見ゆる町の入口)
町の入口で、いかにもありそうな情景だ。念願の女房を貰って急に若やいだ亭主の顔が浮かんでくる。
二十六句目。
夏寒き関の孫六ぬきはなし
たしなき風の石菖へ来る 芭蕉
(夏寒き関の孫六ぬきはなしたしなき風の石菖へ来る)
「たしなし」は「足し無し」で乏しいという意味。石菖(せきしゃう)はウィキペディアに、
「セキショウ(石菖、学名: Acorus gramineus)は、ショウブ科ショウブ属に属する多年生植物。名称の由来は岩場に生え、ショウブに似ていることから。」
とある。
句の方は勇ましく関の孫六を抜き放つけど、あたりは弱々しい風が石菖を吹くだけで、そのコントラストが笑える。
三十二句目。
糊たちに四手うつ葛の裏表
ずんずとのびる男兄弟 芭蕉
(糊たちに四手うつ葛の裏表ずんずとのびる男兄弟)
前句は衣類に糊をつけて砧で打つ場面で、葛の蔓も伸びるのの早さに、男の子も背が伸びる速さを付ける。糊を打って整えた衣類もすぐに短くなる。
この巻は其角嵐雪の蕉風確立期の重い句にやや苦労した感じはあるが、何とか軽みを伝えようとしているのがわかる。
元禄五年夏の「破風口に」の巻は素堂との両吟だが、素堂が漢詩句で付けている珍しい巻だ。途中がら芭蕉も漢詩句を試みている。
発句は、
納涼の折々いひ捨たる和漢
月の前にしてみたしむ
破風口に日影やよはる夕涼 芭蕉
で、この句は元禄六年刊露川編の『流川集』に、
唐破風の入日や薄き夕涼 芭蕉
の形で収められている。推敲し直した形であろう。
破風口は唐破風や入母屋破風で、大きな寺院や天守閣などに見られる。
昼間は太陽がほぼ真上にあって、屋根の陰がくっきりとつくが、夕暮れになると横から日が当たるために陰がなくなる。夕暮れの弱々しい日に照らされた破風口に、涼しさが感じられる。
素堂の脇は漢詩句で付ける。
破風口に日影やよはる夕涼
煮茶蠅避烟 素堂
(破風口に日影やよはる夕涼 煮茶蠅避烟)
書き下し文にすると「茶を煮れば蠅烟(けぶり)を避く」となる。これを、
破風口に日影やよはる夕涼
茶を煮れば蠅烟(けぶり)を避く 素堂
としてもいい。
茶を煮るは抹茶ではなく、当時広まりつつあった煎茶の原型ともいえる唐茶のことで、隠元禅師の淹茶法がお寺を中心に広まり、元禄期には一般の間にも普及していった。
この場合の破風口はお寺の装飾の施された唐破風であろう。
煙を蠅が避けるというところに、漢詩句とはいえ俳諧らしさがある。
素堂の第三。
煮茶蠅避烟
合歡醒馬上 素堂
(合歡醒馬上 煮茶蠅避烟)
書き下し文にすれば、
茶を煮れば蠅烟を避く
合歡(がふくわん)馬上に醒む 素堂
となる。
「合歡」はネムノキの別名。
漢詩句といっても俳諧なので、ねむの木を「眠る」に掛けて、馬上に居眠りして目覚める、合歓の花の下で、となる。茶の烟と馬上に醒るは、
馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり 芭蕉
の趣向を借りたものであろう。
漢詩としても、
煮茶蠅避烟
合歡醒馬上
とするよりは、
合歡醒馬上
煮茶蠅避烟
の方が納まりがいいから、俳諧のルールに従って、第三だから上句を付けたと見ていい。
四句目。
合歡醒馬上
かさなる小田の水落す也 芭蕉
(合歡醒馬上 かさなる小田の水落す也)
書き下し文だと、
合歡馬上に醒む
かさなる小田の水落す也 芭蕉
となる。
山間に作られた小さな田んぼが重なり合う棚田の風景だろう。馬上の目覚めに長閑な田園風景を付けた、さっと流すような四句目だ。
二十四句目では、芭蕉も漢詩句を付ける。
朝日影頭の鉦をかがやかし
風飱喉早乾 芭蕉
(朝日影頭の鉦をかがやかし 風飱喉早乾)
「風飱(ふうさん)喉早乾(のどはやかはく)」と読む。検索すると中国のサイトに「露宿風飱」だとか「風飱水宿」とかいう言葉が見られる。
露に宿し、風を餐とするというのは飲まず食わずの野宿のことと思われる。
朝日が鉦のように輝く中、野宿しても風しか食うものがなく、早くも喉が乾く。
二十八句目。
霧籬顔孰與
𩅧浦目潜焉 芭蕉
(霧籬顔孰與 𩅧浦目潜焉)
「時雨の浦、目はなみだぐむ」と読む。
潜を涙ぐむと読むのも本来の読み方ではない。水に潜るというところから、目が水に潜る=涙ぐむとしたか。漢詩というよりも当て字といった方がいい。洒落で作った偽漢文と見た方がいいのだろう。
前句の「與」を反語に取り成し、霧のまがきの向こうの顔は誰?誰もいやしないとして、船で海を渡っていった人のことを思い、涙ぐむ人とする。
なお、この巻の漢詩の部分は、
合歡醒馬上 煮茶蠅避烟
月代見金気 露繁添玉涎
挈帚驅倫鼡
舟鍧風早浦 鐘絶日高川
詫教三社本 韻使五車塡
花月丈山閙
剪銀鮎一寸 風飱喉早乾
霧籬顔孰與 𩅧浦目潜焉
山伏山平地 門番門小天
鶺鴒窺水鉢 臨谷伴蛙仙
のように、下句は韻を踏んでいる。
江戸に帰った芭蕉は古い門人に軽みを広めようとしたが、其角嵐雪との「両の手に」の三吟は結局二人に受け入れられず、没になったまま長いこと埋もれてしまったのだろう。素堂とのこの珍しい両吟も、基本的には「軽み」を拒否されたということか。残った杉風だけが炭俵に参加することになる。
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