今日は当時で、カボチャの煮物に柚子湯と定番通りに過ごした。
香港の選挙は他人事ではなく、日本も民主主義革命が起きた場合、党の推薦がなければ立候補できなくなる可能性がある。それが親米政党の非合法化と同時に行われれば、今の香港と何ら変わらなくなる。
移民の受け売れにどこの国も慎重になるのは当然で、無制限というわけにはいかない。移民が一時的な滞在者なら、多くの人が賛成するに違いない。ただ入れたら最後永久に居座るとなると、二の足を踏む。彼らやその子孫が同化を拒否するなら、千年にも二千年にも渡って民族問題を抱え込むことになる。
新しい資本主義は、国家が資本主義に制限を加えるものであってはならない。持続可能性の観点から、何らかの制約を課すにしても、必要最低限にとどめる必要がある。
資本主義に制限を掛ければ分配する元のパイが減ってしまうので、全体が貧しくなる。それで貧しい方へ平等化されると思わない方が良い。貧困は生存競争を過酷にするだけで、今以上に弱者に厳しい社会になる。
分配する元のパイをより大きくし、それでいて貧困を解消しようというのなら、まず投資をする者としない者との分断を解消すべきであろう。ベーシックインカムを投資クーポンという形で配布するのも一つの手ではないかと思う。すぐに金が必要な人は買ってすぐに売ればいいだけの話だ。
余裕がないうちは即売りを繰り返すことで生活できる。余裕ができればそれを投資に回すことができる。投資に失敗しても、元の即売りの生活に戻るだけで、セーフティーネットの機能も果たせる。
もちろん投資と投機ははっきり区別されなくてはならない。クーポンでのFXや仮想通貨などの直接購入はできないようにすべきだ。
「本朝二十不孝」の巻二を読んだ。「我と身を焦がす釜が淵」は石川五右衛門の話だった。いろいろ面白い名前のサブキャラが登場する。「猫のまねの闇右衛門」って、やはり猫のような恰好をしてるのかな。夜目が利くんだろうな。
さて、次は何にしようかと思うと、新暦では年の暮れということで、今年の五月鈴呂屋書庫にアップした『虚栗』の「飽やことし」の巻を若干読みなおしてみた。
発句の前書きを見落としていた。
発句は、
一年三百六十日
開口笑無三日
飽やことし心と臼の轟と 李下
前書きは一年は三百六十日もあるのに、口をあけて笑うことは三日もあればいいという意味で、この三日はおそらく正月と年二回の薮入りであろう。
正月三日休んだら、あとは退屈な日常が延々と続く。俳諧師の日常ではなく、農閑期のある農民の日常でもない。江戸の町の下層労働者を思いやった句であろう。
都市でもある程度豊かな階層は、芝居を見たり遊郭に行ったりという余裕もある。俳諧の読者層もその辺だ。
臼の轟は大きな精米所で一日中粉塵にまみれながら唐臼を踏み続ける人達であろう。唐臼はシーソーのような構造で、一方を足で踏むことで杵を上下させる。これが何台もずらっと並び、それぞれに大きな音を立てる。
ただ、「臼の轟」は江戸の現実であるとともに、出典があって、古典とのつながりを持っている。それは『源氏物語』夕顔巻だ。源氏の君が下町の夕顔の家で一夜を明かした時の描写に、
「ごほごほとなる神よりもおどろおどろしく、ふみとどろかすからうすのおともまくらがみとおぼゆ。
あな、みみかしがましと、これにぞおぼさるるなにのひびききともききいれ給はず、いとあやしうめざましきおとなひとのみ聞き給ふ。」
(轟々と鳴る雷よりもおどろおどろしく踏み轟かす精米の唐臼の音も、枕元から響いてくるようです。
「わあっ、これは耳が痛くなりそうだ」
と源氏の君には何の音か知るよしもなく、ただよくわからない不快な物音にしか聞こえないようでした。)
江戸の日常をストレートに描写するのではなく、何らかの出典に沿いながら表現する辺りは、まだ談林調の抜けきらない『虚栗』の時代でもある。
そして、源氏のイメージを引いている以上、この臼の轟が何の音かもわからないお貴族様の句と受け取られないためにも、「一年三百六十日、開口笑無三日」という疑似漢詩の前書きを必要とした。
脇。
飽やことし心と臼の轟と
世ハ白波に大根こぐ舟 其角
これも大都市江戸に大根を供給する船であろう。根だけでなく葉も貴重な菜っ葉で、日本の冬には欠かせない食材だ。船の行く運河の波だけでなく、そこに満載された大根もあたかも白波のようだ。
白波に船は、
高瀬舟さをもとりあへず明くる夜に
さきたつ月のあとの白波
藤原良経(秋篠月清集)
の歌が證歌になる。意味は違うが「あく」と「よ」も含まれている。
前に読んだ時は『校本芭蕉全集 第三巻』の注によって、
世の中を何にたとへむ朝ぼらけ
漕ぎ行く舟の跡のしら波
沙弥満誓(拾遺集)
の歌の情で、この世界というのはただ時の流れの中に生まれてはすぐに消えて行く白波のような儚いもの、という意味とした。
悟った感じで言うのではなく、発句の情に和して、一年働きずくめで空しく過ぎて行ったと読んだ方が良いだろう。
第三。
世は白波に大根こぐ舟
月雪を芋のあみ戸や枯つらん 其角
「芋のあみ戸」は干し芋茎(ずいき)を干している情景で、その脇を大根を乗せた船が通り過ぎる。
月も雪もこの干し芋茎を通して眺めるのだろうか、今は大根を乗せた船が通り過ぎて行く、となる。
四句目。
月雪を芋のあみ戸や枯つらん
かうろぎハ書ヲよみ明ス声 李下
芋の網戸を芋畑のこととして、その向こうではコオロギが書を読み明かしている。
前句の「月雪」を月の明り雪の明りで書を読むという、「蛍雪の功」のイメージにすることで、コオロギが単に鳴くのではなく「書を読む」というイメージが生まれる。
五句目。
かうろぎは書ヲよみ明ス聲
百ヲふる狐と秋を慰めし 李下
勉学に励むコオロギには百歳を越える古狐の師匠がいる。
百年生きた古狐と儚い命のコオロギがともに秋の淋しさに慰め合う。百年短い命のコオロギを見送り続けた古狐にとっても、秋は淋しかろう。
六句目。
百ヲふる狐と秋を慰めし
傾-婦を蘭の肆にうる 其角
肆は「イチグラ」とルビがふってある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「肆」の解説」に、
「〘名〙 (古くは「いちくら」。市座(いちくら)の意。座(くら)は財物を置く所) 古代に、市場で売買や交換のために、商品を並べて置いた所。市の蔵。のちに、商いの店。〔新訳華厳経音義私記(794)〕
※平家(13C前)七「今日は肆(いちぐら)の辺に水をうしなふ枯魚の如し」
とある。
古狐が傾城の美女に化けるのはよくあることで、「蘭の市座」は古い時代の日本とも中国ともつかぬ架空の場所であろう。そこで傾婦を得て秋を慰めたが、これが古狐だった。
初裏、七句目。
傾-婦を蘭の肆にうる
敵ある泪の色をいはす草 李下
「いはす草」はよくわからない。「言はず」に掛けた蓮のことか。
前句の傾婦には恋敵がいるが、その苦しみの泪のわけは言わない。
八句目。
敵ある泪の色をいはす草
然れば天下一番の㒵 其角
泪のことを言わないのは、相手が天下一番の顔で、競争の激しいのはわかっているからだ。
九句目。
然れば天下一番の㒵
文盲な金持ハ金ヲ以テ鳴ル 李下
学の有る金持ちは金だけでなく他の者でも名声を得るが、学のない金持ちは金だけしか取り柄がない。でも顔が良ければまた別だ。
遊郭へ行くにも金だけでは駄目ということだ。
十句目。
文盲な金持は金ヲ以テ鳴ル
にわとり豚はつち養ふ 其角
豚は「ゐのこ」、「はつち」は「ばつち」は末子のことだと『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある。bとmの交替。
『校本芭蕉全集 第三巻』の補注に、
「一句は古文真宝後集・柳子厚『種樹郭槖駝伝』中の『而(ナンジ)ガ幼孩ヲ字(ヤシナ)ヘ、而ガ雞豚ヲ遂ゲヨ』をふまえた付け。」
とある。
日本でもブタは一部で汚物の処理には用いてたようだが、汚い物ということで食用にはされなかった。
十一句目。
にわとり豚はつち養ふ
其池を忍はずといふかび屋敷 李下
上野の不忍の池のことだろう。かつては林羅山(道春)の屋敷があり、延宝六年の「さぞな都」の巻四十一句目に、
ここに道春是もこれとて
前は池東叡山の大屋舗 信徳
の句がある。
ここでいう「かび屋敷」は上屋敷のことか。昔の日本語ではbとmとの交替が多いので「かみ」は「かび」にもなりえた。実際には「かびやしき」と発音することはなかったにせよ、わざと似た音というので上屋敷を黴屋敷にした可能性はある。不忍の池の近辺は大名の上屋敷が多かった。
十二句目。
其池を忍はずといふかび屋敷
士峯の雲を望む加賀殿 其角
加賀藩の上屋敷は今の東京大学本郷キャンパスになっているという。不忍池から近い。高台なので富士も見えただろう。
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