2021年12月7日火曜日

 バイデンさんは外交ボイコットを決めたというが、そもそも論として、スポーツの祭典に外交を持ち込むこと自体間違っているんではないか。アスリートは爺さん婆さんの外交のために頑張っているんではない。
 選手団派遣をボイコットした時でも、個人としての参加を認めるようにしてほしい。この前のロシア選手と同じ待遇でもいいから出場できるようにした方が良い。政治に翻弄されるアスリートなんて見たくない。
 北京の問題はボイコットより開催地変更で解決すべきだ。IOCが動かなくても各国のIOCがうごけば、東京が一年延期になったみたいなことができるのではないか。
 あと、鈴呂屋書庫に「なきがらを」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは「白川百韻」の続き。

三表、五十一句目。

   猶わびつつぞ交りてふる
 袖寒きあしたの雪の市仮や      宗祇

 「市仮や」は「市の仮屋」か。前句の「ふる」を掛けてにはにして雪を出す。
 市の仮屋で商人たちが、朝から雪になって困惑しながら交流する。
 五十二句目。

   袖寒きあしたの雪の市仮や
 河かぜはらふ三輪の杉むら      牧林

 前句の市を三輪の市とする。コトバンクの「世界大百科事典 第2版「三輪市」の解説」に、

 「日本古代または中世の市。〈武州文書〉応永22年(1415)写しの市場祭文(延文6(1361)年9月9日付)によると,市の始めは三輪市にありとし(近江愛智川の長野市でも同じ伝えがある),諸国の市が神によって開かれたことを述べている。これは三輪市も特定の神社と関係をもったことを示唆する。このような観点から,比定地として2案が考えられる。第1は,現,桜井市三輪字市尻で,大神(おおみわ)神社参道近くにあたる。」

とある。
 五十三句目。

   河かぜはらふ三輪の杉むら
 清く行く水も御祓のしるしにて    穆翁

 「御祓」は「みそぎ」であろう。

 風そよぐならの小川の夕暮れは
     みそぎぞ夏のしるしなりける
                藤原家隆(新勅撰集)

を本歌にして付ける。
 ただし、家隆の歌の「ならの小川」は京の上賀茂神社の御手洗川だとされている。
 五十四句目。

   清く行く水も御祓のしるしにて
 神よ心のつらさのこすな       尹盛

 禊をして心の苦痛がなくなることを神に祈る。
 五十五句目。

   神よ心のつらさのこすな
 泪をも手向になさばうけやせん    宗祇

 辛い涙も神様へのお供えにすれば、願いも聞き入れてくれるだろうか。
 つらさに泪を、神に手向けを付ける。四手付け。
 五十六句目。

   泪をも手向になさばうけやせん
 なきが跡とふ苔の下みち       牧林

 前句の「手向」を霊前へのお供えとして、墓地の苔の下みちを訪ねて行く。
 五十七句目。

   なきが跡とふ苔の下みち
 山ふかく住しは夢の庵朽ちて     穆翁

 前句の「苔の下道」を山奥の庵に続く道とする。主は既に亡くなり、庵も朽ち果てていた。
 五十八句目。

   山ふかく住しは夢の庵朽ちて
 みやこの月にたれかへるらん     宗祇

 庵の主は都へ帰ることなく。ここに朽ち果てた。「みやこの月」をひっくり返すと「月の都」で冥府のことになる。
 五十九句目。

   みやこの月にたれかへるらん
 しらぬ野に独つゆけき草枕      牧林

 都を離れての辛い旅路とする。野は武蔵野、那須野、宮城野などを連想させる。
 六十句目。

   しらぬ野に独つゆけき草枕
 かたしく袖はただ秋のかぜ      尹盛

 「かたしく」は自分の衣を敷いて一人で寝ることで、恋に破れた旅路になる。
 六十一句目。

   かたしく袖はただ秋のかぜ
 たまさかにかさねしままのころもへぬ 宗祇
 
 「ころもへぬ」は「衣」と「頃も」に掛けて用いられる。

 五月雨のころもへぬれば沢田川
     袖つくばかり浅き瀬もなし
                左近中将公衡(新勅撰集)

のように。
 「たまかさにかさねし」に二人の衣を重ねた夜を思い、その頃も過去となって「かたしく袖」となる。
 六十二句目。

   たまさかにかさねしままのころもへぬ
 浜ゆふほども我な隔てそ       尹盛

 浜木綿(はまゆふ)は海辺に生える草の名で熊野の景物だという。

 みくまのの浦のはまゆふももへなる
     心はおもへとたたにあはぬかも
                柿本人麻呂(拾遺集)

のように幾重にも重なるという意味で用いられる。
 ここでは前句の「重ねし衣」から、浜木綿のように幾重も仲を隔てる、とする。
 六十三句目。

   浜ゆふほども我な隔てそ
 玉づさのかへし斗を契にて      宗祇

 玉づさは便りを運ぶ使者や便りそのものを言う。人づてに帰ってきた手紙の返事だけの約束は冷たく、浜木綿のように二人の仲を隔てている。
 六十四句目。

   玉づさのかへし斗を契にて
 いつをまことのあふせならまし    穆翁

 手が身ばかりでいつ本当に会えるのか。

 三裏、六十五句目。

   いつをまことのあふせならまし
 夢なくば古郷人をたのまめや     尹盛

 夢にあの人を見なかったなら、故郷のあの人をいつまでもあてにする事はなかった。いつになったら故郷に帰って、逢うことができるのだろうか。

 うたた寝に恋しき人を見てしより
     夢てふものはたのみそめてき
                小野小町(古今集)

の歌を踏まえて、恋しき人を夢に見てしまったから、ついついまた会えることを期待してしまう。
 六十六句目。

   夢なくば古郷人をたのまめや
 まくらをかせな浅ぢふの陰      牧林

 故郷の人に会えることを期待しながら、浅茅生の草の陰で野宿をする。
 六十七句目。

   まくらをかせな浅ぢふの陰
 帰るなと花散りやらでかすむ野に   宗祇

 まだ花が散りきってしまわないので、この野辺にもう少し滞在したいと思う。枕を貸してくれ、となる。
 六十八句目。

   帰るなと花散りやらでかすむ野に
 春の日数よ思ふかひあれ       尹盛

 まだ帰るなと花が言っているかのように、散りそうでなかなか花は散らない。花見に長い日数を費やした甲斐があった。
 六十九句目。

   春の日数よ思ふかひあれ
 年越えて名残なをうき藤衣      宗祇

 日数(ひかず)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「日数」の解説」に、

 「① 経過した、またはこれから要するひにちの数。にっすう。また、何日かの日の数。
  ※書紀(720)神代下(兼方本訓)「各、其の長短(なかさみしかさ)の随(まにまに)其の日数(ヒカス)を定む」
  ※源氏(1001‐14頃)明石「かたみにぞかふべかりけるあふことの日かすへたてん中のころもを」
  ② 死後、四九日目。中陰。また、その法要。
  ※増鏡(1368‐76頃)八「故院の御日かずも程なう過ぎ給ひぬ」

とある。ここでは②の意味に取り成す。
 暮に亡くなった人のことを忍んで、未だに藤衣(喪服)を着て悲しみに暮れている。年が明け春になって四十九日が来れば、少しは悲しみも癒えるのだろうか。
 七十句目。

   年越えて名残なをうき藤衣
 きのふになさぬ別れぢもがな     穆翁

 「別れぢ(別路)」はここでは冥途へ行く道を意味する。
 悲しい死別をまだ過去のものにはしたくない。
 七十一句目。

   きのふになさぬ別れぢもがな
 いつのまに遠くも人のかはるらん   牧林

 前句の「別れぢ」を単なる分かれ道の意味にする。
 いつの間に遠くに見えていた人とすれ違ってしまい、今は離れ離れになって行く。
 七十二句目。

   いつのまに遠くも人のかはるらん
 子ぞつぎつぎに生れおとれる     宗祇

 次から次へと子供が生まれてきては、それが成長すると追い越されて行き、いつの間にか自分の身分も下がっている。地方に赴任されている人も入れ替って行く。

 振舞や下座になをる去年の雛     去来

のようなもの。
 七十三句目。

   子ぞつぎつぎに生れおとれる
 いやしきも大君の代をはじめにて   穆翁

 すべて日本人は天皇家を始祖とするが、人口が増えるにつれ身分の低い人の数も増えて行く。
 七十四句目。

   いやしきも大君の代をはじめにて
 まなべあさかのやまとことのは    宗祇

 大和歌(和歌)は古今集仮名序に「このうた、あめつちのひらけはじまりける時より、いできにけり。」
 そして、「なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。」とあり、難波津の歌と並べて、

 「あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて、かづらきのおほきみをみちのおくへつかはしたりけるに、くにのつかさ、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめなりける女の、かはらけとりてよめるなり、これにぞおほきみの心とけにける、

 あさか山かげさへ見ゆる山の井の
     あさくは人をおもふのもかは。

 このふたうたは、うたのちちははのやうにてぞ、手ならふ人のはじめにもしける。」

とある。和歌を習う人はまず初めにこの歌を習え、とする。
 七十五句目。

   まなべあさかのやまとことのは
 花がつみかれど心の色はなし     尹盛

 「花かつみ」は、

 陸奥の安積の沼の花がつみ
     かつ見る人に戀ひやわたらむ
                よみ人しらず(古今集)

の歌で知られている。
 「花がつみ」は「かつ見る」に掛けて恋の歌にする事で心の色が生じる。和歌の心を知らずにただ仕事として刈り取っていても心の色はない。和歌を学んではじめて「かつみ」の心がわかる。
 七十六句目。

   花がつみかれど心の色はなし
 月に小舟のかへる夕川        牧林

 かつみに月は、

 蘆根はひかつみもしげき沼水に
     わりなく宿る夜はの月かな
                藤原忠通(金葉集)

の歌がある。
 「わりなく」は納得がいかない、しっくりしない、というニュアンスで、せっかくの月もカツミが茂っているときれいに映らないし、水面も明るくならないが、だからと言って歌に名高いカツミを刈ってしまったら、それも無風流というものだ。刈りたくもあり刈りたくもなし。
 七十七句目。

   月に小舟のかへる夕川
 山本に千鳥啼く江の霧はれて     穆翁

 月に「霧はれて」、「夕川」に「千鳥啼く江」と四手に付けて、前句にそれに合う景物を添える。
 七十八句目。

   山本に千鳥啼く江の霧はれて
 秋の村には風ぞさえぬる       尹盛

 瀟湘八景の漁村夕照のイメージか。

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