今年も残す所あと二週間となった。
ツツジの花が咲いているのは今更驚かなくなった。水仙は冬の季語だからわかるが、木瓜も咲いている。
夜は霜月十五夜の月が昇った。満月は明日だという。
日本が平和なのは、一人一人がまず自分の周りを平和に保とうとしているから。
なら、なぜ今の時点でコロナを抑えているのか、それは一人一人がまず自分がコロナに感染しないように行動しているから。
他人にあれこれ命令するのではなく、まず自分の出来ることをやる。そうすれば必ずいい結果につながると思う。
それでは「初雪や」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
しかじか物もいはぬつれなき
はつかしといやがる馬にかきのせて 落梧
「はづかしといやがる」は遠慮してということか。それでも無理に馬に乗せたので、物も言わない。これも状況がよくわからない。何か古事があるのか。
二十六句目。
はつかしといやがる馬にかきのせて
かかる府中を飴ねぶり行 野水
いい歳した大人が馬に乗って、市中を飴舐めながら行くのは恥ずかしい。
二十七句目。
かかる府中を飴ねぶり行
雨やみて雲のちぎるる面白や 落梧
飴と雨の縁での付けなのだろう。雨もたいしたこととないと舐めてかかる心とを掛けたか。
二十八句目。
雨やみて雲のちぎるる面白や
柳ちるかと例の莚道 野水
莚道(えんだう)はコトバンクの「デジタル大辞泉「筵道」の解説」に、
「天皇や貴人が徒歩で進む道筋や、神事に祭神が遷御するときの道に敷く筵むしろ。筵の上に白い絹を敷く場合もある。えどう。」
とある。また、ウィキペディアには、
「天皇や貴人が歩く道筋や神事で祭神が遷御する通り道に敷く筵の道のことで、筵の上に白い絹を敷く場合もある。「えんどう」または「えどう」と言う。平安時代に宮中で舞が演じられる際に庭に敷かれる筵の道も筵道と呼ぶ。春日大社の式年造替で仮殿の「移殿(うつしどの)」から本殿まで祭神が通る道に敷かれるものは「清薦(きよごも)」と呼ばれ、明治以降は同大社の旧神領の農家が稲わらで作ってきた。これは神職が正遷宮前に精進潔斎のために泊まる斎館にも敷かれる。出雲大社の涼殿祭(すずみどのさい)では筵道に真菰が敷かれる。」
とある。ここでは神祇の句としていいのか。
遷宮の儀式にちょうど良く雨も止み、折から柳も散って美しくもお目出度い。
二十九句目。
柳ちるかと例の莚道
軒ながく月こそさはれ五十間 野水
五十間は約九十メートル。「例の莚道」を吉原の五十間道の見立てとしたか。
ウィキペディアの「見返り柳」の項に、
「隅田川の堤防である日本堤から、吉原遊廓(新吉原)へ下る坂を「衣紋坂(えもんさか)」という。衣紋坂から「く」の字に曲がりくねった「五十間道(ごじゅっけんみち)」が吉原の入口の大門まで続くが、この道の入口の左手にあるのが、見返り柳である。
宝暦7年の吉原細見『なみきのまつ』の序文では「出口の柳」と書かれており、後に「見返り柳」と呼ばれるようになったと考えられている。」
とある。
不首尾で帰る男の情とする。
三十句目。
軒ながく月こそさはれ五十間
寂しき秋を女夫居りけり 落梧
前句の五十間を普通の町屋の並ぶ風景として、そこに住む夫婦を付ける。「月こそさはれ」に「寂しき秋」と応じる。
前句の「五十間」を恋の句として、あえて「女夫」を出して、恋を二句続ける。
二裏、三十一句目。
寂しき秋を女夫居りけり
占を上手にめさるうらやまし 野水
「めさる」と敬語が使われていることから、単なる占い師ではあるまい。前句を『源氏物語』の冷泉帝と秋好中宮として、澪標巻の、
「宿曜に、御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべしと、勘へ申したりし」
(星占いにも、「子供は三人。御門、后かならず両方生れて来るでしょう。三人の内の最悪でも太政大臣という最高位に着くでしょう」という予言が出てまして)
の占いを付けたか。この占い通りに、源氏の栄華は確固たるものになった。
三十二句目。
占を上手にめさるうらやまし
黍もてはやすいにしへの酒 野水
黍の酒は、
古(いにしへ)の人の食(き)こせる吉備の酒
病めばすべなし貫簀賜(ぬきすたば)らむ
丹生女王(「万葉集」巻四、五五四)
か。
占いで政治を行うということで時代を上古として、吉備の酒がもてはやされていたとするが、そこは俳諧で、雑穀の黍の酒とする。
三十三句目。
黍もてはやすいにしへの酒
朝ごとの干魚備るみづ垣に 落梧
黍の酒をお神酒としてお供えする神社には、毎朝魚の干物を一緒にお供えする。
三十四句目。
朝ごとの干魚備るみづ垣に
誰より花を先へ見てとる 落梧
「誰より先へ花を見てとる」の倒置。毎朝神社にお供えする人は、境内に咲く花を誰よりも先に見ることになる。
三十五句目。
誰より花を先へ見てとる
春雨のくらがり峠こえすまし 野水
くらがり峠は奈良と大阪の間にある峠。「こえすまし」の「すまし」は今日「なりすまし」に名残をとどめる言い回しで、うまいこと越える、ということ。
雨で薄暗い峠と「くらがり峠」を掛けて、暗がりに紛れて、誰かに見つからないように何とか越えたという意味だろう。
『伊勢物語』二十三段「筒井筒」の河内の国高安の郡に通うために龍田山を越える男のイメージを借りて、奈良をうまいこと抜け出して浪花の花を見に行くとする。
挙句。
春雨のくらがり峠こえすまし
ねぶりころべと雲雀鳴也 落梧
前句をくらがり峠を馬で越える人として、峠を越えると雨も止んで長閑に雲雀が囀るので、まるでそれが居眠りして落馬せよと言っているかのようだ。
雲雀より空にやすら峠哉 芭蕉
を踏まえてのものであろう。
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