前澤さんも地球に帰ってきて、それにシンクロするかのように「月とライカと吸血姫」のアニメも終わった。そういえば子供の頃読んだ本に、二十一世紀には月の人口が一万人以上なんて書いてあったな。
六十年代には二十年後に地球の人口が八十億人になって、食糧危機がやってくるなんて言われていた。あの頃は本気で余った人口を宇宙に送り込もうと考えてなんだろうな。そうでなければ月にそんな大都市を作る意味が分からない。
前澤さんの次はやはりホリエモンだ。ロシアのロケットではなく、自力で宇宙に行くのかな。成功すればもっと凄いが。宇宙でユーグレナを食べるのかな。
思うにスターウォーズの世界って、農業生産性の向上よりも宇宙進出のほうに極ぶりしちゃったような世界なのかな。
小学館の「井原西鶴集②」の『本朝二十不孝』の方に入ったが、「大節季にない袖の雨」で娘が親孝行のために遊女になる場面は、もちろんこれは物語だが、当時としてはある程度「さもあらん」という所があったのだろうか。大概は親に騙されて売られるというパターンだっただろうけど。
まあ、このまま家に居ても早かれ遅かれ山犬に食われるだけなら、自ら遊郭に入ることで命拾いしたと言えるかもしれない。幼心にも、このまま親に殺されるか遊郭に入るかの究極の選択を迫られる、そんな貧しさがあったことにも想像をめぐらした上で、遊郭が何だったのかを論じてほしい。
「跡の剥げたる嫁入長持」も、物語として話をかなり盛っているとはいえ、当時の離婚率の高さの一端を覗かせている。
それでは「一里の」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
秤にかかる人々の興
此年になりて灸の跡もなき 一井
灸は「やいと」と読む。年とっても元気なら楽しいことが沢山ある。元気かどうかで老後の明暗の分かれるのを、「秤にかかる」とする。
二十六句目。
此年になりて灸の跡もなき
まくらもせずについ寐入月 鼠弾
前句を気ままに一人暮らししている老人とし、月見をしながらもそのまま酔って寝てしまうと付ける。後の位付けに通じる付け方だ。
二十七句目。
まくらもせずについ寐入月
暮過て障子の陰のうそ寒き 胡及
前句を昼寝として、気が付いたら日も暮れて月が出ている。
二十八句目。
暮過て障子の陰のうそ寒き
こきたるやうにしぼむ萩のは 長虹
「こきたる」は垂れ下がるという意味。前句の季候に萩の様子を付ける。
二十九句目。
こきたるやうにしぼむ萩のは
御有様入道の宮のはかなげに 鼠弾
「入道の宮」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入道の宮」の解説」に、
「出家入道した親王・内親王または女院。
※源氏(1001‐14頃)須磨「入道の宮よりも、物の聞えや、又、いかがとりなさむと」
とある。例文は藤壺の宮のことだが、『源氏物語』には女三宮も入道の宮になる。
特に誰というほどの内容でもなく、出家した皇族の女性はかつての栄華の面影もなく、総じて儚げで、凋む萩の葉に喩えられる。
三十句目。
御有様入道の宮のはかなげに
衣引かぶる人の足音 一井
入道の宮となっても、ひそかに通ってくる男はいる。『芭蕉七部集』の中村注は『狭衣物語』の女二宮の所に通う狭衣とする。
二裏、三十一句目。
衣引かぶる人の足音
毒なりと瓜一きれも喰ぬ也 長虹
前句を迫り来る暗殺者とし、狙われている要人の様とする。
三十二句目。
毒なりと瓜一きれも喰ぬ也
片雲たちて過る白雨 胡及
ウリ科の野菜は苦味成分のククルビタシン類が含まれていて、食べ過ぎると腹痛や下痢の原因になるという。一度当たって懲りた人には瓜を食わないという人もいたのかもしれない。
僅かな雲も瞬く間に入道雲になり白雨(夕立)が通り過ぎる間、片雲の旅人は雨宿りをするが、瓜は遠慮する。夕立は急な下痢のイメージにも重なる。
三十三句目。
片雲たちて過る白雨
板へぎて踏所なき庭の内 一井
夕立をもたらす積乱雲は、竜巻をもたらすこともある。屋根板が吹っ飛んで庭に散らばる。
三十四句目。
板へぎて踏所なき庭の内
はねのぬけたる黒き唐丸 鼠弾
唐丸はウィキペディアに、
「唐丸(とうまる、Tomaru)とは、ニワトリの品種の一つである。東天紅・声良とともに日本3大長鳴鶏の一つとして知られる。
1939年に日本国の天然記念物に指定された名称は蜀鶏であるが、一般的に唐丸が用いられる。」
「原産地は新潟県であるが江戸時代初期にオランダもしくは中国から日本にもたらされた大型の鶏に越後地方の地鶏や軍鶏、小国などの長鳴鶏を交配し本品種が作出されたと考えられている。
元の大型のものを大唐丸、長鳴性を有するものを鳴唐丸と称していたこともあったが、今は大唐丸は絶滅している。
鳴き声には音量と張りがあり、10-15秒鳴き、18秒鳴き続ける個体もみられる。
羽色は白色・黒色。姿が黒柏に似るが謡羽(尾)が体に対し40°の角度を有する。」
立派な唐丸も羽が抜ければみすぼらしく、前句の屋根板の飛んだ家に羽の抜けた唐丸と、これは響き付けと言ってもいい。
二十六句目といい、芭蕉は鼠弾の句から匂い付けのヒントを貰ったのかもしれない。
三十五句目。
はねのぬけたる黒き唐丸
ぬくぬくと日足のしれぬ花曇 長虹
長閑な春の花曇りだと時間の感覚がなくなる。前句を鶏の換羽としたか。
挙句。
ぬくぬくと日足のしれぬ花曇
見わたすほどはみなつつじ也 胡及
ツツジの園芸種は元禄の頃に広まったと言われている。競うように庭をツツジで埋め尽くす人もいたのだろう。そんな流行の最先端の庭を付けて、一巻は目出度く終わる。
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