2021年12月20日月曜日

 今日も晴れた寒い一日だった。もちろん平和な一日。
 今日はラノベではなく『世界を救うmRNAワクチンの開発者』カタリン・カリコ、【試し読み】 (ポプラ新書)を読んだ。無料だったからだ。只だけあって短い本だが。
 mRNAワクチンを開発するような凄い人でも、最初にmRNAでたんぱく質を作れるというアイデアを思いついた時にはみんなから馬鹿にされたという。
 まあ、当然だろう。みんなが凄い凄いと言って賛成するようなものなら、とっくに誰かがやっているからね。だから、筆者が今やっていることに賛同する人が一人もいないけど、全然気にしていない。
 ただ、みんなから無視されたからといって、後に凄いことになるかという保証は何もない。まあ、好きだからやるだけだ。
 アメリカの研究環境がそんなに恵まれているわけではないことは、いろいろなところで書かれているし、大抵は苦労した末に運よく成功を勝ち取っているわけで、誰も未来が見えるわけではないから、どの研究が大きな成功をもたらすかなんて、どこの国の人だってわからないだけのことだ。
 ただ、日本がアメリカのようになれないのは、底辺の研究者の水準が低いからではなく、成功した時の報酬がほとんどないからだ。
 底辺に金をばら撒いても日本の科学力は発展しない。お役目御苦労でおざなりの論文を書いてるだけの連中が喜ぶだけで、そういう奴らは結託して圧力団体を作って、国から予算を分捕る事しか考えない。

 それでは「一里の」の巻の続き。

 十三句目。

   寒ゆく夜半の越の雪鋤
 なに事かよばりあひてはうち笑ひ 鼠弾

 辛い雪かきでも、ぼやいてみたところで天気はどうにもならないからね。冗談を言い合いながら楽しくやりましょう。
 十四句目。

   なに事かよばりあひてはうち笑ひ
 蛤とりはみな女中也       一井

 桑名の焼き蛤も、獲ってくるのは女中の仕事だったか。おしゃべりが絶えない。
 十五句目。

   蛤とりはみな女中也
 浦風に脛吹まくる月凉し     長虹

 蛤というとやっぱアレを連想するか。わかるよ。浦風に月涼しと奇麗にまとめるしかないね。
 十六句目。

   浦風に脛吹まくる月凉し
 みるもかしこき紀伊の御魂屋   胡及

 御魂屋は『芭蕉七部集』の中村注に、

 「紀州名草郡濱中村長保寺紀州家ノ御魂屋アリ(標注)。天台宗にて寺領二百石紀伊家の御菩提寺也(通旨)」

とある。紀州の長保寺はウィキペディアに、

 「寛文6年(1666年)、当地を訪れた紀州藩主徳川頼宣は、山に囲まれた要害の地にある長保寺を紀州徳川家の菩提寺に定めた。寛文12年(1672年)には2代藩主徳川光貞によって500石を寄進されている。境内東斜面には約1万坪にも及ぶ広大な藩主廟所があり、頼宣以降の歴代藩主が眠っている。ただし、5代吉宗(後の8代将軍)と13代慶福(よしとみ、後の14代将軍家茂)の墓はそれぞれ東京の寛永寺と増上寺にある。宗派は、当初天台宗であったと思われるが、後に法相宗、さらに真言宗に改宗し、紀州徳川家の菩提寺となってから天台宗に復した。」

とあり、御魂屋については、

 「御霊屋(和歌山県指定有形文化財) - 寛文7年(1667年)建立。藩主徳川頼宣が熊野巡視の帰途、長保寺に立寄って紀州徳川家の菩提寺と定めた。紀州徳川家の菩提寺と定めたことに伴い、頼宣が建立したと伝えられる仏殿は、頼宣の没後に位牌堂に充てられた。この位牌堂が御霊屋である。桁行7間、梁間8間、寄棟造、本瓦葺で、南東に玄関が付く。西側の2室に厨子を置き、歴代藩主および正室・側室等の位牌が祀られている。」

とある。
 前句の「浦風」に「月凉し」から紀州徳川家の菩提寺を付ける。
 十七句目。

   みるもかしこき紀伊の御魂屋
 若者のさし矢射ておる花の陰   一井

 「さし矢」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「差矢」の解説」に、

 「① 矢の一種。矢数をする矢。量産の数矢(かずや)で、炙篦(あぶりの)にして、鴨の第二羽で矧(は)ぎ、根を木でつくる。他の矢よりも軽い。もっぱら矢数の稽古に用いる。
  ※俳諧・曠野(1689)員外「みるもかしこき紀伊の御魂屋〈胡及〉 若者のさし矢射ておる花の陰〈一井〉」
  ② 近距離間での射法で、直線的に、矢数を射ること。また、その矢。
  ※平家(13C前)一一「或はとを矢に射る舟もあり、或はさし矢にゐる船もあり」

とある。
 御三家は京都三十三間堂の通し矢で弓矢の腕を競っていた。ウィキペディアによると、

 「貞享3年(1686年)4月27日には紀州藩の和佐範遠(大八郎)が総矢数13,053本中通し矢8,133本で天下一となった。これが現在までの最高記録である。」

とあり、タイムリーな話題だったようだ。和佐範遠は寛文三年(一六六三年)の生まれで、二十三歳の若さでこの記録を達成した。
 十八句目。

   若者のさし矢射ておる花の陰
 蒜くらふ香に遠ざかりけり    鼠弾

 蒜には「にら」とルビがあるが、内容からいってニンニクであろう。ニンニクは夏の季語なので、式目をかいくぐるためにあえて「にら」とルビを振って、春の句にしたか。まあ、ニンニクも韮も匂いの元は同じ硫化アリルだというが。
 若者がスタミナをつけるためにニンニクを食って矢の練習をしていたか。矢が勢いよく飛んで行くのは、ニンニクの匂いから逃れようとするからだ、とする。
 徳川家康の好物だったともいう。
 二表、十九句目。

   蒜くらふ香に遠ざかりけり
 はるのくれありきありきも睡るらん 胡及

 前句の「遠ざかりけり」から旅体に転じる。歩いていても眠くなるような陽気で、我慢して歩き続けると、本当に歩きながら眠ってしまいそうだ。
 馬に乗ると居眠りするというのは「あるある」だが。
 ニ十句目。

   はるのくれありきありきも睡るらん
 帋子の綿の裾に落つつ      長虹

 紙子は風を通さないからそれだけで防寒着になるので、わざわざそれに綿を入れることはないと思うのだが。「紙子の」で切って「綿の裾」に落ちるではないかと思う。
 暖かいから脱いだ紙子を手で持っていたのだろう。居眠りして物を取り落すことはよくある。
 二十一句目。

   帋子の綿の裾に落つつ
 はなしする内もさいさい手を洗  鼠弾

 前句は「紙子の裾に綿の落ちつつ」の倒置とも読める。「さいさい」は何度もということ。
 綿打ちの作業でもしていたのであろう。綿が手に着くので何度も手を洗う。
 二十二句目。

   はなしする内もさいさい手を洗
 座敷ほどある蚊屋を釣けり    一井

 蚊屋は通常は寝室のサイズだが、大きなサイズの蚊屋は何らかの作業のための蚊屋であろう。
 二十三句目。

   座敷ほどある蚊屋を釣けり
 木ばさみにあかるうなりし松の枝 長虹

 松の枝を剪定してすっきりとした様を、蚊帳から見える風景として付ける。
 二十四句目。

   木ばさみにあかるうなりし松の枝
 秤にかかる人々の興       胡及

 松の枝が剪定されたことに気付く人と気付かない人がいて、その人の風流への関心が測られる。

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