この夏にKindle Unlimitedに入って、かなり読書量が増えた。これで筆者も読書家の仲間入りかな。もっとも無料部分だけで、有料部分まで購入したのは馬場翁さんの「蜘蛛ですが、なにか?」だけで、九巻までは読んだ。
佐藤真登さんの「処刑少女の生きる道」はアニメ化が決まったので楽しみだ。
外にもまいんさんの「食い詰め傭兵の幻想奇譚」、春の日びよりさんの「乙女ゲームのヒロインで最強サバイバル」、みかみてれんさんの「女同士とかありえないでしょと言い張る女の子を、百日間で徹底的に落とす百合のお話」、花黒子さんの「魔境生活~崖っぷち冒険者が引きこもるには広すぎる~」、雪川轍さんの「神殺しの魔剣をフライパン(極強)にした犯人はわたしです」、理不尽な孫の手さんの「無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜」、月夜涙さんの「回復術士のやり直し」、それに今読んでいる逆井卓馬さんの「豚のレバーは加熱しろ」など、飽きさせない。
まあ、この他に最初から有料購入しているのも何冊かある。枠を決めて制限している。
まあ、古典もたくさん読みたいから、あくまでその合間にだけどね。さすがに古典は頭使うし、かなり集中力が必要だから、こればっかりというわけにはいかない。
『假名草子集』の方は「仁勢物語」を読んだ。伊勢物語のパロディーだが、
夜も明ば狐狸と人や見む
まだき起して銭を遣りつる
はオリジナルの「くたかけ」のインパクトに完全に負けている。
筒井筒はあまりに原型をとどめてないので、読み過ごしてしまった。
さて、宗祇ら御一行は横岡に戻り、白川百韻を巻くことになる。それを見て行くことにしよう。
発句。
於白河関応仁二年十月廿二日
袖にみな時雨をせきの山路かな 宗祇
ここに集まっている皆はこの時雨の季節に白河の関を訪れて、みんな袖を濡らしました。
この濡れた袖は、多くの古人が悲しみにひしがれつつこの関を越えて行ったことを思い起こさせるものです。
脇。
袖にみな時雨をせきの山路かな
木の葉を床の旅の夕ぐれ 尹盛
関を越える旅路では、木の葉を敷き詰めただけのような粗末な宿で日を暮らすことでしょう。
平尹盛は都の人で、かつて宗祇とも面識があり、おそらくその縁をつたって、ここ白河に来たのだろう。興行会場になった横岡の家は平尹盛の家で、粗末な家ですがという謙遜を込めた挨拶とする。
第三。
木の葉を床の旅の夕ぐれ
さやかなる月を嵐のやどに見て 牧林
前句の「木の葉の床」を家ではなく、文字通りの草枕、野宿とする。
嵐の去った後の夕暮れのさやかな月を見ながら、ここを宿と定める。
四句目。
さやかなる月を嵐のやどに見て
夜寒のそらはねんかたもなし 穆翁
寒い上に月も明るく、いろいろもの憂きことも思い出して寝るに寝られない。
五句目。
夜寒のそらはねんかたもなし
下もゐず雲にや鴈の渡るらん 句阿
夜寒の空は雁も寝ることができないか、下に降りてくることもなく、雲の向こうに渡ってってしまったのだろうか。
六句目。
下もゐず雲にや鴈の渡るらん
白なみあらき沖のはるけさ 宗祇
雁が降りられないのは下が海だからで、沖の果てまで荒い白波の海原が広がる。
七句目。
白なみあらき沖のはるけさ
しばしだにかよふも船は安からで 尹盛
波が荒いから、通う船も安心できない。
八句目。
しばしだにかよふも船は安からで
一むらさめに人ぞやすらふ 牧林
しばらく一雨続きそうなので、船に乗るのはやめて、岸で休憩する。
初裏、九句目。
一むらさめに人ぞやすらふ
柴はこぶ尾上の道の松がもと 穆翁
柴を売りに行く一行も尾根道の松の木の下でしばし雨宿りする。
十句目。
柴はこぶ尾上の道の松がもと
かけはし遠くむかふ山里 宗祇
谷の向こう側に行きたいが架け橋もなく、尾根の方を迂回する。
十一句目。
かけはし遠くむかふ山里
行く袖のあくる戸ぼそにまた見えて 尹盛
去って行った男の袖が、開けた戸の向こう側の道を行くのが見える。山里なので道も曲がりくねっていて、すぐに遠くまでは行かない。恋に転じる。
十二句目。
行く袖のあくる戸ぼそにまた見えて
消えんはかなし夜半のおもかげ 穆翁
面影なので、夢に現れたか、生き霊、死霊の類であろう。戸の外にまた見ることができたが、消えて行ってしまうともう永遠に会えないような気がする。
十三句目。
消えんはかなし夜半のおもかげ
老が身や此の世の月を送るらん 宗祇
前句の面影は月に映った自分の影で、月が沈めば面影も消える。
こうやって老いた我が身はもう程なく消えて行ってしまうのだろうか、と老境を歎く。述懐への展開。
十四句目。
老が身や此の世の月を送るらん
おくるる我は秋もはづかし 尹盛
前句の「此の世の月」を今は亡き主君か盟友の比喩として、まだ生き残っている我が身が恥ずかしいとする。
十五句目。
おくるる我は秋もはづかし
枯る野にゆふべの露を名残にて 牧林
「遅るる」を死者にではなく、晩秋の枯れてい行く野辺に遅れるとして、景色に転じる。
十六句目。
枯る野にゆふべの露を名残にて
あるかなきかの花の冬草 宗祇
枯野に冬草の小さな花を添える。「花」は冬草の花であるとともに、枯野に咲いたまるで桜の花のようにという比喩の意味を含めることで、似せ物の花の一句とする。
十七句目。
あるかなきかの花の冬草
古郷やとはれし道もたえぬらん 穆翁
かつて通った女の住む古い郷に戻ってきたが、家の道は草に埋もれてなくなってしまったか、冬草が茂っている。在原業平の「月やあらぬ」の心で恋に転じる。
十八句目。
古郷やとはれし道もたえぬらん
いまはたよりもきかぬ恋しさ 牧林
前句の「とはれし道」を比喩として、今は手紙も届かないとする。
十九句目。
いまはたよりもきかぬ恋しさ
もろこしは只うき中の心にて 宗祇
便りも来ない恋しさに、きっと中国に行ってしまったのだろうと自分に言い聞かせる。
ニ十句目。
もろこしは只うき中の心にて
夢に行くともいとはれやせん 穆翁
中国に渡って行ったあの人。夢の中で会いに行ったら嫌われるだろうか。
二十一句目。
夢に行くともいとはれやせん
身をかくす人もやどりは聞かまほし 尹盛
密かに隠棲してどこかへ行ったしまった人。せめて住所だけでも聞いておきたかった。
前句の「夢に行く」の「ゆめ」を必ずという意味に取り成す。恋離れ。
二十二句目。
身をかくす人もやどりは聞かまほし
たづぬる山は雲ふかきかげ 牧林
隠棲した人を尋ねて行きたいが、居場所もわからず山は雲の影になって薄暗い。
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