2021年12月24日金曜日

 はぴほりー。
 何か毎日がホリデーになってしまって、あまり実感ないけど、やはり一年働いて、年末の疲れ切ったところで忙しさのピークが来て、そんなところでクリスマスというのに慣れてしまっていたから、何か変な感じだ。でも、来年は働いているかも。
 今日働いてた人はお疲れ様。渋滞も今日がピークだったと思う。
 あと、こやん源氏の澪標巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
 それでは「飽やことし」の巻の続き。挙句まで。

 二十五句目。

   ねみだれかもじ虵と成夢
 笛による骸骨何をその情     其角

 情は「ココロ」とルビがふってある。
 古語の「こころ」は今の日本語よりも意味が広く、情の字を当てる場合もあれば意の字を当てることもある。今日でいう「意味」も「こころ」に含まれるから、「心付け」という場合も意味が通るように付けるという意味になる。
 古い「こころ」の用法は謎掛の時に「その心は?」という時に残っている。
 謎掛の場合も「それってどういう意味?」という聞き返しで、デジタル大辞泉の例題にある、「浦島太郎の玉手箱と掛けて、大みそかと解く」だと玉出箱と大晦日にどういう関係があるんだ?と聞き返す時に「こころは?」と用いる。答えは「あけると年をとる」となる。
 其角の句も笛に骸骨が寄ってくる、どうしてだ?という謎掛で、下句がその答えになる。
 「夜口笛を吹くと蛇が来る」という諺がある。「よる」は寄ると夜に掛っている。寝乱れたかもじが顔に掛るのが夢でアレンジされて蛇の夢を見るなら、寝ている本体の方は夢では蛇に焼かれて骸骨になっている。そういう意味になる。
 其角といえば、

 夢となりし骸骨踊る荻の声    其角

の発句が延宝の頃の『田舎之句合』にある。
 二十六句目。

   笛による骸骨何をその情
 風そよ夕べ切籠灯の記      李下

 切篭灯(きりことう)は切子灯籠のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「盆灯籠の一種で、灯袋(ひぶくろ)が立方体の各角を切り落とした形の吊(つ)り灯籠。灯袋の枠に白紙を張り、底の四辺から透(すかし)模様や六字名号(ろくじみょうごう)(南無阿弥陀仏)などを入れた幅広の幡(はた)を下げたもの。灯袋の四方の角にボタンやレンゲの造花をつけ、細長い白紙を数枚ずつ下げることもある。点灯には、中に油皿を置いて種油を注ぎ、灯心を立てた。お盆に灯籠を点ずることは『明月記(めいげつき)』(鎌倉時代初期)などにあり、『円光(えんこう)大師絵伝』には切子灯籠と同形のものがみえている。江戸時代には『和漢三才図会』(1713)に切子灯籠があり、庶民の間でも一般化していたことがわかるが、その後しだいに盆提灯に変わっていった。ただし現在でも、各地の寺院や天竜川流域などの盆踊り、念仏踊りには切子灯籠が用いられ、香川県にはこれをつくる人がいる。[小川直之]」

とある。
 前句の骸骨をお盆の夜の切篭灯に導かれて帰ってきたご先祖様とする。生前笛を好んだ人だったのだろう。最後に「記」とつけることで、実はそういう物語があった、ということにする。
 二十七句目。

   風そよ夕べ切籠灯の記
 酔はらふ冷茶は秋のむかしにて  其角

 酔い覚ましに冷茶を飲んで思い出すのは、昔秋の夜の風そよぐ夕べに記した「切篭灯の記」のことだ。
 冷茶は今のような冷した茶ではなく、さめて冷たくなったお茶のことであろう。冷蔵庫はなかったし、氷も高価だった。
 二十八句目。

   酔はらふ冷茶は秋のむかしにて
 こぬ夜の格子鴫を憐レム     李下

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 暁の鴫の羽根掻きももはがき
     君が来ぬ夜は吾ぞ数かく
              よみ人しらず(古今集)

の歌を引いている。
 ともに酒を酌み交わし朝には冷茶を飲んで酔いを醒ましたのは昔のことで、今は格子の向こうで羽根掻きをしている鴫に、一人残された自分と同じだとしみじみと思う。
 二十九句目。

   こぬ夜の格子鴫を憐レム
 名月の前は泪にくもりつつ    其角

 名月の夜が近いというのにあの人が来ないものだから、月は澄んでも涙で曇るばかりだ。前句の鴫への共感に付く。
 三十句目。

   名月の前は泪にくもりつつ
 金-橙-徑に粕がみを思ふ     李下

 金-橙-徑は『校本芭蕉全集 第三巻』の補注に蘇軾の「和文与可洋州園池三十首金橙徑」とある。「中國哲學書電子化計劃」から引用する。

   和文與可洋川園池三十首·金橙徑 蘇軾
 金橙縱複裏人知 不見鱸魚價自低
 須是松江煙雨裏 小船燒薤搗香齏

 金の橙の欲しいままに重なる裏を人は知る。
 鱸魚は見ることなく価格も自ずと低い。
 松江にこれを求めても雨にけぶる中。
 小船はラッキョウを焼き、搗いて砕く香りがする。

 「金橙縱複裏人知」は维基文库では「金橙縱復里人知」になっている。
 参考までに。

   洋州三十景·金橙徑 鮮於侁
 遠分稂下美 移植使君園
 何人為修貢 佳味上雕盤

 橙は日本ではダイダイと読むが、金橙も柑橘類なのだろう。鱸魚は日本ではスズキだが、漢詩に出て来る松江鱸魚はヤマノカミのことだという。魚はスダチやカボスをかけて食べるが、あくまで主役は魚で、柑橘ばかりがあっても肝心の魚がいないなら興も醒める。
 今の世もこれと同じで、引き立て役のおべっか使いばかり沢山いて、君主がいないということか。
 粕もまた魚を漬けてこそ価値があるということで、君子の器でなく、あくまで臣下の器だということを嘆いて月も涙で曇る。
 二裏、三十一句目。

   金-橙-徑に粕がみを思ふ
 葉生姜を世捨ぬやつにたとへけん 李下

 葉生姜も甘酢漬けにして魚に添える薬味になるので、世を捨てることもなく偉い奴にへばりついてる、ということか。
 三十二句目。

   葉生姜を世捨ぬやつにたとへけん
 摺鉢かぶる艸-堂の霜       其角

 葉生姜は世を捨ててなくて魚と仲良くしているが、生姜は世を捨てた人の鉢で摺り下ろされて、草堂の霜になる。
 三十三句目。

   摺鉢かぶる艸-堂の霜
 寸ン法師切レの衣のみじかきに  芭蕉

 ここで芭蕉さんが登場する。あるいは執筆をやりながら二人を見守っていたか。
 寸法師は御伽草子の一寸法師か。短い布(きれ)の衣に擂鉢を被る。あいかわらず突飛な発想をする。
 『校本芭蕉全集 第三巻』の注には、擂鉢などを被ると背が伸びないという俗信があるという。
 三十四句目。

   寸ン法師切レの衣のみじかきに
 昔を力ム卒塔婆大小       李下

 前句の寸法師を普通に背の低い法師とし、昔は武将だったといっては大小の卒塔婆を大小の刀のように腰に差す。
 「力ム」はコトバンクの「デジタル大辞泉「力む」の解説」に、

 「1 からだに力を入れる。息をつめて力をこめる。いきむ。「バーベルを持ち上げようと—・む」
  2 力のあるようなふりをする。強がってみせる。「腕まくりをして—・んでみせる」
  3 うまくやろうと気負う。「—・まないでテストに臨む」

とある。2の意味であろう。
 三十五句目。

   昔を力ム卒塔婆大小
 俤の多門を見せよ花の雲     其角

 多門(たもん)は「コトバンクの精選版 日本国語大辞典「多門・多聞」の解説」に、

 「① 城の石垣の上に築いた長屋造りの建物。城壁のはたらきをもたせ、倉庫などに用いた。永祿一〇年(一五六七)、松永久秀が大和国(奈良県)佐保山に築いた多聞城ではじめてつくられたという。多聞櫓。
  ※信長公記(1598)七「辰剋御蔵開き候訖。彼名香長六尺の長持に納、これあり。則多門へ持参致し」
  ② 本宅の周囲に建築した長屋。
  ※大和事始(1683)一「今世宅外の長屋を多門(タモン)と云」
  ③ 江戸城中の御殿女中がつかった下婢。長局が狭いので、御切戸御門内、多門②のところへこれらの女達を置き、用事のあるときに「多門、多門」と呼んだところからの名という。御端(おはした)。
  ※雑俳・柳多留‐二八(1799)「張形は早松の味と多門しゃれ」」

とある。
 前句を既に卒塔婆になった昔の武将とし、雲のように花の咲く石垣の上の荒城に昔の城の姿を見せてくれよ、と思う。近代の唱歌「荒城の月」にも受け継がれている趣向だ。
 挙句。

   俤の多門を見せよ花の雲
 凡夫三百人の春風        其角

 今花見をしているの三百人の一般庶民だ。それはそれで平和で盛り上がっててお目出度い、ということで一巻は目出度く終わる。

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