今朝は雨が降っていたが午後には晴れた。今日も平和な一日だ。
「平和のために戦え」なんて矛盾を犯さないためにも、一人一人が毎日平和であることが一番だ。世界中の人が自分の身の廻りを平和にできれば、世界は自ずと平和になる。それだけのことが実は一番難しかったりする。
人はまず生きてゆくために、自分の居場所を確保するために、生存の取引を繰り返す。決して平等なんかではない。不満が蓄積され、いつかブチ切れる。放火する奴、銃を乱射する奴、車で突っ込んでくる奴。そして組織を作って戦う奴。
そうやって勝手に自滅してゆく奴。
それでも大事なのはまず自分だ。自分の平和を維持できなくて、誰を平和にできる。まして世界なんて。前の社長もよく言っていた「自分のケツの蠅も追えないようじゃ」って。
苦しくても、貧しくても、自分のための生存の取引を繰り返す。結局それしかないんじゃないかな。まずはそれからだ。余裕があったら人のことも考えよう。
自分の生きて行く権利を他人にゆだねたら、結局そいつに生殺与奪権を握られる。それも気をつけよう。
あと「連歌師の紀行文(梵灯庵道の記、白河紀行、東路の津都)」を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
それでは「初雪や」の巻の続き。
十三句目。
こそぐり起す相住の僧
峯の松あぢなあたりを見出たり 野水
峯の松の良い景色の場所を見つけたので、一緒に住んでいる僧を起こす。
十四句目。
峯の松あぢなあたりを見出たり
旅するうちの心奇麗さ 落梧
旅をすると心の中の俗世の塵も払われて、峯の松の景色にも心を止めたりする。
十五句目。
旅するうちの心奇麗さ
煮た玉子なまのたまごも一文に 野水
煮た玉子は今日の煮卵ではなく、ゆで卵であろう。玉子は茹でても生でもだいたい同じ値段で売っている。
十六句目。
煮た玉子なまのたまごも一文に
下戸は皆いく月のおぼろげ 落梧
玉子は酒飲みよりも下戸に好まれたのか。
十七句目。
下戸は皆いく月のおぼろげ
耳や歯やようても花の数ならず 野水
朧月の花見は暗くて花はよく見えない。酒飲みは音楽や料理のことばかり気にして花を見ず、下戸がわざわざ花を見に行く。
十八句目。
耳や歯やようても花の数ならず
具足めさせにけふの初午 落梧
二月の最初の午の日は稲荷神社の初午祭で初午詣でに行く。馬の祭りでもあるので馬を馬具足で飾り立てる。
前句の「耳や歯や」はここでは馬の耳や歯で、それが立派でも具足の華やかさには勝てない。
二表、十九句目。
具足めさせにけふの初午
いつやらも鶯聞ぬ此おくに 落梧
毎年初午詣でに来ているので、毎年同じところで鶯を聞く。
ニ十句目。
いつやらも鶯聞ぬ此おくに
山伏住て人しかるなり 野水
鶯の声に釣られて奥の方に入って行くと、人の家に勝手に入るなと山伏に叱られる。
二十一句目。
山伏住て人しかるなり
くはらくはらとくさびぬけたる米車 落梧
米車は米搗き車のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「米搗車」の解説」に、
「〘名〙 玩具の一つ。小さい板の両側に車をつけ、その車の回転につれ板の上の杵(きね)が米をつくようなかっこうに動くしかけのもの。」
とある。
厳つい山伏にも子供がいて、米搗き車で遊んでいるが、壊してしまったのか叱られている。
二十二句目。
くはらくはらとくさびぬけたる米車
挑灯過て跡闇きくれ 野水
「闇き」は「くらき」であろう。
夕暮れで家に帰る子供なのか、それとも逢魔が刻に現れる物の怪だろうか。
二十三句目。
挑灯過て跡闇きくれ
何事を泣けむ髪を振おほひ 落梧
提燈を持った人は訃報を告げに来たか。
二十四句目。
何事を泣けむ髪を振おほひ
しかじか物もいはぬつれなき 野水
何か誤解があったのか、女に泣かれてしまい口もきいてくれない。
『芭蕉七部集』の中村注には『大和物語』百三十三段の古事によるとあるが、そこには、
「おなじ帝、月のおもしろき夜、みそかに御息所たちの御曹司ども見歩かせたまひけり。御ともに公忠さぶらひけり。
それに、ある御曹司より、こき袿ひとかさね着たる女の、いときよげなる、いで来て、いみしう泣きけり。公忠を近く召して、見せたまひければ、髪を振りおほひていみじう泣く。などてかく泣くぞと言へど、いらへもせず。帝もいみじうあやしがりたまひけり。公忠、
思ふらむこゝろのうちは知らねども
泣くを見るこそ悲しかりけれ
と詠めりければ、いとになくめでたまひけり。」
とあるだけで、やはり何で泣いていたかわからない。百三十四段がその答えなのか。
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