2021年12月19日日曜日

 今日は満月。寒月やー、凍月やー。
 近代社会に生まれ、そこの教育を受けてしまうと、前近代の人の感覚がなかなか想像がつかなくなるが、古典はそれを想像する数少ない手段でもある。
 西鶴の「西鶴諸国ばなし」を小学館の「井原西鶴集②」で読み始めたが、巻三の「蚤の籠抜け」もそんな話の一つだ。
 冤罪がテーマの話だが、盗賊に押し入られて、今なら切りつけて追払ったが、同じ日に別の所に盗賊が入りそこの亭主が斬られた。
 今なら血が落ちていればDNA鑑定でもして、誰の血かは特定できただろう。誰とも特定できない血で犯人扱いされれば、今なら長々と裁判が始まり、何十年でも冤罪を訴え続ける所だろう。
 無実の証明が困難であれば、嘘でも罪を認めて減刑を求めるというのは、今日でもよくあることだ。
 特に交通事故など、被害者の救済を優先するために、嘘の自白で減刑というのはかなり基本パターンになっている。それをしないとまたマスコミでネットで滅茶苦茶叩かれたりして、家族や親類までも仕事をやめざるを得なかったりして大変なことになる。
 こういう感覚は、基本的に日本には科学的な捜査があり、それは信頼できるものだから、冤罪を訴える人に対して疑いを持つということが普通になっている。
 今ですらそうだから「証拠もなければ是非なく籠者してありける」は理解できる。血が落ちてたのが証拠だと言われれば、それを覆す証拠を得ることは難しい。
 こうなったとき、昔の人の方が諦めが早かったのだろう。たとえ無実が立証されたところで、誤認逮捕に対する補償があるわけでもない。あるのはただ釈放と名誉の回復だけだ。
 このあとタイトルにある「蚤の籠抜け」の芸をやる不思議な囚人と一緒になり、話は急展開するのだが、ここで思うのは、死刑がなかったら果して真実を話しただろうか、ということだ。
 真犯人の自白は善意であり、感謝すべきもの。この感覚はやはり当時の人のものなのだろう。冤罪は基本的に運命であり逆らえない。それが基調になければ、この物語は近代人の首をひねるものになってしまうだろう。それはタイトルにある通り「蚤の籠抜け」に喩えられるものだった。
 同じく前近代人の言葉、ゴルギアスの「何も存在しない、存在したとしても知ることができない、知ったとしても伝えることができない」は江戸時代の日本でも同じだった。
 我々もその感覚を持つなら、世の疑惑報道も別の見方ができることだろう。そうでなくても、反証の困難が理由で真実だと信じられていることはたくさんあると思う。わからないものはわからないと認めることも大事だ。昔の人はその柔軟さを持っていた。
 そういうわけで、芭蕉についても俳諧についても定説が真実とは限らないが、それを覆すのは困難ということで、筆者はただ自分にできることだけをやっていきたいと思う。

 それでは引き続き『阿羅野』の「一里の」の巻を読んで行こうと思う。
 発句は、

 一里の炭売はいつ冬籠り     一井

で一井は貞享四年十二月九日名古屋の一井亭で

 たび寐よし宿は師走の夕月夜   芭蕉

を発句とする半歌仙興行を行っている。
 また、他のメンバーの鼠弾、胡及、長虹も貞享五年七月二十日、名古屋長虹亭での、

 粟稗にとぼしくもあらず草の庵  芭蕉

を発句とする歌仙興行に参加していて、一井を含めて四人がこの興行に同座している。
 一井の発句の方は、みんなが冬籠りをしている時に、炭売だけは忙しく働いて、みんなが暖を取るための炭を供給している、という句だ。
 みんなが休んでいる時も、誰かが働いている。それを気遣う「細み」の句と言っていいだろう。
 脇。

   一里の炭売はいつ冬籠り
 かけひの先の瓶氷る朝      鼠弾

 瓶は「かめ」であろう。筧で引いてきた水を溜めておくための瓶も、朝には氷が張っている。冬が来たのを感じさせるよくある日常の風景で、発句の冬籠りを受ける。
 第三。

   かけひの先の瓶氷る朝
 さきくさや正木を引に誘ふらん  胡及

 「さきくさ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三枝」の解説」に、

 「① 一本の木、または草の茎から三つの枝が出ていること。また、その木や草。古く、どの植物をさしたかは未詳。山百合(やまゆり)、三椏(みつまた)、福寿草、沈丁花など、諸説がある。さいぐさ。
  ※古事記(712)下「御歯は三枝(さきくさ)の如き押歯に坐しき」
  ② 植物「ひのき(檜)」の異名。〔竹園抄(13C後)〕
  ③ 植物「おけら(朮)」の異名。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕」

とある。和歌では「幸(さき)く」に掛けて用いられる。
 「正木」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「柾・正木」の解説」に、

 「① ニシキギ科の常緑低木。北海道から九州までの各地の海岸に近いところに生え、また観賞用に植栽される。高さ約三メートル。葉は柄をもち対生し、葉身は長さ約五センチメートル、やや肉厚で光沢があり、倒卵形か楕円形。縁に鈍鋸歯(きょし)がある。六~七月、葉腋から花柄が伸び緑白色の小さな四弁花が咲く。果実は扁球形、熟すと三~四裂して黄赤色の種子を露出する。園芸品種には葉に黄色や白の斑入りのものが多い。〔温故知新書(1484)〕
  ② 「まさきのかずら(柾葛)」の略。
  ※後撰(951‐953頃)雑一・一〇八一「照る月をまさ木のつなによりかけてあかず別るる人をつながん〈源融〉」

とある。②は神事に用いられるため、「さきくさ」のま幸くあれと柾の葛引きに誘われているようだ、という意味になる。

 神無月時雨降るらし佐保山の
     正木のかづら色まさりゆく
              よみ人しらず(新古今集)

の歌もあるように、季節としては冬だったのだろう。
 四句目。

   さきくさや正木を引に誘ふらん
 肩ぎぬはづれ酒によふ人     長虹

 「肩ぎぬ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「肩衣」の解説」に、

 「① 袖なしの胴衣(どうぎ)。胴肩衣。袖無し。手無し。
  ※万葉(8C後)五・八九二「布可多衣(ぬのカタぎぬ) ありのことごと 着襲(きそ)へども」
  ② 束帯の半臂(はんぴ)に似た上着。素襖(すおう)の略装として用い、軍陣には甲冑(かっちゅう)の上に着ける。
  ※鎌倉殿中以下年中行事(1454か)一二月朔日「公方様御発向事〈略〉金襴の御肩衣」
  ③ 江戸時代の武士の公服の一部。袴と合わせて用い、上下同地同色の場合は裃(かみしも)といい、相違するときは継裃(つぎがみしも)と呼び、上を肩衣といって区別する。」

とある。この場合は③であろう。儀式のために正装した武士も神事の酒に酔って肩衣がずれる。
 五句目。

   肩ぎぬはづれ酒によふ人
 夕月の入ぎは早き塘ぎは     鼠弾

 日が暮れるのが早く、船に乗りそこなったのだろう。今なら飲み過ぎて終電を逃すようなものか。
 六句目。

   夕月の入ぎは早き塘ぎは
 たはらに鯽をつかみこむ秋    一井

 鯽は「ふな」とルビがふってある。「いか」と読むこともあるらしい。
 鮒鮨の仕込みに使うフナだろうか。忙しそうに、塩漬けのフナを俵に詰め込む。
 初裏、七句目。

   たはらに鯽をつかみこむ秋
 里深く踊教に二三日       長虹

 踊りは初秋の盆踊りで、鮒鮨の仕込みの季節でもある。ただ、意外に踊れる人が少なくて、教え歩く人がいたようだ。
 元禄七年五月の「新麦は」の巻六句目にも、

   方々へ医者を引づる暮の月
 踊の左法たれもおぼえず     芭蕉

という句がある。
 八句目。

   里深く踊教に二三日
 宮司が妻にほれられて憂     胡及

 宮司の妻に気に入られるのは良いが、再三にわたって踊りを教えてくれと呼びだされるのは面倒。
 九句目。

   宮司が妻にほれられて憂
 問はれても涙に物の云にくき   一井

 惚れられても憂きというところから、その理由としてやたらに泣きつかれると付ける。
 十句目。

   問はれても涙に物の云にくき
 葛籠とどきて切ほどく文     鼠弾

 葛籠は衣裳を保管する箱で、それに文を添えて送られてくる。何の葛籠なのか問うても、泣いているばかりで答えてくれない。訃報に添えられた遺品だったか。
 十一句目。

   葛籠とどきて切ほどく文
 うとうとと寐起ながらに湯をわかす 胡及

 朝早く起こされて荷物を受け取る。前句を飛脚の小葛籠とする。
 十二句目。

   うとうとと寐起ながらに湯をわかす
 寒ゆく夜半の越の雪鋤      長虹

 「寒ゆく」は「さえゆく」。雪鋤は雪下ろしに用いる木製の鋤。
 雪国では大雪になると、夜中でも起きては雪下ろしをしなくてはならない。

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