2021年12月16日木曜日

 今日も晴れたが遠くの山は霞み、やがて見えなくなった。夕方には奇麗に月が出ている。
 中国やロシアが脅威とは言っても、どちらも人口的には増加の圧力にさらされているわけではない。経済も成長している。その意味では侵略の必然性はない。少なくとも民衆の間に戦争への機運が盛り上がっているとか、そういうことではなく、あくまで独裁体制の問題だ。
 要するに分不相応な望みを抱いているということ。それでも戦争は起こりうるが、中国やロシアの国民の罪ではない。
 基本的には反米思想を吹き込み、アメリカの脅威を煽れば、日本でもそうだが十五パーセント程度の人はそれを信じ込む。これに厳しい情報統制をおこなうとともに、軍隊でいつでもお前らをミンチにできるんだぞと脅しをかけていれば、この十五パーセント程度の人でも十分国を動かせるというわけだ。
 幸いなことに日本の左翼は軍隊を持ってないし、情報統制をする力もない。ツイッターデモなどガン無視すれば済むことだ。
 戦争に限らず闘争を好む人って、どこの国にも一定数はいるのかもしれない。大事なのはそいつらに政権を取らせないことだ。

 それでは旅も終わり俳諧の方に戻ることにしよう。
 冬の俳諧というと『阿羅野』の「初雪や」の巻がまだ読んでなかった。野水・落梧の両吟歌仙で、時期は元禄元年の冬か。芭蕉が江戸で越人と「雁がねも」の巻を巻いたのとそう遠くない頃と思われる。貞享五年は九月三十日に元禄元年に改元されているから、この年の冬は元禄になる。
 発句は、

 初雪やことしのびたる桐の木に  野水

で、梧は青桐(碧梧)のことだから落梧の俳諧の腕の成長と掛けているとも取れる。
 ただ、桐はシソ目キリ科で梧はアオイ目アオイ科だから、今日の分類学では全くの別物ということになる。
 桐は短期間で急速に成長するから、田んぼなども放置しておくと瞬く間に桐の木が生えてくる。福島の立ち入り制限区域で見られる光景だ。
 生えてきたと思ったら、その年のうちに二、三メートルの木になって、その枝に初雪が積もる。
 脇。

   初雪やことしのびたる桐の木に
 日のみじかきと冬の朝起     落梧

 特に寓意はなく、季候を添える。
 朝起きても日も中々登らない中、外は真っ白な雪景色なっている。
 あっという間に伸びた桐の木に、知らないうちに真っ白になった庭の景色で応じる。
 第三。

   日のみじかきと冬の朝起
 山川や鵜の喰ものをさがすらん  落梧

 冬になると鵜飼の鵜も人間が餌を調達してやらなくてはならない。朝早く起きて捕りに行く。
 四句目。

   山川や鵜の喰ものをさがすらん
 賤を遠から見るべかりけり    野水

 山の奥深く、遠くの川辺に賤の姿を見るが、鵜の餌を探しているのだろうか。
 動物と関わる職業は総じて賤だった。
 五句目。

   賤を遠から見るべかりけり
 おもふさま押合月に草臥つ    野水

 月夜の相撲だろうか。貴賤交って相撲を取るが、やはり賤民の方が元気が良くて、草臥れることを知らない。
 六句目。

   おもふさま押合月に草臥つ
 あらことごとし長櫃の萩     落梧

 『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)の注には、

 「陸奥守橘為仲が任果てて帰京する時、宮城野の萩を長櫃に入れて上り、貴賤群衆こぞってこれを見物したという(無名抄)故事による。」

とある。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「橘為仲」の解説」にも、

 「晩年に陸奥守として赴任の際,能因の歌に敬意を表し衣装を改めて白河の関を通り,上京の折には宮城野の萩を長櫃12合に入れて運んだと伝えられるなど,風雅に執した人物として知られた。」

とある。
 二条大路に多くの見物人が集まったという。前句の「押合(おしあふ)」を受ける。
 初裏、七句目。

   あらことごとし長櫃の萩
 川越の歩にさされ行秋の雨    野水

 前句を萩の咲く河原を長櫃を運ぶ人の様に転じる。「さされ行(ゆく)」は長櫃に竿をさして運ぶ様をいう。
 八句目。

   川越の歩にさされ行秋の雨
 ねぶと痛がる顔のきたなき    落梧

 前句の「さされ行」をススキや茅などに刺されてとし、「癤(ねぶと)痛がる」とする。
 癤はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「癤」の解説」に、

 「疔(ちょう)ともいい、俗におでき、ねぶと、かたねなどとよばれる。毛孔から化膿(かのう)菌の黄色ブドウ球菌が感染して、毛包、脂腺(しせん)に化膿性炎症をおこしたもので、毛孔を中心として赤い地腫(じば)れを生じ、痛みが激しい。化膿が進むと中央が軟化し、破れて黄白色の膿栓を排出し、急速に痛みや腫れが引いて治る。発熱、悪寒、リンパ管炎、リンパ節炎を伴うことがある。顔に生じた癤は面疔とよばれ、口唇や瞼(まぶた)にできると腫れがひどくなり、口や目があけられなくなる。また静脈炎や髄膜炎を続発することがあったが、抗生物質療法により今日ではほとんどみられなくなった。癤が次々に多発するものを癤腫症(せつしゅしょう)という。糖尿病のときや癤の不完全な治療の場合に多い。癤の治療には安静がたいせつで、圧迫したりひっかいたりすると症状を悪化させる。抗生物質軟膏(なんこう)をはり、水道水で冷湿布するのがよい。切開は十分に化膿してから行うが、現在では早期に抗生物質を内服すると化膿が進まずに治ることが多い。[野波英一郎]」

とある。
 九句目。

   ねぶと痛がる顔のきたなき
 わがせこをわりなくかくす縁の下 野水

 「せこ」は背子で夫か男の恋人を指す恋の言葉で、根太で顔が醜いから人に見られないように縁の下に隠す。
 十句目。

   わがせこをわりなくかくす縁の下
 すががき習ふ比のうきこひ    落梧

 すががき(清掻)は和琴の基礎的な奏法で、幼く未熟な女性が通ってくる男を隠している。
 十一句目。

   すががき習ふ比のうきこひ
 更る夜の湯はむづかしと水飲て  野水

 この場合の「むづかし」は面倒という意味で、夜更けにお湯を沸かすのは面倒だと水を飲む。慣れてない遊女の様としたか。
 十二句目。

   更る夜の湯はむづかしと水飲て
 こそぐり起す相住の僧      落梧

 恋の意味はなく、普通の男同士の気安さとする。

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