2021年9月1日水曜日

 今日は新暦九月一日で関東大震災の日。当時の体験をした人も百歳くらいになってしまったか。
 それはそうと、今日は朝から曇っていて涼しく、蝉の声がなくて静かだった。
 今日のネット観戦は午前中ボッチャで午後からはゴールボール女子準決勝。
 ゴールボールの方だが、まずはトルコ・オーストラリア戦で、アルトゥンオルクの高いバウンドボールはさすがに破壊力がある。日本もこれにはやられたがオーストラリアも対処できなかった。今の時点では女子も男子も高いバウンドボールは一番の武器になる。
 日本・イスラエル戦の方は、イスラエルの方にそれほど怖い球はなかった。ただ今一つ決め球のないのは日本も同じで、後半また追いつかれるんじゃないかとはらはらした。とりあえず勝ち残ってくれた。
 第三試合のブラジル・中国戦はどちらも堅い守りで、攻め手に決め手のないまま0-0の投手戦となった。どちらか一つのミスで決まるような状態で、延長後半開始の時、中国の投げたゴールポストにはじかれたボールがロングボールで、ブラジルがPKを決めて長い試合が終わった。
 これから米露戦だが、これについては明日。

 それではその十三夜の興行が芭蕉の体調不良で延期になった翌日の興行を見てみよう。
 この興行で洒堂と之道は顔を合わせることになる。
 発句は、

   住吉の市に立てそのもどり長谷川
   畦止亭におのおの月を見侍るに
 升買て分別かはる月見かな    芭蕉

で、住吉詣でに行って雨に降られてしまったため、せっかく良くなりかけた病状がまた悪化し、それで十三夜の興行が飛んでしまったことを詫びての句だった。
 住吉神社の秋の宝之市神事は升之市とも呼ばれ、ここの升は縁起物とされていた。芭蕉も折角この時期に大坂に来たんだから、ということで誘惑に勝てなかったのだろう。
 升を買ったことで、病気なんだから無理をしてはいけないという分別を一緒に買ってきたことで、十三夜の月見が十四夜の月見に「替った」という「かはる」は二重の意味に掛けて用いられている。
 脇は亭主の畦止で、

   升買て分別かはる月見かな
 秋のあらしに魚荷つれだつ    畦止

 発句の事情について特にコメントすることはなく、前句の「升買て」から、嵐の中を宝之市に魚荷を運ぶ情景を付け、「かはる」に天候が回復して月見になった、と付ける。
 第三。

   秋のあらしに魚荷つれだつ
 家のある野は苅あとに花咲て   惟然

 花は秋の野の花で非正花になる。定座には関係ない。
 家のある辺りの野は茅が刈られた後で、可憐な野の花が咲き乱れている。その花野に嵐が吹き、その中を魚荷を運ぶ。
 四句目。

   家のある野は苅あとに花咲て
 いつもの癖にこのむ中腹     洒堂

 中腹は普通の意味だと山の中腹だが、好むものだというと別の意味か。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には「中位の量のお茶という意か」とある。正月のお茶に大服茶があるが、中服というお茶があったのかもしれない。
 五句目。

   いつもの癖にこのむ中腹
 頃日となりて土用をくらしかね  支考

 夏の終わりの土用は暑さが厳しく、江戸後期になるとウナギを食べたりする。この頃は熱いお茶で乗り切ったか。
 六句目。

   頃日となりて土用をくらしかね
 榎の木の枝をおろし過たり    之道

 榎は日影を作ってくれるが、剪定しすぎてしまった。
 初裏、七句目。

   榎の木の枝をおろし過たり
 溝川につけをく筌を引てみる   青流

 溝川(みぞがは)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「溝川」の解説」に、

 「〘名〙 (「みぞかわ」とも) 水が常に川のように流れている溝。
  ※永久百首(1116)秋「夕立にをちの溝河まさりつつ降らぬ里まで流きにけり〈源兼晶〉」

とある。
 筌は「うけ」と読む。「うへ」とも言い、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筌」の解説」に、

 「〘名〙 川の流れなどに仕掛けて、魚を捕る道具。割り竹をかご状に編み、はいった魚が出られないようにくふうされたもの。うけ。おけ。やな。《季・冬》
  ※古事記(712)中「時に筌(うへ)を作(ふ)せて魚を取る人有りき」」

とある。
 前句の榎を溝側の脇にあったものとし、筌に魚が掛かったかどうか筌につけた綱を引いてみる。
 八句目。

   溝川につけをく筌を引てみる
 火のとぼつたる亭のつきあげ   芭蕉

 亭を「ちん」と読むときは茶室の意味になる。「つきあげ」は茶室の突き上げ窓で、コトバンクの「世界大百科事典内の突上窓の言及」に、

 「草庵茶室の窓には下地窓,連子窓,突上窓の3種類がある。壁を塗り残してあける下地窓は,位置も大きさも自由に定めることができるので,室内に微妙な明暗の分布をつくり出すことができる。…」

とある。「精選版 日本国語大辞典「突上窓」の解説」の、

 「② 屋根の一部を切り破って、明かり取りとした、窓蓋のある戸。茶室などに用いられる。
  ※俳諧・徳元千句(1632)茶湯之誹諧「川風はつきあげ窓に吹入て」

の方になる。
 「筌(うけ)」から茶筌を連想したか。茶室で出される懐石料理の魚は、すぐ脇の溝川で調達されていた。
 九句目。

   火のとぼつたる亭のつきあげ
 蓋とれば椀のうどんの冷返り   之道

 懐石料理のうどんは、えてして冷めてたりしたのだろう。
 十句目。

   蓋とれば椀のうどんの冷返り
 坂下リてから一里程来る     惟然

 旅人が峠の茶屋でうどんを買ってからすぐに食べずに、一里程歩いて、下ったところで食べる。
 十一句目。

   坂下リてから一里程来る
 照つけて草もしほるる牛の糞   洒堂   

 峠道には荷を引く牛の糞が落ちてたりする。
 十二句目。

   照つけて草もしほるる牛の糞
 村の出見世に集て寐る      支考

 出見世はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出店」の解説」に、

 「① 本店から分かれて、他所に出した店。支店。分店。でだな。
  ※俳諧・天満千句(1676)三「京江戸の外にて鹿の鳴はなけ〈未学〉 出見世本宅萩の下道〈宗恭〉」
  ② 路傍などに臨時に小屋掛けをした店。露店。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「光る灯心三筋四つ辻 小まものや出見せのめがねめさるべし〈重安〉」
  ③ 比喩的に、大もとのものから分かれ出たもの。本流に対する支流、幹に対する枝の類など。
  ※雑嚢(1914)〈桜井忠温〉二六「露軍の銃剣の尖(さき)は〈略〉。露西亜(ロシア)の出店(デミセ)━セルビアへ向いてゐる」

とあるが、この②の意味は「出見世(だしみせ)」とも呼ばれていたのではないか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出見世」の解説」に、

 「〘名〙 屋台店。床店(とこみせ)。〔随筆・守貞漫稿(1837‐53)〕」

とあり、「デジタル大辞泉「床店」の解説」に、

 「商品を売るだけで人の住まない店。また、移動できる小さい店。屋台店。」

とある。この「人の住まない店」の方であろう。暑い時は人の居ないのをいいことに、みんなここで涼んで昼寝している。

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