今日も晴れていた。朝の散歩の時は朝の月が見えていた。
一回以上のワクチン接種者が67.8%になった。日本は今のところワクチン接種の出来ない十二歳未満の人が約千二百万人いる。そのため九十パーセントを越えることはない。六十五歳以上の接種率がようやく九十パーセントを越えたが、半ワクが十パーセントくらいいるとしても、八十パーセントくらいまではいくのではないか。
アニメの『鬼滅の刃』の続編が始まるというので、テレビではこれまでのアニメが放送され、もうすぐ映画版の方も放映される。
改めて見直してみると、やはりキャラ設定が本当に細かく良く作られてるなと思う。既存のアニメキャラを踏襲せずに、オリジナルキャラとしてよく作られている。
一人一人の過去の生い立ちが設定されていて、隊員同士の衝突や斬り合いもその違いから理解できるようになっている。
単純にどっちが善でどっちが悪だというのではなく、あくまで一人一人の人間としての多様性を理解する必要を教えてくれる。鬼にも鬼の過去があり、鬼の立場に立つことも教えてくれる。
また、善逸と伊之助は俳諧担当で、絶妙なところでシリアス破壊をしてくれる。これも日本のアニメならではのものだろう。
『虚栗』の月の句で、まだ見落としたものがある。
月ひとり家-婦が情のちぎり哉 杉風
これは月が一つしかないようにということで、貞節を表す句であろう。
舟中吟
月見女舟や木の間を棹ぬらん 杉風
「棹ぬらん」はルビがなくわかりにくいが、「こぎぬらん」か。
木の間の舟は、
明けわたる雄島の松の木の間より
雲にはなるるあまのつり舟
藤原家隆(風雅集)
の歌がある。松島の連想を誘うものだったのかもしれない。
江戸で船で月見をするとなると隅田川だろう。男だけでなく女も月見を楽しみ、その姿は松島を漕ぐ舟に喩えられるということか。これも「罪無くして配所の月を見る」の趣向に含まれるのかもしれない。
誰ヵ家の思-婦ぞ月に諷ふて粉引は 雪叢
これは田舎の婦人で、月夜に粉を挽いている。「月を語レ越路の小者木曾の舟 其角」の句同様の、大宮人でも流人でもなく月を語れという流れを受けている。
月に夫を思う心は、李白の「子夜呉歌」の砧を粉引きに変えたと考えればいい。砧の不易に「粉引き」は俳諧になる。
やき米を臼ツク里の桂かな 翠紅
「やき米」はウィキペディアに、
「焼米とは、新米を籾(もみ)のまま煎(い)ってつき、殻を取り去ったもの。米の食べ方・保存法の一つ。 そのままスナック菓子として食べても良いし、汁物に浮かべて粥にして食べるという雑多な利用法があった。米粒状・粉状と形態も様々である。」
とある。収穫して精米せずにすぐに食べられる。「臼ツク」は殻を取り去る作業であろう。
桂は「月の桂」で月を表す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「月の桂」の解説」に、
「古代中国の伝説で、月の中にはえているという高さが五〇〇丈(約一五〇〇メートル)の桂の木。月の中の桂。月桂(げっけい)。転じて、月、月の光などをいう。《季・秋》
※是貞親王歌合(893)「久方のつきのかつらも秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ」 〔酉陽雑俎‐巻一・天咫〕
[語誌](1)日本においては早く「懐風藻」に「金漢星楡冷、銀河月桂秋」〔山田三方「七夕」〕、「玉俎風蘋薦。金罍月桂浮」〔藤原万里「仲秋釈奠」〕などとあり、前者は「月の中にあるという桂の木」、後者は「月影(光)」の意である。
(2)「万葉集」にも「目には見て手には取らえぬ月内之楓(つきのうちのかつら)のごとき妹をいかにせむ」(六三二)などの用例が見られ、好んで取入れられたことがうかがわれる。
(3)挙例の「是貞親王歌合」について「毘沙門堂本古今集註」では、「久方の月の桂と云者、左伝の註に曰、月は月天子の宮也。此宮の庭に有二七本桂木一、此の木春夏は葉繁して、月光薄く、秋冬は紅増故に月光まさると云也」と解説する。」
とある。
これも宮廷や流人や「罪なき流人」の月の風雅が田舎の名もなき人々に拡大された例といえよう。
芋付て衰鞭月もやせつらん 云笑
衰鞭(すいべん)は鞭の衰えだが里芋の葉茎を喩えてものか。
お月見には里芋を供えたので芋は掘り起こされ、十五夜過ぎれば月も次第に痩せて行く。やはり田舎の月というテーマになる。
三ヶ月や朝㒵の夕べつぼむらん 芭蕉
この句は一連の月の句の頭に置かれている。朝に丸く咲く朝顔もやがて萎れて行き、その凋んで細くなった頃、三日月が現れる。
その三ヶ月もやがて満月になるように、朝顔は翌日別の花をつける。共に満ち欠けを繰り返すもの、というところで、月と朝顔を取り合わせている。
昼の月ぬるさ尋ん三輪の森 東順
三輪の森は奈良の三輪山、大神神社の森であろう。
「ぬるさ」は「ぬるし」の名詞化で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「温」の解説」に、
「① ひどく熱くはなく、少し温かいさま。なま温かい。
※万葉(8C後)一六・三八七五「出づる水 奴流久(ヌルク)は出でず」
※歌舞伎・成田山分身不動(1703)一「大団扇提げ来り、さんざんに焚き立つる。中より、ぬるいわぬるいわと云へば肝を消し」
② 速度が遅いさま。ゆるやかだ。のろい。まだるい。
※書紀(720)神代上(兼方本訓)「上瀬(かみつせ)は是れ太(はなは)だ疾し。下瀬(しもつせ)は是太だ弱(ヌルシ)」
※源氏(1001‐14頃)若菜下「風ぬるくこそありけれとて、御扇おき給ひて」
③ 機敏でないさま。きびきびしていない。間が抜けている。おっとりしている。
※源氏(1001‐14頃)若菜下「心の、いとぬるきぞくやしきや」
※浄瑠璃・小野道風青柳硯(1754)四「ヱヱ温(ヌル)い頬付(つらつき)」
④ ひかえめであるさま。不熱心だ。冷淡だ。
※源氏(1001‐14頃)若菜上「世のおぼえの程よりは、うちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ」
※こんてむつすむん地(1610)二「人ぬるくなりはじむるときは、わづかのしんらうをもおそれ」
⑤ 物足りないさま。軟弱だ。頼りない。
※咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)上「さる人、念仏まうしはいかうぬるいといわれた」
※浮世草子・西鶴織留(1694)三「殊更楊弓、官女の業なり。いかにしても大男の慰み事にはぬるし」
とある。昼の月は確かに⑤の感じがする。昼の月の「ぬるさ」に三輪の樒閼伽水のぬるさを掛けて三輪の森で結んだか。三輪の樒閼伽水は謡曲『三輪』に登場する。
月に親く天帝の壻に成たしな 才丸
『竹取物語』のかぐや姫の話は言わずと知れたもので、かぐや姫を嫁にできないなら、一緒に月について行って天帝の婿養子になりたい、というものだ。
正岡子規は『飯待つ間』の「句合の月」の中で、
「判者が外の人であったら、初から、かぐや姫とつれだって月宮に昇るとか、あるいは人も家もなき深山の絶頂に突っ立って、乱れ髪を風に吹かせながら月を眺めて居たというような、凄い趣向を考えたかもしれぬが、判者が碧梧桐というのだから、先ず空想を斥けて、なるべく写実にやろうと考えた。」
と書いている。後者は、
岩鼻やここにもひとり月の客 去来
の句だというのはすぐに分かったが、前者の「かぐや姫とつれだって月宮に昇る」はこの才丸の句だったか。
さらしなの月は四角にもなかりけり 友吉
更科の姨捨山の月は後に芭蕉も見に行くことになるが、特別な月だからと言って月が四角くなるわけではない。どこで見ても月はいいものだ、というわけだ。
ところで、姨捨山の田毎の月は田に水が張ってある状態、つまり秋ではなく晩秋から初夏の田植前の月で、田毎に丸い月が映るということは光学的にありえない。そのため、月で明るくなった空が、千枚田のすべてに映る、その様をいうのだという。それだと、四角い田んぼの光る様は四角い月と言えるかもしれない。
芭蕉は中秋の名月の時に行ったから、田毎の月は見ていない。その代わり芭蕉には、
わが宿は四角な影を窓の月 芭蕉
という貞亨元年の句がある。これは窓から差し込む月の光が、部屋を四角く明るく照らしている、という意味。
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