2021年9月11日土曜日

 副反応の熱は今日は下がった。
 911事件というと思い浮かぶのが翌年五月に発売されたTHE BACK HORNの「世界樹の下で」という曲で、世界樹にワールドトレードセンターを重ね合わせて、「若き兵士が‥‥」のフレーズにアフガニスタンのことを重ね合わせて聞いていた。
 イスラム原理主義のテロも中国の問題も日本の戦前の軍国主義も、根っこのところではつながっているんだと思う。それは西洋文明の侵略によってそれ以外の独自な文明の正常な発展が妨げられた、すべてはそこから始まっているのではないかと思う。
 ただ、西洋の近代化も西洋の伝統文化との戦いがなかったわけではないことは知っている。近代化はあらゆる文明を越えて可能であるにもかかわらず、近代化を急進的に勧めようとする連中が、安易に近代化=西洋化としてしまうところにひずみが生まれてしまう。それは結局のところ「利権」の問題だ。
 最終的には各民族がそれぞれ自分たちの伝統文化と近代化との妥協点を見つけ出す所にしか解決はない。それはそれぞれの民族の内部の力であって、外圧はゆがんだ結果しかもたらさない。
 西洋は軍事力による支配を速やかに止めるべきだし、同時に非西洋圏の人達は西洋を恨まないでほしい。恨みは自らの文化の発展の道を塞ぐ。日本人は黒船も原爆も恨んではいない。それを発展のエネルギーに変えてきた。
 報復の連鎖を断つというのは、日本では謡曲『摂待』以来のテーマだった。
 あと、鈴呂屋書庫に元禄五年冬の「木枯しに」の巻をアップしたのでよろしく。

 それでは名月にはちょっと早いけど、元禄六年八月十六日、江戸での歌仙興行を見て行こうと思う。発句は、

 いざよひはとり分闇のはじめ哉  芭蕉

 前に読んだ、

 十三夜あかつき闇のはじめかな  濁子

の興行に先行するものだ。
 十六夜の月は日没に対して若干月の出が遅れる所から、短時間ながら日も月もない闇の時間が生じる。十七夜、十八夜となるにつれ、この闇の時間が長くなってゆく。今日はこの闇の始まる日だ、というわけだ。
 脇。

   いざよひはとり分闇のはじめ哉
 鵜船の垢をかゆる渋鮎      濁子

 「渋鮎」は「さびあゆ」と読む。錆鮎はコトバンクの「世界大百科事典内のさびアユの言及」に、

 「…産卵間近のアユは,体が黒ずみ腹部は赤く色づき雄では体表に〈追星(おいぼし)〉と呼ばれる白い小さな突起が生じ,手でさわるとざらざらした感じになる。このような状態を〈さびる〉といい,さびアユと呼ぶ。年魚の名のとおり,産卵が終わるとアユは死亡するが,水温の低いところに生息したものや餌が十分とれず成熟しなかった一部は越年することもあり,〈越年アユ〉または〈古瀬(ふるせ)〉などと呼ばれる。…」

とある。
 夏の鵜舟も鮎を取るものだが、季節は変わり今は錆鮎の季節になっている。鵜飼が闇の中で篝火を焚いて行われるが、それが殺生の罪の後生の闇を思わせ、

 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉

の句を思わせる。
 その殺生の罪の垢を錆鮎漁が引き継いでゆく。前句の「闇のはじめ」に応じた付けだ。
 第三。

   鵜船の垢をかゆる渋鮎
 近道に鶏頭畠をふみ付て     岱水

 前句の罪の垢を近道しようとして鶏頭を踏んだ罪として、鵜舟、渋鮎と罪つながりで付ける。
 鶏頭は食用にもされていて、

 味噌で煮て喰ふとは知らじ鶏頭花 嵐雪

の句もある。食用なら畠で作られていてもおかしくない。
 四句目。

   近道に鶏頭畠をふみ付て
 肩のそろひし米の持次      依々

 「持次(もちつぎ)」はよくわからないが、運んできた米を途中で交代して運ぶ人のことか。前句の鶏頭を踏んだ犯人とする。
 五句目。

   肩のそろひし米の持次
 見かへせば屋根に日の照る村しぐれ 濁子

 米の持ち次が降る変えると、時雨も上がって屋根に日が照るのが見える。
 六句目。

   見かへせば屋根に日の照る村しぐれ
 青菜煮る香の田舎めきけり    芭蕉

 時雨の頃は青菜の季節で、時雨も上がる頃に青菜煮る煙の臭いがし出すと、田舎に来たなという実感がわく。
 陶淵明の園田の居は

 狗吠深巷中 鷄鳴桑樹巓

と、犬や鶏の声に田舎を感じさせるが、それを卑俗なものに言い換えるのが芭蕉だ。
 初裏、七句目。

   青菜煮る香の田舎めきけり
 寄リつきのなき女房の㒵重き   岱水

 「寄りつき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寄付」の解説」に、

 「① よりつくこと。そばへ寄ること。
  ※評判記・満散利久佐(1656)野関「なべての人、うちとけがたく、心をかれて、人のよりつきすくなし」
  ② 頼りとするところ。よるべ。〔詞葉新雅(1792)〕
  ※俳諧・袖草紙所引鄙懐紙(1811)元祿六年歌仙「青菜煮る香の田舎めきけり〈芭蕉〉 寄りつきのなき女房の㒵重き〈岱水〉」
  ③ はいってすぐの部屋。玄関脇にある一室。袴付け。
  ※浮世草子・浮世栄花一代男(1693)二「先よりつきに矢の根を琢き立、其次に鑓の間あれば」
  ④ 舞台などの正面。観客に向かった側。
  ※雑俳・太箸集(1835‐39)四「神楽堂よりつき丈は戸樋がある」
  ⑤ 茶庭などに設ける簡略な休息所。
  ※落語・素人茶道(1893)〈三代目春風亭柳枝〉「兎も角も御寄付(おヨリツキ)から拝見を為(し)て、御庭を拝見為て」
  ⑥ 取引市場で、前場または後場の最初の取引。また、その値段。寄り。⇔大引け。
  ※洒落本・北華通情(1794)「朝の寄(ヨリ)つき合図の拍子木は」
  ⑦ 「よりつきねだん(寄付値段)」の略。
  ※雑俳・冠付五百題(1857)「追々繁昌・寄付(ヨリツキ)がヱヱ低いので」

とある。②にこの句が用例として挙げられている。
 田舎に帰っても頼るあてのない女房はつらいものだ。
 八句目。

   寄リつきのなき女房の㒵重き
 夜すがら濡らす山伏の髪     芭蕉

 身寄りをなくして一人ぼっちになった女房が山伏に顔を押し付けて毎晩の様に泣くが、その㒵が重いという所に俳諧がある。
 九句目。

   夜すがら濡らす山伏の髪
 若皇子にはじめて草鞋奉リ    濁子

 たかが草鞋一足とは言え、皇子様から下賜されたもの。感激の涙を流す。
 十句目。

   若皇子にはじめて草鞋奉リ
 渡しの舟で草の名を聞      依々

 草履の下賜は渡し舟で草の名を教えてたことへのお礼だった。一字の師という言葉があるが、草の名一つでも師で、その恩に報いる。
 十一句目。

   渡しの舟で草の名を聞
 鷭の巣に赤き頭の重リて     芭蕉

 バン(鷭)は全身が黒っぽくて額から嘴の付け根辺りまでが赤い。川や池の草の生える中に巣を作る。「赤き頭の重リて」は子バンがたくさん生まれたのであろう。
 十二句目。

   鷭の巣に赤き頭の重リて
 ばけ物曲輪掃のこす城      濁子

 「曲輪(くるわ)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「曲輪」の解説」に、

 「城や砦の周囲にめぐらして築いた土石の囲い。江戸時代になって「郭」の字もあてるようになった。構造の形態や位置などによって,二ノ曲輪,三ノ曲輪,内曲輪,外曲輪,横曲輪,引張曲輪,帯曲輪などの名称がある。また,「廓 (郭) 」と書いて,遊里,遊郭をもさすようになった。」

とある。
 芦を刈ったあとの取残されたバンの巣を例えて言ったものであろう。

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