昨日の閉会式はシャカシャカしたテクノサウンドが延々と続いて、眠くなる展開だった。日本的な要素もなかったしね。でも頑張って目を明て最後まで見た。パリからの映像もオリの時とまとめて撮ったんだろうな。
最後にwhat a wonderful worldを唄ったのが奥野敦士だというのを後から知った。まあ、実物見たことがあるという自慢がしたいだけだけどね。
八十年代の半ばに駒沢大学の学園祭で見たライブが、一番手がLÄ-PPISCH、二番目にTHE BLUE HEARTS、そして三番目のTHE SHAKESの次に出てきたROGUEというバンドのボーカルが奥野敦士だった。バンドの方はライブハウスなどでありがちな大音響で音の洪水を作る、あまり音の輪郭のはっきりしないバンドだった。それが今は障害者となってパラリンピックの閉会式を飾るとは、想像もしなかった。
まあ、結局パラも無観客だったということで、それを残念がる声、本当に日本のオリパラは盛り上がったのか、その反応が分からないという声もあることだろう。心配ないよ。ちゃんと盛り上がったよ、表には出なくてもみんなの心の中で。
そもそも論なんだが、人間は生まれや育ちによって稼ぐ力に能力の差がある。それを平等にしようとすると、結局は稼げる人間を稼げなくするしかない。
二十世紀の人類学者が狩猟民族を調査した時見出したのは、そこは完全な平等社会だったが、それは同時に徹底した出る杭を打つ社会だった。それは自由平等の楽園のようにも見えるが、三十過ぎれば老人のように見える、慢性的に栄養の不足した社会だった。
人類の歴史は平等から不平等への歴史で、それは例えばマラソンのようなもので、スタートラインでは一線に並んでいても、走れば走るほどトップとビリの差は開いて行く。それが文明だった。
二十世紀の社会主義は、先頭を行く稼げる人間を暴力的に排除することで、飢餓と粛清の地獄に陥った。基本的に極端な社会主義は、既に大差のついているレースを無理やりスタートラインに引き戻そうというもので、生産性を犠牲にして平等を実現しようというものだ。
稼げないものが稼げるものの足を引っ張ることで平等を実現するというやり方は、何もマジョリティーに限ったことではないのではないかと思う。障害者にも稼げる者と稼げない者がいる。LGBTにも稼げる者と稼げない者がいる。少数民族にも稼げる者と稼げない者がいる。女性にも稼げる者と稼げない者がいる。いわゆる人権派が社会主義的な平等の精神でマイノリティーの開放を目指すとき、それぞれの稼げる人達の足を引っ張ってしまってないだろうか。
マイノリティーの開放には二つの相矛盾する軸がある。一つはマジョリティーとの平等を求める所で社会主義的平等主義への力が働く。一方でマイノリティーが自活して食ってゆくための資本主義への参加の力が働く。この二つが打ち消し合ってる限り、マイノリティーはいつまでも不遇だ。
今回のパラリンピックでも反対デモがあった。彼らのスローガンは「パラリンピックは障害者を選別する」「パラリンピックは差別を拡大する」だった。実力のある勝凱者こそ、彼らの最大の敵なのかもしれない。
走れば走るほど差が広まるレースに、平等というのは前を行く走者を転ばせることではなく、後を行く走者にローラースケートを履かせることだと、筆者は前にも言ったことがある。その考えは変わっていない。
昔の社会主義者はみんなで働こう、労働こそが人間の価値だと言っていたが、豊かな時代の社会主義者は、社会主義になれば国から金を貰って毎日寝て暮らせるものだと思っている。「障害者に頑張らせるな」なんて言っている反パラはそういう感覚なのだろう。
それでは「秋もはや」の巻の続き。
十三句目。
早稲も晩稲もよい米の性
月影はおもひちがへて夜が更る 惟然
早稲や晩稲があるように、人にもいろいろ思いの違いはある。人それぞれに思いは違っていても皆同じ月を見て夜が更けてゆく。
十四句目。
月影はおもひちがへて夜が更る
奉行のひきの甲斐を求し 支考
「ひき」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、
「旱魃・風水害・虫害・または地形地味の変化による損害を点検して租税を減免すること」
とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「引」の解説」の、
「[三] 数量の差引き。減法。
(イ) 江戸時代、田畑の貢租を減除すること。一年限のものを一作引といい、長期のものを年々引、連々引という。
※地方凡例録(1794)六「石盛違引〈略〉勿論地不足無地だか石盛違の分、古検新検石盛の差ひにて引に立たる分は」
に当る。
「甲斐(かひ)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「①効果。ききめ。
出典竹取物語 貴公子たちの求婚
「かの家に行きてたたずみ歩(あり)きけれど、かひあるべくもあらず」
[訳] あの(かぐや姫の)家に行って、うろつき歩いたが、効果があるはずもない。
②(するだけの)価値。
出典源氏物語 桐壺
「宮仕への本意(ほい)、深く物したりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ」
[訳] (桐壺更衣(きりつぼのこうい)に)宮仕えをさせるという本来の志を深く守りとおしていたお礼には、それだけの価値があるように(してあげたい)とずっと思い続けてきた。」
とある。
この秋の収穫に大きな被害が生じての年貢の減免交渉の場であろう。それぞれに異なる思いがあって、夜更けまで議論が続く。
十五句目。
奉行のひきの甲斐を求し
高うなり低うなりたる酒の辞儀 芭蕉
辞儀はお辞儀のこと。前句の「ひき」を帰るの意味に取り成して、酒の席でお奉行様が退出するとき、酒をたくさんいただいた時は平身低頭し、酒が足りないとおざなりになる。
十六句目。
高うなり低うなりたる酒の辞儀
財布切らるる柴売の連 洒堂
「財布切らるる」は「自腹を切る」、「身銭を切る」と同様で、支払いをするということ。あまり金に縁のなさそうな柴売の友は、奢ってやるというと急に頭を低くする。
十七句目。
財布切らるる柴売の連
さく花に内裏の浦の大へいさ 之道
「内裏の浦」がよくわからない。「内裏」という言葉自体に既に「裏」という意味が含まれているから「内裏の裏」だとしてもよくわからない。あるいは源平合戦の時の安徳天皇の臨時の御所をイメージしているのか。だとしたら須磨の浦であろう。
とにかく、柴売の連(つれ)が被害にあうのだから、京都御所の花見ではなく、どこか田舎の海辺の花見なのだろう。
十八句目。
さく花に内裏の浦の大へいさ
馬を引出す軒のかげろふ 惟然
前句を須磨だとするなら、出陣する平家の亡霊でも見たのであろう。
二表、十九句目。
馬を引出す軒のかげろふ
雇人の名を忘れたる節の客 支考
節句の宴となると、たくさんの賓客を迎えることになるが、その乗って来た馬と馬子もどこかに控えている。帰る時に自分の馬を探そうとするが、馬子の名前を憶えていないから呼ぶこともできない。
今でいうと駐車場で自分の留めた車の位置を忘れてしまうようなものだ。
二十句目。
雇人の名を忘れたる節の客
手ばやく埒を明る縁組 車庸
埒(らち)は馬場の柵のことで、それが比喩として意味が拡張されて、物事がうまく進むことを「埒が開く」と言い、進まないことを「埒が開かない」という。
前句を物忘れのひどい人とし、そういう人だから過去にとらわれずに、さっさと縁談をまとめ上げる。
二十一句目。
手ばやく埒を明る縁組
薮先の窓の障子のあたらしく 其柳
薮は草木の手入れされずに生い茂った状態で、藪は郷里、在所、という連想を誘うし、そこに貧民のイメージもある。その窓の障子が新しくなったということは、縁組の問題は婚資の増額で解決したのか。
二十二句目。
薮先の窓の障子のあたらしく
焼てたしなむ魚串の煤鮠 洒堂
「魚串」はここでは単に「くし」と読む。鮠はここでは「はえ」と呼ぶが、今は一般的に「はや」と呼ばれている。ウィキペディアには、
「日本産のコイ科淡水魚のうち、中型で細長い体型をもつものの総称である。ハエ、ハヨとも呼ばれる。」
とあり、特定の魚ではなくウグイ、オイカワ、カワムツなどを指す。
繁殖期の夏には婚姻色で赤くなるが、煤鮠はそれ以外の時期のハヤのことか。食べるには冬の寒バエが良いとされている。
貧しい家でも障子を新しくするのと、寒バエの串焼きを食べるのは、ささやかな楽しみと言えよう。
二十三句目。
焼てたしなむ魚串の煤鮠
此銭の有うち雪のふかれしと 芭蕉
寒バエの季節ということで雪の季節になる。銭が尽きた時に雪が降ると苦しいので、銭がまだ残っているうちに降ってくれと願う。
二十四句目。
此銭の有うち雪のふかれしと
宵の口よりねてたやしけり 支考
「たやしけり」はコトバンクに「精選版 日本国語大辞典「たやす」の解説」に、
「〘動〙 (活用不明、サ行四段型か。補助動詞として用いる) 動詞に「て」のついた形について、ある動作をなし終える意をののしっていう語。…てしまう。
※浄瑠璃・道中亀山噺(1778)四「エヱひょんな所へ戻ってたやした」
とある。用例は今なら「戻ってやした」になるところだろう。
支考の句は「寝てやした」というところか。「けり」という文語と合わさると妙な感じだ。まあ、金がないなら早いところ寝るしかない。
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