今日は朝の散歩で有馬神明神社へ行った。帰り着く頃に小雨が降りだした。
日本共産党の志位さんから、
1、資本主義という矛盾に満ちた社会が人類の到達した最後の社会か?
2、マルクスは21世紀では古くなってしまったか?
という質問を受けたので、答えて進ぜよう。
(ツイッターで「共産主義はどうも」という、不特定多数の方に向けて発信された質問だということを一応。)
1、資本主義の矛盾は資本主義に内在するものである限り、資本主義で解決可能です。資本主義は人類の到達した最後の社会と言っていいと思います。
2、マルクスは古くなっていません。古くなったのはレーニンの帝国主義論です。今の世界はまさにマルクスの予言通りと言って良いと思います。
以上。
あと、元禄六年冬の「後風」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
『虚栗』の月の句はまだ残っていた。
四ッ手舟はぜ買よらん月見川 藤匂
「四ッ手舟」は四手網で魚を取る船であろう。隅田川でもこの「四ッ手舟」が浮かんでいて、ハゼを取ってたのだろう。それを隅田川で月見をしたついでに買って帰りたい、というものだ。
同じ『虚栗』の「我や来ぬ」の巻五句目に、
冶郎打かたふける夕露
坐月にはぜつる舟の遠恨み 嵐雪
の句も、こちらはハゼ釣りだが、ハゼを取る漁師がいたのだろう。「土-船諷棹」の巻の脇も、
土-船諷棹月はすめ身ハ濁レとや
浮生ははぜを放す盞 其角
とある。庶民の間でのハゼ釣りも広がりだした頃だった。
『虚栗』にはハゼの発句も何句かある。
栗のから藻の中のハゼかぞへつべし 卜尺
卜尺は芭蕉の日本橋にいた頃お世話になった小沢さんで、漢字を半分に切ると「卜尺」になる。
栗の殻は栗のいがで、いがの中に栗の実が並んでいる姿と、藻の中にハゼが並んでいる姿を重ね合した句だ。
八月十五日の十五夜は芋名月と呼ばれ、九月十三日の十三夜は栗名月と呼ばれている。
焼栗や居蔡月の雨 幻吁
の句は先の一連の名月の句とは別の所にあり、十三夜の句になる。居蔡は「蔡(カメ)ヲ居(オサムル)」と読む。
さて、ハゼの句だが、次は、
傘合羽はぜつり時雨顔なるや 皷角
ハゼ釣りに行くときには笠を被り合羽を着て、まるで時雨が降って来たみたいだ。
釣人帰ルあらしをはぜの命哉 露章
嵐で釣り人が帰るとハゼは命拾いをする。釣り人の方は今日は殺生をしなかった、坊主だ、と言うのだろう。
はぜの地をいかにおしまん仏の日 露宿
「仏の日」はこの場合身内の命日とかであろう。殺生を忌むため釣りに行けない。
こがれきや澪木の枝折はぜ小舟 蒼席
「澪木(みほぎ)」は澪標(みをつくし)のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「澪標」の解説」に、
「① (後世は「みおづくし」とも。「澪の串」の意) 通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として立てる杭。水深の浅い河口港に設けるもの。古来、難波のみおつくしが有名。また、和歌では「身を尽くし」にかけて用いることが多い。みおぎ。みおぐい。みおぼうぎ。みおじるし。みおのしるし。みおぐし。
※万葉(8C後)一四・三四二九「遠江(とほつあふみ)いなさ細江の水乎都久思(みヲツクシ)あれを頼めてあさましものを」
とある。
隅田川にも船の水路を示すための澪標が立ってたのだろう。釣り船もそれを目印にしてハゼのよく釣れる場所を探す。
澪標は恋の歌によく詠まれ、
侘びぬれば今はたおなじ難波なる
身をつくしてもあはんとそ思ふ
元良親王(後撰集)
は百人一首でも知られている。ここでは上五の「こがれきや」が「漕ぐ」「焦がれる」に掛けて用いられている。
さて、最後に『虚栗』ではなく、天和二年刊千春編の『武蔵曲』から一句、
盞ヲ漕ゲ芋を餌にして月サ釣ン 暁雲
やはり天和調の句で、月に酒(杯)、月に芋(芋名月)そして月に釣りと盛りだくさんな一句だ。これでハゼが釣れれば言うことないが、餌は芋ではないだろう。
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