今日は生田緑地のちょっと手前のとんもり谷戸まで行った。天気は曇り。この時期は野菜の無人販売がやってない。
あと、元禄六年春の「蒟蒻に」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
俳諧の方はちょっと気分を変えて、其角撰『虚栗』から、「我や来ぬ」の巻を読んでみようと思う。季節的には七夕で、一月前に戻るが。
宗因独吟に「花で候」の巻という恋百韻があったが、これは嵐雪・其角両吟による恋歌仙になる。
『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)を元にする。注釈がないのでノーヒントで読むことになる。
発句は、
梶の葉に
小うたかくとて
我や来ぬひと夜よし原天川 嵐雪
前書きの「梶の葉」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「梶の葉」の解説」に、
「① カジノキの葉。古く、七夕祭のとき、七枚の梶の葉に詩歌などを書いて供え、芸能の向上や恋の思いが遂げられることなどを祈る風習があった。梶の七葉。《季・秋》
※後拾遺(1086)秋上・二四二「天の河とわたる舟のかぢのはに思ふことをも書きつくるかな〈上総乳母〉」
とある。
ここでは梶の葉に詩歌ではなく小唄を書き付けると前書きして、実際には発句を記す。
小唄は江戸時代を通じて様々なものが流行していたが、本格的な謡(うたい)に対して、軽く口ずさめるような歌を一般的に皆「こうた」と呼んでいたのであろう。俳諧の発句も節をつけて吟じたり唄ったりすれば、小唄の一種だったのではなかったかと思う。
一般的に日本の小唄は節は同じで、定型の歌詞を即興で自由に作って歌うようなものが多かったのだろう。江戸末期から近代にかけて流行した都都逸も、七・七・七・五の歌詞を自由に創作して唄っていた。
「我や来ぬ」は「きぬ」でやって来たということ。俺が吉原に来れば、その夜の遊女はみんな織姫のように待ちわびている。まあ、あくまで小唄だから、真に受けないように。
脇。
我や来ぬひと夜よし原天川
名とりの衣のおもて見よ葛 其角
「名とり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「名取」の解説」に、
「① その名が多くの人に知られること。評判が高いこと。有名であること。名高いこと。また、その人。なうて。名代(なだい)。
※虎明本狂言・神鳴(室町末‐近世初)「まかりくだって、上手の名どりをいたさうずると存」
② 音曲・舞踊などを習う人が、師匠・家元から、芸名を許されること。また、その人。
※人情本・春色辰巳園(1833‐35)四「何所の宅か知らねども、杵や何某(なにがし)が名取(ナトリ)の妙音、彼の古き唱哥、紅葉狩」
とあり、時代的にどっちかという所だが、ここは①の方で、発句を詠んだ嵐雪を「いよっ、名取」とよいしょするものと見た方が良いだろう。
葛の葉は秋風に吹かれて裏を見せるのを「恨み」に掛けて用いるのを本意とする。ここでは「おもて」、つまりその伊達な衣を見ろ、ということになる。
第三。
名とりの衣のおもて見よ葛
顔しらぬ契は草のしのぶにて 其角
「顔しらぬ契」は夜這いのことであろう。暗くて顔もよくわからない。
当然男はこっそり通ってくるから、草の上を人目を忍ぶようにやって来る。それをシダの仲間の「しのぶ草」に掛ける。
前句に付くと、顔はわからないが、衣の表はよく見ろ、となる。
四句目。
顔しらぬ契は草のしのぶにて
冶郎打かたふける夕露 嵐雪
「冶郎」は「やらう」で、ここは遊冶郎(いうやらう)のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「遊冶郎」の解説」に、
「〘名〙 酒色におぼれ道楽にふける男。放蕩者。遊び人。道楽者。
※文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉三「又去年の謹直生は今年の遊冶郎に変じて其謹直の跡をも見ずと雖ども」 〔李白‐采蓮曲〕」
とある。
遊冶郎が「打かたぶける」といえば盃に決まっている。夕露は酒のことで、前句の草に露が付く。
五句目。
冶郎打かたふける夕露
坐月にはぜつる舟の遠恨み 嵐雪
「坐」は「ソゞロ」とルビがある。ハゼ釣りは後に江戸っ子の間で大ブームになるが、この頃はまだその走りの頃で、ここでは漁師の舟であろう。月夜には月見舟になって酒を飲みながら、隅田川から吉原の方を眺めながめて恨み言を言う。
同じ『虚栗』に、
はぜつるや水村山郭酒旗風 嵐雪
の句がある。
江南春望 杜牧
千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中
千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え
水辺の村山村の壁酒の旗に風
南朝には四百八十の寺
沢山の楼台をけぶらせる雨
の詩句をそのままサンプリングしている。
六句目。
坐月にはぜつる舟の遠恨み
河そひ泪檜木つむ聲 其角
檜には「クレ」とルビがふってある。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「榑木」の解説」に、
「丸太を四つ割にして心材を取り去った扇形の材。古くは長さ1丈2尺(363センチメートル)、幅6寸(18.2センチメートル)、厚さ4寸(12センチメートル)を定尺として壁の心材に使用されたが、近世に入ってからは、屋根板材として全国で用いられるようになった。素材と規格は採出山によって同一ではないが、主として搬出不便な中部地方、とくに信濃(しなの)伊那(いな)地方で年貢のかわりに生産されるようになってからは、しだいに短くなり、樹種もサワラが多くなった。[浅井潤子]」
とある。
「そひ泪」は男女の寄り添って泣く泪のことであろう。「川沿い」と掛詞になり、涙にくれるから「クレ木」を導き出す。吉原の側からハゼ釣る舟を見ながら、ここを渡って逃げ出したいと舟を遠恨みする。
初裏、七句目。
河そひ泪檜木つむ聲
寐を独リ乞食うき巣をゆられけん 嵐雪
河原には乞食が一人住んでいて、そこに駆け落ちの男女の涙声を聴くと、心も揺り動かされる。
八句目。
寐を独リ乞食うき巣をゆられけん
しきみ一把を恋の捨草 其角
樒(しきみ)は仏花で葬儀に用いられる。延宝九年刊『俳諧次韻』の「春澄にとへ」の巻九十一句目に、
寺〻の納豆の声。あした冴ュ
よすがなき樒花売の老を泣ㇰ 揚水
の句がある。古くは、
しきみつむ山ぢの露にぬれにけり
暁おきの墨染の袖
小侍従(新古今集)
の歌もある。前句を恋人を失い出家した乞食坊主として亡き人を弔う。
九句目。
しきみ一把を恋の捨草
人待や人うれふるや赤椿 嵐雪
赤椿は藪椿ともいう。卑賤な薮にも目立つ花のような女は樒を抱えて、人を待っているのか、人を憂いているのか。男に惚れられるというのも、男次第では嬉しくもあれば苦しくもある。
十句目。
人待や人うれふるや赤椿
蝶女うかれて虵口さめけり 其角
これはよくわからない。蝶女は遊女のことか。虵口は蛇の口だが、欲深く何でも丸呑みする、というイメージがある。
そわそわしている田舎臭さの抜けない遊女に、いかにも軽い先輩はどんな男が来るのかすっかり浮き立って、狡猾な先輩は興味なさそうにしている。
十一句目。
蝶女うかれて虵口さめけり
こちこちと閨啄鳥の匂よけに 嵐雪
「啄鳥」は「ツツキドリ」、「匂」は「ニホ」とルビがふってある。「匂よけに」は「匂良げに」か。
前句を女は浮かれていたが男は冷めたとして、その原因を閨をつつくキツツキのような音とともに、何か良い匂いがしたからとする。
あるいは「閨啄鳥」は人の閨を邪魔して回る奴とか、そういう意味があったか。
十二句目。
こちこちと閨啄鳥の匂よけに
敵にほれて籠のかひま見 其角
前句を通ってきた恋敵とする。女は今しがた到着した駕籠を垣間見る。ひょっとしてNTR?
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