2021年9月28日火曜日

 今日は朝から晴れて、下弦の月が見えた。富士山の上の方に雪が見えた。今年二度目の初冠雪。
 昨日の続きだが、マルクスも労働者が資本家の支配を受けているうちに資本家のやり方を学習し、労働者が高い生産性を持つ方法を理解した時に革命が起きると考えていた。それはすでに現実のものになっている。
 労働者が資本主義の高い生産性を持つ方法を学ぶことで、誰もが資本家に成れるようになる。平社員から社長に出世する者、脱サラして会社を興す者、ひそかに株を買って儲ける者、そうした人たちによって次第に資本家と労働者は固定された階級ではなく流動的なものになる。
 資本主義の高い生産性を維持しつつ、次第に階級も消滅し、市場はグローバルになって国家の役割を奪ってゆく。これがマルクスの予言した世界だったのではなかったか。
 ところが二十世紀の社会主義者は資本主義から何も学ぼうとせず、労働者の本来持っていた成長する能力を奪い続けてきた。資本主義から何も学ばず、資本主義以前の生産性の低い状態に戻してしまえば、飢餓に陥るしかない。
 資本主義の持つ矛盾は資本主義で解決できる。マルクスは「人間は解決可能な問題しか提起しない」と言ったではないか。資本家にできることは労働者にもできる。
 多様性社会という言葉も軽々しく口にする人がいるが、誰も傷つかない社会なんてのは存在しない。多様性を受け入れるというのはそれなりの痛みを伴うもので、多様性社会は傷を分かち合える社会に他ならない。

 それでは「落着に」の巻の続き。挙句まで。

 二十五句目。

   米つく音は師走なりけり
 夕鴉宿の長さに腹のたつ     其角

 夕鴉が鳴きながら塒に飛んで行く頃、やっとのことで宿場に辿り着いた旅人が、事前に手紙を出して置いた宿屋に向かうが、意外に宿場町が大きくて探すのに骨が折れる。辺りからは精米の米搗く音がする。師走の夕暮れの宿は寒い。
 二十六句目。

   夕鴉宿の長さに腹のたつ
 いくつの笠を荷なふ強力     越人

 大きな宿だから大名行列が到着したのだろう。みんなの笠をまとめて保管するのだろう。走り回る強力はたまったもんではない。
 二十七句目。

   いくつの笠を荷なふ強力
 穴いちに塵うちはらひ草枕    越人

 「穴いち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「穴一」の解説」に、

 「〘名〙 子供の遊びの一種。直径一〇センチメートルくらいの穴を掘り、その前一メートルほどの所に一線を引き、そこに立ってムクロジ、ゼゼガイ、小石、木の実などを投げる。穴に入った方が勝ちとなるが、一つでも入らないのがあったら、他のムクロジ、ゼゼガイなどをぶつけて、当てたほうが勝ちとなる。銭、穴一銭を用いるようになって、大人のばくちに近くなった。後には、地面に一メートル程の間を置いて二線を引き、一線上にゼゼガイなどをいくつか置いて他の一線の外からゼゼガイなど一つを投げて当たったほうを勝ちとする遊びをいうようになった(随筆・守貞漫稿(1837‐53))。あなうち。
  ※俳諧・天満千句(1676)二「高札書て入捨にして〈利方〉 穴一の一文勝負なりとても〈直成〉」

とある。ちょっとボッチャに似ている。この種のゲームはどこの国にもあるのだろう。
 こういうゲームは子供だけでなく、大人もちょっとした何かを賭けたりして遊んでいたのではないかと思う。強力が小さな小屋で寝る場所を賭けて、負けたら草枕だったか。
 二十八句目。

   穴いちに塵うちはらひ草枕
 ひいなかざりて伊勢の八朔    其角

 ウィキペディアに「後の雛」という項目があって、そこに、

 「後の雛(のちのひな)は、8月1日また9月9日に飾られる雛人形、またそれを飾る江戸時代の慣わしである。」

とあり、

 「江戸時代、おそらく貞享、元禄年間に始まるのであろうという。正徳年間のことについて、「滑稽雑談」に、「今また九月九日に賞す児女多し、俳諧これを名付けて後の雛とす」、「入子枕」に、「二季のひゝなまつり、今も京難波には後の雛あるよしなれど、三月の如くなべてもてあつかふにはあらずとなむ、播州室などには八朔に雛を立るとぞ」とある。」
 「戦国時代の1566(永禄9)年1月、室山城主の家に黒田官兵衛の妹ともいわれる姫が嫁いできた夜、対立関係にあった龍野城主・赤松政秀に急襲され、花嫁も奮戦したが討ち死にした。地区では鎮魂のため、3月3日のひなまつりを旧暦8月1日の八朔まで延ばしたとされる。」

とある。
 伊勢の八朔の「後の雛」も有名になったか、宿がいっぱいで、穴一に負けた者が野宿する。
 二十九句目。

   ひいなかざりて伊勢の八朔
 満月に不断桜を眺めばや     其角

 普段桜はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「不断桜」の解説」に、

 「〘名〙 サトザクラの園芸品種。花は白く一重で径三センチメートルぐらい。春秋に長い柄のある花を開き、冬も成葉が残り、花が咲く。三重県鈴鹿市の伊勢白子観音に古くからある。天然記念物。《季・春》
  ※俳諧・曠野(1689)員外「満月に不断桜を詠めばや〈其角〉 念者法師は秋のあきかぜ〈越人〉」

とある。
 前句の伊勢の八朔から、伊勢白子観音の不断桜なら名月の桜を見られるか、見てみたい、とする。満月と桜がなかなかそろわないというのは、この時代の俳諧の一つのテーマでもある。
 三十句目。

   満月に不断桜を眺めばや
 念者法師は秋のあきかぜ     越人

 念者法師はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念者法師」の解説」に、

 「〘名〙 男色で、稚児(ちご)を愛する兄分の法師。念者ぼん。
  ※俳諧・曠野(1689)員外「満月に不断桜を詠めばや〈其角〉 念者法師は秋のあきかぜ〈越人〉」

とある。
 越人の認識だと法師はみんな念者で、念者法師は同語反復になる。秋の秋風、頭痛が痛いというようなもの。マルチン・ハイデッガーはLebensphilosophie(生の哲学)を同語反復だと言った。
 二裏、三十一句目。

   念者法師は秋のあきかぜ
 夕まぐれまだうらめしき帋子夜着 越人

 念者法師も恋が原因かどうかはわからないが、寺を追われて旅に出る。秋風の中、火も暮れようとしていて、帋子夜着で夜寒をしのぐ今の境遇が恨めしい。
 後の元禄十一年刊艶士編の『水くらげ』に、

 むかしせし恋の重荷や紙子夜着  其角

の句がある。元のアイデアは越人のこの句ではないかと思う。
 三十二句目。

   夕まぐれまだうらめしき帋子夜着
 弓すすびたる突あげのまど    其角

 「すすびる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「煤びる」の解説」に、

 「① 煤でよごれる。すすける。また、古くなって色あせる。すすぶる。すすぼる。
  ※仮名草子・竹斎(1621‐23)下「羽織はいかにもすすびたる紫紬の襟を差し」
  ② 古くさくなる。古びる。
  ※読本・雨月物語(1776)仏法僧「某が短句(たんく)公(きみ)にも御耳すすびましまさん」

とある。「弓」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「弓」の解説」に、

 「⑧ 突き上げ窓の支えの竹。
  ※俳諧・曠野(1689)員外「夕まぐれまたうらめしき紙子夜着〈越人〉 弓すすびたる突あげのまど〈其角〉」

とある。この句が用例になっている。
 突き上げ窓は明り取りの窓で、茶室の屋根やお城などにも用いられる。
 元禄七年秋の「升買て」の巻八句目の、

   溝川につけをく筌を引てみる
 火のとぼつたる亭のつきあげ   芭蕉

の「つきあげ」は草庵茶室の突き上げ窓になる。
 其角の句だと「弓すすびたる」とあるから、使われなくなって長く放置された草庵茶室に寝泊まりしたということか。
 三十三句目。

   弓すすびたる突あげのまど
 道ばたに乞食の鎮守垣ゆひて   其角

 鎮守はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鎮守」の解説」に、

 「① (━する) 辺境に軍隊を派遣駐屯させ、原地民の反乱などからその地をまもること。特に、奈良・平安時代、鎮守府にあって蝦夷を鎮衛すること。鎮戍(ちんじゅ)。鎮衛。
  ※続日本紀‐天平九年(737)四月戊午「麻呂等帥二所レ余三百五人一鎮二多賀柵一〈略〉国大掾正七位下日下部宿禰大麻呂鎮二牡鹿柵一。自余諸柵依レ旧鎮守」 〔曹丕‐以陳群為鎮軍司馬懿為撫軍将詔〕
  ② 「ちんじゅふ(鎮守府)①」の略。
  ※続日本紀‐天平元年(729)八月癸亥「又陸奥鎮守兵及三関兵士、簡二定三等一」
  ③ 一国・王城・寺院・村落など一定の地域で、地霊をしずめ、その地を守護する神。また、その神社。鎮主。鎮守の神。鎮守神。
  ※本朝世紀‐天慶二年(939)正月一九日「官符三通。皆給二出羽国一。〈略〉一通鎮守正二位勲三等大物忌明神山燃〈有二御占一〉事恠」

とある。今は文部省唱歌の「村祭」の影響からか、ほとんど「村の鎮守様」のイメージで用いられている。近代の国家神道の元に、地域の神社が統廃合されたときに、郷社や村社の呼び名として残ったのではないかと思う。
 道端に乞食が結う垣根は青柴垣であろう。社殿がなくても、瑞垣で囲われた区域は神域になる。昔の神社は御神体が剝き出しで、社殿のないものも多かった。
 前句の古びた突き上げ窓を開けると、道端で乞食が柴垣を作っている。
 三十四句目。

   道ばたに乞食の鎮守垣ゆひて
 ものききわかぬ馬士の䦰とり   越人

 䦰は「くじ」と読む。籤(くじ)のこと。「䦰とり」はくじ引きのこと。
 鎮守から神社、おみくじという連想であろう。棒のたくさん入った箱を振って、穴から一本を取り出し物で、棒には番号が書いてあるだけだから、知らないと何が何だかわからない。
 三十五句目。

   ものききわかぬ馬士の䦰とり
 花の香にあさつき膾みどり也   越人

 「あさつき膾」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浅葱膾」の解説」に、

 「〘名〙 アサツキとアサリのむきみとをゆでて、酢みそであえたもの。春の食べ物で、雛祭(ひなまつり)の膳に供える。《季・春》
  ※評判記・嶋原集(1655)梅之部「あさつきなますが好物にて」
  ※狂文・四方のあか(1787か)下「式正の本膳にあさつき鱠はまぐりもおかし」

とある。公園の整備されてなかった時代の花見は神社仏閣で行われることが多かった。花の下で浅葱膾を食べる人もいれば、横で籤を引く馬士もいる。
 まあ、浅葱の多い浅葱膾で、アサリを拾い出すのはくじ引きに近いかもしれない。
 「みどり」というのは「花は紅柳は緑」という禅語に掛けていると思われる。「柳緑花紅真面目」という蘇東坡の詩の一節が元になっているという。
 挙句。

   花の香にあさつき膾みどり也
 むしろ敷べき喚続の春      越人

 喚続(よびつぎ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「呼接・呼継」の解説」に、

 「〘名〙 =よせつぎ(寄接)〔現代術語辞典(1931)〕」

とあり、「精選版 日本国語大辞典「寄接・寄継」の解説には、

 「〘名〙 接木(つぎき)法の一つ。台木とする立木に生えたままの接穂を寄せ合わせて物に包んでおき、癒合した後に接穂を切断するもの。呼接(よびつぎ)。
  ※俳諧・犬子集(1633)二「式亭にて庭に椿のよせつぎの侍るを題にて よせつぎの枝やれんりの玉椿〈徳元〉」

とある。染井吉野は種で増えないので呼接(よびつぎ)で増やすが、こういう方法は古くから桜を増やすのに用いられていた。
 前句の桜を呼接(よびつぎ)にした桜とし、越人もまた先輩の其角せんの教えを受けることができて、喚続の春ということで一巻は目出度く終わる。

0 件のコメント:

コメントを投稿