今日も朝から晴れ。早淵川でカワセミを見た。
日本の新しい首相も決まったようだ。菅さんと同じ調整役タイプだが、無派閥の菅さんと比べると宏池会で足もとはしっかりしている。最大派閥の細田派が味方に付いているうちはまずまずだろう。
女性首相の誕生は先送りになったが、コロナが収まり中国の脅威が最大の課題になって来れば、次の首相の可能性は十分ある。高市さんはマス護美の印象操作で極右みたいに言われているが、かつて新進党に所属していたリベラルで、まあマス護美的には愛国=極右だからな。今回の総裁選でもマス護美に媚びた発言をせず、ぶれない姿勢が高評価を受けた。
河野さんは左に寄り過ぎ。世論調査だと左翼票が入って高評価になるが、選挙になると左翼は左翼に投票して、自民党には投票しない。岸田さんを選んだのは正しい判断だろう。
コロナの方だが、ワクチンの方は一回でも接種した人が69.6%、実効再生産数は0.6でしばらくは大丈夫そうだ。
さて、それでは引き続き『阿羅野』の秋の俳諧で、嵐雪・越人両吟半歌仙、「我もらじ」の巻を読んで行くことにしよう。『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)による。
発句は、
我もらじ新酒は人の醒やすき 嵐雪
この頃の新酒は、寒造りの酒の早稲で仕込んで晩秋に発酵を終える際に生じる「あらばしり」だったと思われる。
江戸後期の曲亭馬琴編『増補 俳諧歳時記栞草』にはこうある。
「新酒[本朝食鑑]新酒は、凡(およそ)、新択(しんえり)の新米一斗を用てこれを醸し、須加利(酒を濾布嚢也)に填(つつ)みて舟に入、其酒の水、半滴(なかばしたた)る、復(また)、布嚢に入て圧(おす)ときは、酒おのづから滴り出づ。酒滴り尽て後、汁を取、滓(かす)を去。これを新酒といふ。」
このあらばしりの頃に新しい緑の杉玉を吊るし、新酒ができたのを知らせるようになるのはもう少し後で、一茶の時代になる。
あらばしりがあっさりした味でアルコール度数も低いため、嵐雪のような大酒飲みには向かなかったということなのだろう。これには同じ大酒飲みの越人も同意する所だろう。
脇。
我もらじ新酒は人の醒やすき
秋うそ寒しいつも湯嫌 越人
秋も深まりすっかり寒くなっているが、新酒は飲みたくないし、だからと言ってさ湯も嫌いだ。あるいは熱燗の新酒はさ湯のようなものだということか。
なら、何を飲むかというと、アルコール度数の高い古酒であろう。
第三。
秋うそ寒しいつも湯嫌
月の宿書を引ちらす中にねて 越人
前句の「湯嫌」を風呂嫌いとして、風呂に入る間も惜しんで本を読みふける人とする。
四句目。
月の宿書を引ちらす中にねて
外面薬の草わけに行 嵐雪
外面(そとも)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「背面・外面」の解説」に、
「〘名〙 (「そ(背)つおも(面)」の変化した語)
① 山の、日の当たる方から見て背後に当たる方向。山の北側。また、北の方角。⇔影面(かげとも)。
※書紀(720)成務五年九月(北野本南北朝期訓)「山陽(やまのみなみ)を影面(かけとも)と曰(い)ひ山の陰(きた)を背面(ソトモ)と曰(い)ふ」
② 背中の方向。後ろの方向。また、家のうら手。転じて、事物のそとがわ。家のそと。
※書陵部本恵慶集(985‐987頃)「わがかどのそともにたてるならの葉のしげみにすずむ夏はきにけり」
とある。前句を医者として、夜は本を読み、昼は薬草取りに行く。
五句目。
外面薬の草わけに行
はねあひて牧にまじらぬ里の馬 嵐雪
馬が跳ねて放牧場へ行くのを拒むので、放牧を断念して草を取りに行く。
六句目。
はねあひて牧にまじらぬ里の馬
川越くれば城下のみち 越人
「城下」はここでは「しろした」と読む。城下町ではなく山城の麓の方という意味で、里で持て余している暴れ馬を乗りこなした武将がいたのだろう。
初裏、七句目。
川越くれば城下のみち
疱瘡貌の透とをるほど歯のしろき 越人
疱瘡(ほうそう)のあばただらけの顔なので嫁に行けず、鉄漿をぬらないので歯は真っ白だ。
常盤御前の娘に天女姫がいて、美女だったが不幸にして疱瘡で死んだという天女姫伝説が広島の疱瘡神社にあるが、いつ頃どのように成立したのかは定かでない。この伝説が当時知られていたとしたら、そのイメージだったのかもしれない。
八句目。
疱瘡貌の透とをるほど歯のしろき
唱哥はしらず声ほそりやる 嵐雪
唱哥はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「唱歌」の解説」に、
「日本音楽の用語。「声歌」「証歌」とも書く。「そうが」ともいう。 (1) 舞楽中で歌のうたわれる部分。『輪台』『青海波』で行われた。 (2) 楽器の旋律や奏法を口で唱えること,およびその歌。一種のソルミゼーション (各音に名称を与えること) 。笛や篳篥 (ひちりき) の唱歌を記すことによってかな譜が成立。笙や弦楽器の文字奏法譜も声に出して唱えられ,能管,尺八類などにも応用。近世の箏や三味線で,その旋律を擬音的に唱える場合も一種の唱歌であるが,三味線の場合特に口三味線という。 (3) 器楽曲の旋律に詞章をあてはめて歌うこと,およびその歌詞。特に『順次往生講式』で雅楽曲にあてはめたものを「極楽声歌」という。 (4) 歌詞のことを,「歌しょうが」ともいい,特に箏,三味線の音楽でいう。」
とある。楽器の演奏に関連した歌で、謡いや小唄ではなく古い時代の旋律を歌ったようだ。やはり古い時代の天女姫のイメージなのかもしれない。
九句目。
唱哥はしらず声ほそりやる
なみだみるはなればなれのうき雲に 嵐雪
うき雲はこの場合は、
春の夜の夢の浮橋とだえして
峰にわかるる横雲の空
藤原定家(新古今集)
の「わかるる横雲」のことであろう。巫山之女の故事の、一夜の情交のあと「朝には雲となり、暮れには雨となります」と言って別れたのを、巫山の峰に雲が離れていってしまう情景に作り替えたものだった。前句を巫山之女との別れに場面とする。
十句目。
なみだみるはなればなれのうき雲に
後ぞひよべといふがはりなき 越人
「後(のち)ぞひ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「後添」の解説」に、
「〘名〙 妻と死別または離別した男が、そのあとで連れ添った妻。二度目の妻。後妻。うわなり。のちぞえ。のちづれ。のちよび。
※俳諧・曠野(1689)員外「なみだみるはなればなれのうき雲に〈嵐雪〉 後ぞひよべといふがはりなき〈越人〉」
とある。前句の泪の別れの後、すぐに後妻を呼べと言うのは一体何様なのか。「はりなき」は「わりなき」で、まあ無茶苦茶だ。
十一句目。
後ぞひよべといふがはりなき
今朝よりも油あげする玉だすき 越人
「玉だすき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「玉襷」の解説」に、
「① 「たすき(襷)」の美称。
※万葉(8C後)三・三六六「海神(わたつみ)の 手に巻かしたる 珠手次(たまだすき) かけて偲(しの)ひつ 大和島根を」
② 仕事の邪魔にならないように、袖(そで)をたくし上げて後ろで結ぶこと。また、たくしあげる紐。
※平家(13C前)三「狩衣に玉だすきあげ、小柴垣壌(こぼ)ち大床(おほゆか)の束柱割りなどして、水汲み入れ」
③ たすきが交差し絡み合うように、事が掛け違いわずらわしいさまのたとえ。
※古今(905‐914)雑体・一〇三七「ことならば思はずとやは言ひはてぬなぞ世中のたまたすきなる」
とある。女房に逃げられて今朝からは自分で油揚げを作る。
当時は夫が駄目だと妻の実家が呼び戻すことが多く、離婚率も高かった。
十二句目。
今朝よりも油あげする玉だすき
行燈はりてかへる浪人 嵐雪
牢人というと「傘張」のイメージがあるが、行燈張牢人もいたようだ。
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