TBSの「ひるおび!」という番組で八代英輝弁護士が、「共産党は『暴力的な革命』というのを、党の要綱として廃止してませんから。」と言ったことで共産党から猛抗議をうけたという。確かにこれは共産党にとって死活になる。
公務員試験を受けた人ならわかると思うが、その条件に日本国憲法の体制を暴力的に転覆する集団に属してない、というのがあったと思う。暴力革命を認めてしまえば、日本の官僚や公立学校の教職員の中にいる共産党員がすべて身分を失うことにもなりかねない。
「党の要綱」というのは正確に言えば「日本共産党綱領」のことであろう。これは日本共産党のホームページで公開されているから、誰でもすぐに読むことができる。
そこには暴力革命について触れた文言は一切存在しない。暴力革命を否定しているという根拠になるのは以下の文言であろう。
「四、 民主主義革命と民主連合政府
(一二)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。」
問題はこの「民主主義革命」が暴力的かどうかということだ。(一四)のところにある、
「日本共産党と統一戦線の勢力が、積極的に国会の議席を占め、国会外の運動と結びついてたたかうことは、国民の要求の実現にとっても、また変革の事業の前進にとっても、重要である。
日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。」
ということを指すとするなら、選挙での勝利が前提となる。ただ、これが「民主主義革命」だとは明記していない。
ここでいう統一戦線は、
「統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。」
とあり、日本共産党が単独で選挙で勝利しなくても、共産党を含む野党の連立政権が誕生した場合はこの統一戦線政府・民主連合政府が成立したとみなされる。
「このたたかいは、政府の樹立をもって終わるものではない。引き続く前進のなかで、民主勢力の統一と国民的なたたかいを基礎に、統一戦線の政府が国の機構の全体を名実ともに掌握し、行政の諸機構が新しい国民的な諸政策の担い手となることが、重要な意義をもってくる。」
とあるように、ここまで行って初めて「民主主義革命」が達成されると見るべきであろう。これは統一戦線に参加しない者の事実上の政治からの排除であり、実質的な一党独裁と見ていい。これが現行の日本国憲法の体制の中で成立するとは思われない。
まず基本的なことからいえば、日本共産党は戦前からの古い時代のマルクス・レーニン主義の系譜に位置する政党で、そのため柱となっているのは帝国主義論と民族自決論だ。 この民族自決論については、最近の左翼の間ではすっかり忘れ去られているが、これは戦後左翼が日本共産党に反発して、トロツキーの永久革命を信奉し、一つの世界を作る方向に傾倒していったからだ。このいわゆる新左翼と呼ばれる人たちは、今の日本のマス護美や人権団体など至る所に巣食っている。
日本共産党が民族自決の立場に立つ限り、中国のウイグル問題やチベット問題のみならず、尖閣諸島の問題にも抗議するのは当然のことだし、北方領土の問題でロシアに抗議するのも当然のことだ。
帝国主義論の方は、「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革」という表現にはっきりと表れている。これは現在の体制が米帝の支配下にあって、本来の民主主義体制ではないという認識によるものだ。
今の政府は日本国憲法に基づき、民主的な手続きによって選ばれたものであるが、それが米帝支配で民主主義ではないというのは、一体どういうことなのか。
また、「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく」と断っている通り、これは「現在」の話であり、将来の話ではない。
つまり日本共産党が勝利をおさめ、政権を取った後、どのような変革が行われるかについて、今まで通りの選挙が行われるという保証は何もない。そこはきっちりと押さえておく必要がある。
まず考えられるのは米帝時代に戻そうとする政党を非民主的政党とみなして非合法化する、つまり自由民主党やその他の保守系政党の非合法化だ。そして、一度非合法化すれば警察権力による弾圧が可能になる。
また暴力革命については党や統一戦線が直接関与することがないというだけであり、つまり組織としては行わなくても、血の気の多い衆が勝手にやったということなら不可能ではない。「暴力革命に類することは一切否定する」という種の文言はどこにもないからだ。
現行の日本国憲法が明治憲法の改正手続きによるものではなく、八月革命による成果だという憲法学の立場に立つなら、「民主主義革命」が起きたなら、現行憲法も日本国憲法第九十六条によらずに改正することは可能になる。むしろ、統一戦線政府・民主連合政府が現行憲法を破棄し、新憲法を制定した時が「民主主義革命」と見ても良いのではないかと思う。
ここから社会主義革命への次の段階が始まるわけだが、日本共産党は二十世紀の社会主義国家の統制経済を否定している。ならどういう経済になるのかというと、そのビジョンは何も描かれていない。
かつての西洋列強の植民地化政策によってゆがめられた世界は、戦前の日本の軍国主義だけでなく、日本の左翼にも影を落としている。
反西洋・日本の独立、という点ではややねじれた形だが両者は共通していた。ただ西洋列強のかつての脅威を「資本主義の脅威」として捉え、それに対する日本の独立を「社会主義の実現」として捉えていたところが違う。
資本主義の脅威については、戦後の資本主義そのものの変化に対応していない。未だに資本家は隙あらば世界を植民地化し、労働者を貧困のどん底に陥れることを望んでいるという前提を引きずっている。資本主義は必然的に侵略戦争を引き起こすというレーニンの帝国主義論の亡霊に囚われている。
社会主義の実現に関しては、二十世紀社会主義の計画経済の失敗を繰り返さないような新しいビジョンを持てないままでいる。
今の左翼はこの二つの弱点を隠すための、その場限りの感情論を繰り返しているように思える。
「資本主義の脅威」はしばしば陰謀論に陥ってデマ情報をまき散らし、日本の独立が敗戦を理由にないがしろにされ、一つの世界を廻って勝ち馬に乗ることばかり考えている。冷戦構造崩壊以来、左翼は劣化し、混乱し続けている。
左翼がこの混乱から抜け出すには、まずは帝国主義論が過去のものとなったことを認め、戦後資本主義の変化を評価しなおさなくてはならない。そして、かつての社会主義の理想が今後の持続可能資本主義の中で実現される可能性を求めなくてはならない。これは元は極左だった筆者が至りついた結論でもある。
多分日本共産党も早かれ遅かれそこにたどり着くことになるのではないかと思う。
それでは「いざよひは」の巻の続き。
十三句目。
ばけ物曲輪掃のこす城
梅の枝下しかねたる暮の月 岱水
名月を隠すように梅の枝がある。切るべきか切らぬべきか、というのは古典的なネタで、宗鑑の、
切りたくもあり切りたくもなし
さやかなる月をかくせる花の枝
以来のものだ。
結局切らずに残した梅の枝は、化け物が曲輪を残したようなものだ、と付く。
宗鑑の句は、
切りたくもあり切りたくもなし
ぬすびとを捕へて見ればわが子なり
の方が有名だが。
十四句目。
梅の枝下しかねたる暮の月
姨まち請る後のやぶ入 馬莧
姨が待っているお盆の薮入り。正月十五日は単に「藪入り」で、七月十五日の秋の薮入りを「後の薮入り」という。
姨(おば)に月というと姨捨山の連想が働く。ここでは捨てられずに残っている姨ということで、前句の「梅の枝下しかねたる」に付く。
健康な姨なら問題はないが、姨捨山の姨も今でいうアルツハイマーのような障害を持った老婆で、今でも介護は深刻な問題だ。
十五句目。
姨まち請る後のやぶ入
ひとり住ふるき砧をしらげけり 濁子
「しらげる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「精」の解説」に、
「しら・げる【精】
〘他ガ下一〙 しら・ぐ 〘他ガ下二〙
① 玄米をつき、糠(ぬか)を除いて白くする。精米する。また、植物のあくなどを抜いて白くする。〔新撰字鏡(898‐901頃)〕
※宇津保(970‐999頃)吹上上「臼一つに、女ども八人立てり。米しらけたり」
※拾遺(1005‐07頃か)夏・九一「神まつる卯月にさける卯花はしろくもきねがしらけたる哉〈凡河内躬恒〉」
② 磨きをかけて仕上げる。きたえていっそうよくする。精製する。
※玉塵抄(1563)二八「公主の高祖の子秦王にもしらげた兵一万人をあたえて」
※俳諧・毛吹草追加(1647)中「霜柱しらげ立るやかんな月〈夕翁〉」
とある。元は①の意味だったものが比喩として②の意味に拡張されたのであろう。
ここでは②の意味で、藪入りで実家に帰ると姨が一人住まいで、砧で衣に磨きをかけて仕上げてくれる。
十六句目。
ひとり住ふるき砧をしらげけり
うらみ果てや琴箱のから 芭蕉
砧は李白の「子夜呉歌」以来、夫を兵隊に取られた女の恨みを連想させるものだで、それが恋の恨み全般に拡張されて用いられる。
「琴箱」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「琴箱」の解説」に、
「〘名〙 琴を入れておく箱。また、琴の胴。
※俳諧・蕉翁句集(1699‐1709頃)「琴箱や古物店の背戸の菊」
とある。用例にある古物店(ふるものだな)の句は同じ元禄六年秋の句で、
大門通り過ぐるに
琴箱や古物店の背戸の菊 芭蕉
という前書きがある。ここでは琴を入れておく箱の意味であろう。「琴箱のから」は箱だけということで、本体がどうなったかよくわからない。
十七句目。
うらみ果てや琴箱のから
都より十日も遅き花ざかり 曾良
前句を都を離れた隠士とする。琴箱を琴の胴体という意味にするなら、陶淵明の弦のない琴を抱いていた故事につながる。
十八句目。
都より十日も遅き花ざかり
爪をたてたる独活の茹物 岱水
山奥の田舎として茹でた山独活を爪で小さくほぐす。
二表、十九句目。
爪をたてたる独活の茹物
年礼を御師の下人に言葉して 馬莧
年始の挨拶の言葉をお伊勢参りの案内をする御師の下人にする。前句はその御師の生活感を表すものであろう。独活に伊勢白という品種があるが、独活に伊勢の連想があったか。
二十句目。
年礼を御師の下人に言葉して
烏帽子かぶれば兀も隠るる 芭蕉
御師は改まった席では烏帽子を被っていたか。烏帽子は髷の上に引っ掛けるものだが、兀(はげ)だとすぐに落っこちそうだが。
二十一句目。
烏帽子かぶれば兀も隠るる
持つけぬ御太刀を右にかしこまり 濁子
「持つけぬ御太刀」で皇族の軍としたか。ひょっとして後鳥羽院?
二十二句目。
持つけぬ御太刀を右にかしこまり
よれば跳たる馬のふり髪
刀も持ち慣れなければ馬にも嫌われている。今どき平和に慣れた将軍・大名の御子息ということか。
二十三句目。
よれば跳たる馬のふり髪
夏川やはや宵の瀬を踏ちがへ 凉葉
馬が跳ねた原因を、川を渡る時に夕暮れで薄暗くて踏む場所を誤ったからだとした。
二十四句目。
夏川やはや宵の瀬を踏ちがへ
道祖のやしろ月を見かくす 濁子
夕暮れで瀬を踏み違え、道に迷い、道祖神の社も月を見ていて見落とす。そこで一句、
笠嶋はいづこさ月のぬかり道 芭蕉
この句は『猿蓑』に、
奥刕名取の郡に入て、中将実方の塚はいづ
くにやと尋侍れば、道より一里半ばかり左
リの方、笠嶋といふ處に有とをしゆ。ふり
つゞきたる五月雨いとわりなく打過るに
笠嶋やいづこ五月のぬかり道 芭蕉
の形で発表されていた。『奥の細道』には、
「「鐙摺(あぶみずり)・白石の城を過ぎ、笠嶋の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと人にとへば、『是より遥右に見ゆる山際の里をみのわ・笠嶋と云ひ、道祖神の社、かた見の薄今にあり』と教ゆ。此比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺めやりて過ぐるに、簑輪・笠嶋も五月雨の折にふれたりと、
笠嶋はいづこさ月のぬかり道」
とある。
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