今日は朝から曇り。昼間小雨が降ったが夕方は晴れた。
真っ暗になってからいざよいの月が出た。月の出る所に雲があったのか、赤く光って「月白」ではなかった。
暇だから、何で社会主義者が資本主義を倒せないか教えてやろうか。
資本主義というのは厳密に言えば「主義」ではない。要するに思想もなければ理想もないし「義」もない。ただ、経済の効率を追求する試行錯誤の繰り返しであり、むしろ科学に近い。
だから、社会主義者が現在の資本主義よりも効率の良い経済のアイデアを思い付いたとしても、資本主義は革命を待たずに即座にそれを実行する。地球環境や格差の問題が資本主義にとって危険だと気づいた時点で、必ず資本主義はそれを回避するように動く。そこには守るべき「思想」がないからだ。
以上の理由で資本主義に勝とうと考えることは無謀だ。日本共産党もいい加減にもう気付いているんじゃないかな。ただ、彼らが変われないのは「過去の恨み」だ。戦前の弾圧、戦後のレッド・パージのなかで生き抜いてきた人たちが、その恨みでもって今の党を結束させている。
だから、暴力革命の可能性を綱領にあえて記さないことで存続させているのは、彼らにとってはレッド・パージに屈しなかった証なんで、暴力革命の放棄を綱領に盛り込むことは、日本共産党のこれまでの戦いを終わらせることになる。
今になって思うのは、資本主義こそが本当の永久革命なのではないかということだ。変えるべきものは革命を待たずに今変えるべきだ。
それでは「土-船諷棹」の巻の続き。挙句まで。
二十五句目。
羇行のなみだ下-官哥よむ
げに杜子美湯-治山-中一夜ノ雨 楓興
杜子美は杜甫のこと。子美は字。杜甫は安禄山の乱で成都に逃れた。「茅屋為秋風所破歌」という草堂が雨漏りすることを詠んだ詩があり、これが天和二年刊千春編の『武蔵曲』所収の、
茅舎ノ感
芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉 芭蕉
の句にもつながっている。
杜甫が成都の温泉でのんびりと休もうと思ったら、あの詩に詠まれた一夜の雨になってしまった、とするところに俳諧がある。
成都に温泉があるかどうかは知らないが、時折洪水のニュースは聞く。
二十六句目。
げに杜子美湯-治山-中一夜ノ雨
肴なき爐に三線ヲ煮ル 其角
山中の侘しげな宿に酒の魚もなく、三味線の胴の皮を煮るということか。
今は三線というと沖縄や奄美の楽器を指すが、元は同じ楽器で、江戸時代は三味線も三線と言っていた。延宝六年の「さぞな都」の巻の八十九句目にも、
我等が為の守武菩提
音楽の小弓三線あいの山 信徳
の句があり、貞享元年の「はつ雪の」の巻二十二句目にも、
篠ふか梢は柿の蔕さびし
三線からん不破のせき人 重五
の句がある。
二十七句目。
肴なき爐に三線ヲ煮ル
朽坊に化物がたり申すなり 柳興
「化物がたり」は怪談のことで、わざわざ幽霊の出そうな朽ちた坊に集まって、百物語などをしていたのだろう。前句をその怪談の一節としたか。
二十八句目。
朽坊に化物がたり申すなり
夫をためす獨リ野の月 長吁
お化け屋敷なんかできゃっと抱き付いて反応を見るのは昔も一緒だったのだろう。案外女の方が冷静で男の反応を見ている。ここで女を置いて逃げて行くような男だとちょっと困る。
二十九句目。
夫をためす獨リ野の月
穂に出て業平かくす薄-陰 其角
謡曲『井筒』であろう。
「地名ばかりは、在原寺の跡旧りて、在原寺の跡旧りて、松も老いたる塚の草、これこそそれよ亡き跡の、一村薄の穂に出づるはいつの名残なるらん。草茫茫として露深深と古塚の、まことなるかな古の、跡なつかしき気色かな跡なつかしき気色かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.21931-21940). Yamatouta e books. Kindle 版. )
紀の有常の女(むすめ)が業平が河内高安の郡の娘の所に通うのを知って、その心を試そうとして、
風吹けば沖つしら浪たつた山
よはにや君がひとりこゆらむ
と詠んだことを思い起こす。
三十句目
穂に出て業平かくす薄-陰
夕べを契る蜻蛉の木偶 楓興
蜻蛉は「かげろう」、木偶は「でく」と読む。ともにルビがある。
木像となった業平にトンボが契る。
二裏、三十一句目。
夕べを契る蜻蛉の木偶
進めする錦木供養立から 長吁
どう読めばいいのか。「すすめする、にしきぎくやう、たてるから」だろうか。
前句の木像に錦木を立てて供養するということか。
三十二句目。
進めする錦木供養立から
地蔵に粧ふ霜の白粉 柳興
「粧ふ」は「けはふ」。お地蔵さんが霜のおしろいで化粧しているかのようだ。前句の錦木供養をお地蔵さんに捧げる。
三十三句目。
地蔵に粧ふ霜の白粉
三七日は乱壊の相を啼ク烏 其角
三七日(みなぬか)は死後二十一日目。乱壊(らんゑ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「爛壊」の解説」に、
「〘名〙 肉がただれくずれること。らんかい。
※今昔(1120頃か)一「其の身、乱壊して、太虫、目・口・鼻より出入る」 〔謝恵連‐祭古冢文〕」
とある。死後二十一日たった死体が腐っているとカラスが鳴いている。お地蔵さんの所に埋められたのだろう。
三十四句目。
三七日は乱壊の相を啼ク烏
食腥く出る野のはら 楓興
「腥く」は「なまぐさく」とルビがある。「食」は「めし」であろう。
カラスの声に飯も生臭く感じられ、カラスの鳴く野原を出る。
三十五句目。
食腥く出る野のはら
旧悪の都は花の色苦し 柳興
旧悪はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「旧悪」の解説」に、
「① 以前に行なった悪事。きゅうお。「旧悪が露顕する」
※続日本紀‐天平宝字八年(764)一〇月己卯「朕念黎庶洗二滌旧悪一、遷二善新美一」 〔論語‐公冶長〕
② 江戸時代、逆罪の者そのほか特定の重罪を除き、いったん罪を犯しても、その後再犯がなく、ほかの犯罪にかかわり合いがなければ、犯罪後一二か月経過すれば、これに対する刑罰権が消滅したこと。また、この制度を適用する犯罪。〔禁令考‐別巻・棠蔭秘鑑・亨・一八・延享元年(1744)〕」
とある。①は今の「前科」に近い。②は執行猶予みたいなものか。
まあ、前科者の身の上で、都の花盛りを喜ぶこともできない。
挙句。
旧悪の都は花の色苦し
毛虫は峰のねぐら争う 長吁
桜が葉桜になれば、毛虫が湧いて出て来る。峰の山桜も毛虫の生存競争の場所となる。
人間の世界もそれと同じで、過酷な生存競争の中で、いつしか前科者になってしまった我が身を思い、とかくこの世は棲みにくい、嫌な渡世だと嘆いて一巻は終わる。
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