昨日あのあとゴールボールの準々決勝米露戦を見た。接戦でいい試合だった。結果的にグループCは全滅してしまったが、グループCグループD合わせても、トルコだけ決め球を持っている分突出していて、あとは横並びでどこが勝ってもおかしくないと思った。
今日は朝から雨で涼しい。午前中はブラインドサッカーを見たが、雨の中をやっていた。タイ・フランス戦は後半のフランスの追い上げでひやひやする試合だった。タイは一人残して三人で攻めてたが、ゴール前に残った一人が左サイドにいるのは決めてあったのか。ただ、ロングボールが通ってというよりは、ドリブルで上がっての攻めが多かった。
二試合目は日本・スペイン戦で、膠着した試合だった。前半の最後はサイドネットかと思ったら入っていた。
合間にボッチャの昨日の杉村さんの決勝戦を見た。相手のボンサーさんは同じタイプというか同じ戦略で制度の高さの勝負となった。
つまり初手で白の手前にビタッと付けたところで、一度はじいて仕切り直ししてまたビタッと付けるを繰り返すやり方で、これだとはじいてビタを五回繰り返したところで先手の球が一つ余ることになり、その分だけ先手有利になる。両方ミスがなければ二対二で引き分けになる。一回ビタが不十分だと、次ははじかずにビタと付けられるから一手得する。
ところで昨日サントスさんの三位決定戦を見たが、サントスさんの戦略は違っていた。初手を白より遠くに投げて布石を打っておいてからビタと付ける。これだと最初は一手損だが、相手がはじいた時に最初に投げた布石に接近するため、それが不確定な要素を生み出し、勝負を混乱させる。悪手と見えて、後になって巧手に化けるという、まるでヒカルの碁だ。
杉村さんとサントスさんの準決勝を見られなかったのが残念だ。
午後はゴールボールだが、中国・アメリカ戦を見てたら、日本だけでなくアメリカも右中間を集中的に攻めていた。中国のディフェンスもセンターが右に寄って右中間を狭めている。全体が右に寄っていて野球の昔の王シフトみたいだ。
人が全体に右に寄ってしまうと、コート全体が右に寄っているように錯覚してしまうのだろうか。楊も投げる時には大体真ん中寄りで投げていて、滅多に左に行かない。
さて女子の日本・トルコ戦だが、日本はよく頑張った。アルトゥンオルクの高いバウンドボールの破壊力はどうしようもない。防ぐとしたら、バウンドの音でコースを見極めて、起き上がって前に落とすしかない。今日の萩原のドライブボールはさえていたし、欠端とのコンビで上手く緩急つけて、実際よりも早く見せることができてたと思う。
男子のブラジル・リトアニア戦。これもいい試合だった。パブリウキアネツはいきなりやってくれたが、その後のブラジルのディフェンスは対応した。前半終わりくらいにパジャラウスカスとのツートップになったが、ブラジルは高いバウンドボールも確実に胸で落として難なく対応した。四点目の失点以外は。まあ、とにかくブラジルは強い。
モデルナワクチンの異物は、あのあとステンレス片だという発表があり、最初に問題になった異物は製造過程で入った金属の異物だったようだ。あとから便乗して出てきた沖縄の方はゴムだし、使用済みの瓶や注射器から出たという点でも間違いないだろう。
いずれにせよ不確かな報道が先行してしまっている。マス護美が何でもかんでも不安や恐怖を煽ろうとするのは、関東大震災の時から変わっていない。あの時も新聞が朝鮮人デマを流した。当時の政府は今より大きな権力を持っていたから、すぐにそのニュースを禁じた。今は止めることができない。
まあ、いくら異物の恐怖を煽っても、ワクチンなしでコロナが蔓延した時の恐怖に比べれば知れたもので、笛吹けど踊らずではないかと思う。選挙も近いが、野党も下手にこの騒ぎに便乗すれば、折角の追い風に水を差すことになる。
それでは「升買て」の巻の続き。
十三句目。
村の出見世に集て寐る
嫁どりは女斗で埒をあけ 芭蕉
「嫁どり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「嫁取」の解説」に、
「〘名〙 (「よめどり」とも) 嫁をとること。嫁を迎えること。また、その式。
※史記抄(1477)八「むことりよめとりさしさだまりたる祭り、飲食なんとをはし禁すなそ」
とある。
嫁を迎える時には男が下手に口出しするともめるもとで、埒が明かなくなる。「埒(らち)」という言葉は今は「埒が明かない」と否定文でしか使わないが、かつては肯定文でも用いられた。
埒は本来は馬場の柵のこと。これが開かないと馬を出せない。
十四句目。
嫁どりは女斗で埒をあけ
大事がる子の秋の霜やけ 青流
嫁入りはスムーズに事が運んだが、その小さな嫁(昔はローティーンの嫁は普通だった)は大事に育てられてきて、水仕事をやってこなかったか、秋になると霜焼けになる。
十五句目。
大事がる子の秋の霜やけ
汁の実の又呼かへす朝の月 之道
汁の実はみそ汁の具のこと。ここでは朝にやって来る豆腐売やアサリ売りのことか。霜焼けで菜っ葉を洗うのを嫌がる。
十六句目。
汁の実の又呼かへす朝の月
薄の中へ蟾のはひ込 畦止
汁の具材を売る人が通るので、ヒキガエルは薄の中に隠れる。
十七句目。
薄の中へ蟾のはひ込
籾ふせてそれからあそぶ花の陰 支考
春でヒキガエルの出てくる頃として、花の定座へ展開する。田舎の景色ということで、苗代を準備し、籾を蒔いてから花見を楽しむ。
十八句目。
籾ふせてそれからあそぶ花の陰
おりおりたえぬ春の旅人 洒堂
百姓が花見を楽しんでいると、その脇を旅人が通り過ぎていく。春の順礼の季節で人通りが多い。
二表、十九句目。
おりおりたえぬ春の旅人
暖に濱の薬師も明ひろげ 惟然
宇治木幡の願行寺の「浜の薬師」か。詳細は不明。
街道は行く人が絶えず、秘仏の浜の薬師も御開帳になる。
二十句目。
暖に濱の薬師も明ひろげ
しるし見分て返す茶筵 芭蕉
舞台が宇治なら茶筵の連想も自然だ。茶筵にはそれぞれの茶園の印がついているのだろう。返す時にはそれを見て返す。
二十一句目。
しるし見分て返す茶筵
めつきりと油の相場あがりけり 青流
油の方が高く売れそうなので、茶をやめて菜種を育てるということか。
二十二句目。
めつきりと油の相場あがりけり
又どこへやら羽織着て行 之道
油相場で一儲けした相場師であろう。
二十三句目。
又どこへやら羽織着て行
名号をようみせたとて樽肴 洒堂
名号(みゃうがう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「名号」の解説」に、
「① 仏菩薩の名。名字。
※観智院本三宝絵(984)下「若善心をおこせる善男女ありて阿みだ仏の名号を聞持ちて」 〔大宝積経‐五〕
② 特に、「阿彌陀仏」の四字、「南無阿彌陀仏」の六字など。
※本朝文粋(1060頃)一〇・聚沙為仏塔詩序〈慶滋保胤〉「開レ口揚レ声。唱二其名号一」
とある。名号のあるものを身に着けたお坊さんであろう。南無阿弥陀仏の文字があるが、酒も飲めば魚も食べるということか。
南無阿弥陀仏の羽織と言うと、ついつい『鬼滅の刃』の行冥さんが浮かんできてしまうが。
二十四句目。
名号をようみせたとて樽肴
竹橋かくる山川の末 支考
竹橋はこの場合は竹を何本か並べて渡しただけの粗末な橋ということだろう。前句を熊野など山奥の巡礼とする。
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