2021年9月3日金曜日

 今日も雨で涼しい。長袖を着た。コーヒーをホットに変えた。
 昨日のゴールボールの女子ブラジル・アメリカ戦は、最後にアメリカが追い付いて、延長でも決着つかず、サッカーで言えばPKのようなエクストラスロー(ET)でアメリカの逆転勝ちになった。
 今日のネット観戦は午前中はボッチャ、午後はゴールボールをメインにした。
 ボッチャの団体戦は技量に違いのある人たちが協力し合う所に面白さがある。
 元来運動障害のある人のためのゲームだから、ボッチャはショットの正確さを競うゲームではない。むしろミスがあるのが当たり前で、そのミスを単にカバーするというのではなく、それをいかに生かすかのゲームだ。サントスさんのあの初手を見て理解できたことだ。杉村さんの試合だけ見ていたのでは学べなかった。
 偶発的に飛んだボールでも、それを一つの布石として生かす方法はいくらでもある。それを見つけ出すのがボッチャだと言っても良いのではないか。
 無駄なものは何もない。それを生かすも殺すも知恵次第。それがボッチャの哲学で、健常者にとって障害者もそのようなものだということを教えているのではないかと思う。
 午後のゴールボールだが、まずは女子の日本・ブラジル戦。今まで萩原の陰に隠れていた欠端がいきなりやってくれた。立て続けに二得点したバウンドボールは加速も減速もしていない。画面ではよく見えないが横の回転が付いていたか。欠端というと、そういえば平松の時代から大洋を応援していたが、Jリーグが始まった頃から御無沙汰している。
 ブラジルの方は昨日遅くまで死闘を繰り広げてたから疲れていたかな。
 さて、次は男子のアメリカ・リトアニア戦。パブリウキアネツはお疲れなのかすぐに交替だったが、後のメンバーがよく頑張った。そして後半一点差に追いつかれた時、帰ってきましたパブリウキアネツ。リエトゥーバの大黒柱。速球が決まって再び突き放しての勝利だった。
 次は女子の決勝。トルコ・アメリカ戦だが、セブダ・アルトゥンオルク(アルトゥンオルクは二人いた)の高いバウンドボールは無敵だった。日本がいかに善戦したかが分かる。
 最後は男子の決勝。ブラジル・中国戦。今日は空間魔法はなかったか、ブラジルのペナルティースロー以外の得点はすべて左側だった。
 ブラジルのバウンドボールがなかなか決まらず、楊のドライブボールは回転がかなりきついのか、はじいたクッションボールに何度もヒヤッとさせられた。決勝戦にふさわしい緊迫した試合だった。
 さて、明日からはゴールボール・ロスだな。三年後を楽しみにしてるよ。

 そういえば、菅首相が今期限りで辞めるというニュースが入ったら株価が急騰した。次の総理はいつまでもインバウンドに固執せずに、SDGsを見据えた製造業復活戦略へと転換してほしい。
 それでは「升買て」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   竹橋かくる山川の末
 大根も細根になりて秋寒し    芭蕉

 大根は冬のもので、秋も深まってくると徐々に根が太くなりだすが、「細根」というのは今年は育ちが悪くて心細いということか。前句の山奥の景色に大根畑を付ける。
 二十六句目。

   大根も細根になりて秋寒し
 若狭恋しう月のさやけさ     惟然

 若狭は大根の産地で、大根の汁で麵を食う若狭汁という郷土料理がある。
 若狭を若様に掛けて恋に転じる。「細根」の心細い思いを受ける。
 二十七句目。

   若狭恋しう月のさやけさ
 ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ 畦止

 念願の若様に許されて添い寝すれば、眠れなくて夜が長い。
 二十八句目。

   ゆるされて寐れば目がすむ夜永さよ
 半造作でまづ障子はる      洒堂

 半造作はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「半造作」の解説」に、

 「① 建築工事や建築内部の取付物などがまだできあがっていないこと。また、そのもの。半作事。
  ※地蔵菩薩霊験記(16C後)八「未半造作(ハンザウサク)にて侍る事を悲み」
  ② 建築や内部仕上げの全部をつくるのではなく、その一部分をつくること。
  ※歌舞伎・染竹春駒(1814)三幕「古畳でも引取って、半雑作もせねばならぬ」
  ③ 目、鼻、口などの形が整っていないこと。顔のつくりがよくないこと。」

とある。
 「障子はる」はウィキペディアに、

 「障子貼る(しょうじはる)は仲秋の季語。夏の間涼をとるためにはずして物置などに蔵ってあった障子を出し、敷居に嵌める前に紙を変える事。普通、紙を貼った重ね目に埃が溜まらないように、下から上へ貼っていく。米などで適当な濃さに作った糊を盆などに調え、刷毛で桟に塗り、障子幅に切った和紙を一気に貼る。毎年貼替えずに、倹約して破れた一枚だけを切貼りしたり、穴のあいたところは花の形に切った紙などで塞いだりもする。」

とある。ただし、これは近代の季語で、ここでは内装工事の際の障子貼りだから季節に関係ない。
 内装工事のために泊まりこんだ職人が眠れずに作業を続ける。
 二十九句目。

   半造作でまづ障子はる
 気短に針立ふいと帰らるる    之道

 針立「はりたて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鍼立・針立」の解説」に、

 「① 鍼(しん)術用の針をうって病気を治療すること。また、それをするもの。鍼医。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ② =はりさし(針刺)①
  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第一「目まいといつは荻の高声 針たても所によりて替る秋」

とある。
 前句を途中で投げ出すことの比喩として途中で帰った針立を付ける。
 三十句目。

   気短に針立ふいと帰らるる
 地のしめるほど時雨ふり出す   青流

 前句の針立の短気はいつものことで、時雨のようなもの。時雨の何某とか呼ばれてたりして。
 二裏、三十一句目。

   地のしめるほど時雨ふり出す
 雌の此中うせて一羽鶏      芭蕉

 「雌」はここでは「めんどり」と読む。
 時雨の中で牝鶏が逃げて、時を告げる雄鶏だけが残る。卵はどうなる。
 「雌鳥勧めて雄鶏時をつくる」という諺もあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「夫が妻の言いなりになること、妻の意見に動かされることのたとえ。
  ※俳諧・毛吹草(1638)二「めん鳥につつかれて時をうたふ」

とある。
 三十二句目。

   雌の此中うせて一羽鶏
 ふり商に棒さげてゆく      之道

 「ふり商」は振り売りのこと。天秤棒に商品を下げて売り歩く。
 女房に逃げられて一人で棒を持って仕入れに行く。「雌鳥勧めて雄鶏時をつくる」という諺を踏まえれば、今まで女房の指示で動いていたから、どうやっていいかわからず途方に暮れている。
 三十三句目。

   ふり商に棒さげてゆく
 船入をあぢに住す三井の鐘    青流

 「あぢ」は「味」とアジガモを掛けたか。「味(あぢ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「味」の解説」に、

 「あじ あぢ【味】
  〘名〙
  [一] 物事から感覚や経験で感じとるもの。味わい。
  ① 飲食物などが舌の味覚神経に与える感じ。
  ※虎明本狂言・瓜盗人(室町末‐近世初)「是ほどあぢのよひうりはなひほどに」
  ② 物事に接して、また、経験により感じとったもの。物の良し悪し、具合、調子。「切れ味」「書き味」のように熟語としても用いる。
  ※玉塵抄(1563)一五「その中に一人さい下戸か、いへうな者があって、酒ものまいですみゑむいてをれば、満座の者があぢをわるうしてたのしみ喜ことないぞ」
  ※女難(1903)〈国木田独歩〉五「唐偏木で女の味(アヂ)も知らぬといふのは」
  [二] (形動) 良い、好ましい、または、おもしろみのある味わい。また、そういう味わいのあるさまをいう。
  ① 物事の良さ、おもしろみ。持ち味。また、そういうさま。→味を占める。
  ※史記抄(1477)四「如此てこそ始て文字の味は面白けれぞ」
  ※浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)二「是は女筆のちらし書ことになまめく贈り物。いかさまあぢなことそふな、聞まほしし」
  ② 妙味のある行為や状態についていう。
  (イ) 気のきいていること。手際のいいこと。また、そういうさま。→味にする・味をやる。
  ※評判記・難波物語(1655)「雲井〈略〉逢(あふ)時はさもなくて、文にはあぢをかく人なり」
  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)二「黒き帽子にてかしらをあぢに包みたれば」
  (ロ) 風流で趣があること。また、そういうさま。
  ※俳諧・曠野(1689)員外「峰の松あぢなあたりを見出たり〈野水〉 旅するうちの心寄麗さ〈落梧〉」
  (ハ) 色めいていること。また、そういうさま。
  ※評判記・難波物語(1655)「若旦那とあぢあるよし」
  ※咄本・無事志有意(1798)稽古所「娘のあたっている中へ足をふみ込、ついあぢな心になって、娘の手だと思ひ、母の手を握りければ」
  (ニ) わけありげなこと。何か意味ありげに感じられるさま。
  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)京「あぢな手つきして、是だんな斗いふて、盃のあいしたり、かる口いふ分では」
   ※洒落本・風俗八色談(1756)二「人と対する時は作り声をしてあぢに笑ひ」
  (ホ) 囲碁で、あとになって有利に展開する可能性のある手。また、そういうねらい。
  (ヘ) こまかいこと。また、そのようなさま。
  ※咄本・楽牽頭(1772)目見へ「男がよすぎて女房もあぶなし、金もあぶなく、湯へ行てもながからうのと、あじな所へ迄かんを付て、いちゑんきまらず」
  ③ 人の意表に出るような行為や状態についていう。
  (イ) 一風変わっているさま。
  ※浮世草子・好色一代男(1682)六「あぢな事共計、前代未聞の傾城くるひ」
  (ロ) 意外なさま。奇妙なさま。
  ※歌舞伎・四天王十寸鏡(1695)一「やあかもの二郎殿、是はあぢな所でたいめんをいたす」
  ※多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉前「柳之助は其を聞くと、〈略〉異(アヂ)に胸が騒ぐやうな心地がした」
  (ハ) 不思議なさま。
  ※浄瑠璃・摂州渡辺橋供養(1748)一「サア縁といふ物はあぢな物ぢゃ」
  ④ 取引所における売買取引の状態、または相場の動き具合などをいう。〔取引所用語字彙(1917)〕」

とかなり多義だ。
 今の言葉だと「ひょうひょうと」くらいの感じか。三井寺の近くの大津の港で商品を仕入れうまいこと生活している。
 三十四句目。

   船入をあぢに住す三井の鐘
 枯た薪を沢山に焚        洒堂

 薪の火は漁火か。ここは軽く流す。
 三十五句目。

   枯た薪を沢山に焚
 人々の尻もすはらぬ花盛     洒堂

 火を焚いて次から次へと料理を作るから、みんな食べるのに夢中で落ち着かないということか。今のバーベキューとかでもありそうな光景だ。
 挙句。

   人々の尻もすはらぬ花盛
 岨のはづれを雉子うつりゆく   惟然

 前句の花見に山の長閑な景色を付けて、一巻は目出度く終わる。

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