今日は旧暦八月朔日。名月まであと二週間。
あと、日本の一回以上のワクチン接種率が60.0%に達した。二回接種も48.3%になった。これからどこまで行けるかな。65歳以上の接種率が90パーセントの手前でストップしている。
それでは「秋もはや」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
宵の口よりねてたやしけり
相撲取の宿は夕飯居へならべ 游刀
興行の相撲取りが団体で宿泊すれば、その夕飯はさぞ壮観なことだろう。「居(す)へ」は今は「据え」という字を当てる。他の客は隅っこに追いやられ、早々に寝る。
二十六句目。
相撲取の宿は夕飯居へならべ
疇を打越すはつ汐の浪 惟然
「はつ汐」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「初潮」の解説」に、
「① 製塩の時、初めに汲む海水。
※名所百首(1215)秋「すまの浦に秋やく海士のはつ塩のけぶりぞ霧の色をそへける〈藤原家隆〉」
② 潮が満ちる時刻に最初にさす潮。
※俳諧・紅梅千句(1655)五「楠はてだてかい楯身にしめて〈貞徳〉 初しほにしもおろす御座舟〈友仙〉」
③ 陰暦八月一五日の大潮。葉月潮。《季・秋》 〔日葡辞書(1603‐04)〕
④ (「初潮(しょちょう)」の訓読み) =はつはな(初花)⑥」
とある。秋の句なので③の意味になる。
ここでは比喩で、相撲取りが土俵に塩を撒くのを言っているのか。八月一五日ということで月呼び出しになる。
二十七句目。
疇を打越すはつ汐の浪
日は入てやがて月さす松の間 車庸
海辺の景色として日が入り、松原越しに月が登る。蕪村の「月は東に日は西に」に先行するものか。
二十八句目。
日は入てやがて月さす松の間
笑ふ事より泣がなぐさみ 芭蕉
悲しい時は無理して笑うより泣いた方が良い。金八先生もそう言ってた。
二十九句目。
笑ふ事より泣がなぐさみ
洗濯のおそきを斎でせつかるる 洒堂
斎(とき)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「お斎」の解説」に、
「時,斎食 (さいじき) ,時食ともいう。斎とは,もともと不過中食,すなわち正午以前の正しい時間に,食べ過ぎないように食事をとること。以後の時間は非時といって食事をとらないことが戒律で定められている。現在でも南方仏教の比丘たちはこれをきびしく守っている。後世には,この意味が転化して肉食をしないことを斎というようになり,さらには仏事における食事を一般にさすようになった。」
とある。また、「精選版 日本国語大辞典「斎・時」の解説」に、
「① 僧家で、食事の称。正午以前に食すること。⇔非時(ひじ)。
※宇津保(970‐999頃)春日詣「ここらの年ごろ、露・霜・草・葛の根をときにしつつ」
② 肉食をとらないこと。精進料理。
※栄花(1028‐92頃)初花「うちはへ御ときにて過させ給し時は、いみじうこそ肥り給へりしか」
③ 檀家や信者が寺僧に供養する食事。また、法要のときなどに、檀家で、僧・参会者に出す食事。おとき。
※梵舜本沙石集(1283)三「種々の珍物をもて、斎いとなみてすすむ」
④ 法要。仏事。
※浄瑠璃・心中重井筒(1707)中「鎗屋町の隠居へ、ときに参る約束是非お返しと云ひけれ共、はてときは明日の事ひらにと云ふに詮方なく」
⑤ 節(せち)の日、また、その日の飲食。
とあり。この頃には④の意味も生じていた。
一句としては食事が午前中なので早く洗濯を済ませろということだが、前句をふまえると、死んで間もない悲しい法要であろう。せっつかれてもみんなに笑われなかったのが救いだ。
三十句目。
洗濯のおそきを斎でせつかるる
十夜の明に寒い雨降る 其柳
十夜は十夜法要のことで、前句の「斎」を十夜法要とする。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「十夜」の解説」に、
「陰暦10月6日から15日まで、10昼夜にわたり修される別時念仏法要(ねんぶつほうよう)。十夜会(じゅうやえ)、御十夜(おじゅうや)ともいう。「善を修すること十日十夜なれば、他方諸仏国土において善をなすこと千歳ならんに勝る」「十日十夜散乱を除捨し、精勤(しょうごん)して念仏三昧(さんまい)を修習」などと経典に出拠するが、法要の形をとったのは室町末期の永享(えいきょう)年中(1429~41)のことで、平貞国(さだくに)が京都黒谷の真如堂(しんにょどう)に三日三夜、念仏参籠(さんろう)の暁、夢想を得て引き続き七日七夜の念仏を行ったのに由来するといわれる。真如堂では比叡山常行堂(ひえいざんじょうぎょうどう)に伝えられた引声(いんぜい)念仏作法により修せられてきた。1495年(明応4)勅許により鎌倉光明寺(こうみょうじ)に移修し、以後、浄土宗の法要となった。[西山蕗子]」
とある。
季節は冬で水が氷りつくように冷たくて、洗濯も楽ではない。
二裏。三十一句目。
十夜の明に寒い雨降る
逗留は菜で馳走する山家衆 支考
「山家」の読みはわからない。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「山家」の解説」に、
「さん‐げ【山家】
[1] 〘名〙 「さんげしゅう(山家宗)」の略。
※伝光録(1299‐1302頃)永平元和尚「然しより山家の止観を学し、南天の秘教をならふ」
[2] 比叡山延暦寺をいう。
※三帖和讚(1248‐60頃)浄土「山家(サムケ)の伝教大師は国土人民をあはれみて七難消滅の誦文(じゅもん)には南無阿彌陀仏をとなふべし」
やま‐が【山家】
〘名〙
① 山にある家。山中の家。山里の家。
※類従本元永元年十月二日内大臣忠通歌合(1118)「山家にはならのから葉の散り敷きて時雨の音もはげしかりけり〈藤原為実〉」
② 端女郎(はしじょろう)の異称。〔浮世草子・御前義経記(1700)〕
さん‐か【山家】
〘名〙 山中の家。やまが。
※懐風藻(751)初春於左僕射長王宅讌〈百済和麻呂〉「鶉衣追二野坐一、鶴蓋入二山家一」 〔杜甫‐従駅次草堂、復至東屯茅屋詩〕」
とある。
山の中の家の意味で間違いはないのだろうけど、「衆」とつくことと、「菜で馳走する」ということから、やはり山の中の寺など仏教関係であろう。西行法師に『山家集』があり、概ねそういうイメージで良いと思う。
前句と合わせるなら、十夜法要のために逗留した浄土宗の寺であろう。当然毎日精進料理で、菜でもてなされる。
三十二句目。
逗留は菜で馳走する山家衆
あつらへて置臼のかすがい 游刀
「かすがい」は板を止めるコの字型の釘で、割れた木臼を補修するためのものか。菜飯の季節が来れば正月も近い。
ちなみに菜飯は近代では春の季語だが、『ひさご』の「鐵砲の」の巻三十句目にある、
糊剛き夜着にちいさき御座敷て
夕辺の月に菜食嗅出す 怒誰
の句は冬扱いになっている。
三十三句目。
あつらへて置臼のかすがい
一二町つけ出す馬を呼かへし 芭蕉
一町は約六十間で約一〇九メートル。百メートルか二百メートルなら走ればすぐ追いつける距離だ。小さなものなので他所へ置いていて、荷物の中に入れ忘れたか。
三十四句目。
一二町つけ出す馬を呼かへし
鶏おりる長塀の外 惟然
馬を呼び返すのに大声を出したら、鶏がびっくりして塀の外へ行った。また余計な手間が増えた。
三十五句目。
鶏おりる長塀の外
花かざり何ぞといへば立て舞 車庸
花に酔うというか、花を体に飾って現われて何をするかと思ったら、いきなり立って舞い始めた。びっくりして鶏が逃げて行く。
挙句。
花かざり何ぞといへば立て舞
上髭あつてあたたかなかほ 洒堂
何かにつけて花で身を飾って舞ってくれる人は、口髭を生やした奴(やっこ)さんで、いかにも人の良さそうな顔をしている。
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