昨日の夜はテレビで車いすテニスを見た。三位決定戦が長かった。でも決勝戦は待たせなかった。国枝さんはやってくれました。
今日も雨で、まずは昨日のブラインドサッカーの決勝戦を見逃し配信で見た。アルゼンチンのディフェンスはゾーンディフェンスの様で、三人で守ることが多かった。ブラジル側が突破しようとするときだけ集まってきて、取り囲んでいた。
ただ、その四人が振り切られてしまうと、どうしようもなかった。ただ、そのチャンスは少なく、ブラジルの得点は一点だけだったが、その一点で勝った。ブラジルの個人技の強さの勝利だった。
そのあとマラソンを見た。雨の中だが、灼熱の炎天下よりはいいか。ここでも男子視覚の堀越さんの銅、男子切断・運動機能の永田さんの銅、女子視覚の道下さんの金メダルと日本人の活躍が見られた。そのあとの女子バトミントン車いすの里見さん山崎さん、これもやってくれました。劉さんも良かったけど。
午後は男子車いすバスケの決勝戦。勝てそうで勝てないのは文化の差か。アメリカの国技だからな。
そういうわけで、パラリンピックも今日で終わりということで、まさにみんな勝凱者だ。あとは閉会式だけ。
障害者のドラマというと日本では謡曲『蝉丸』。蝉丸も鞠を握るか秋のぱら。
それでは風流の方は、昨日『笈日記』にあった、その「秋もはや」の巻を読んでいこうと思う。発句は昨日書いたので脇から。
秋もはやばらつく雨に月の形
下葉色づく菊の結ひ添 其柳
「結ひ添」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「結添」の解説」に、
「〘他ハ下二〙 (室町時代頃からはヤ行にも活用した) 結び添える。添えて結う。
※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一一月二二日「そらいたる櫛ども、白き物、いみじくつまづまをゆひそへたり」
とある。ここでは菊を支柱に結わくことか。重陽も過ぎて、菊も下葉から枯れ始め、そろそろ季節も終わる。
第三。
下葉色づく菊の結ひ添
こつそりと独りの当に蕎麦操て 支考
「操(くり)て」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「繰」の解説」に、
「① 糸など、ひも状のものを物に巻きつけて少しずつ引き出す。また、それを巻きつける。たぐる。
※万葉(8C後)七・一三四六「をみなへし咲き沢の辺の真葛原いつかも絡(くり)て我が衣(きぬ)に着む」
※神楽歌(9C後)早歌「〈本〉深山の小葛(こつづら)〈末〉久礼(クレ)久礼(クレ)小葛」
② 綿繰り車にかけて木綿(きわた)の種を取り去る。
※浮世草子・好色二代男(1684)一「世をわたる業とて、木綿(きはた)をくり習ひ」
③ 順々に送りやる。また、つまぐる。〔日葡辞書(1603‐04)〕
④ 謡曲で上音からクリ節(ぶし)で高音にうたう。
※申楽談儀(1430)曲舞の音曲「ただ甲の物一つにてやがてくるは悪(わろ)き也」
⑤ 浄瑠璃節の節章用語の一つ。ある音程から一段上の音程へ上げて語る。高潮場面に用いる。
⑥ 順々に数えてゆく。
⑦ 書籍などのページをめくる。また、めくって必要なことがらを探し出す。
※一言芳談(1297‐1350頃)上「如形(かたのごとく)往生要集の文字よみ〈略〉念仏往生のたのもしき様など、時々はくり見るべき也」
※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉一「筆を啣へて忙し気に帳簿を繰るもの」
⑧ 演劇で、俳優が頭の中で台詞(せりふ)の順序をつけ、その順に述べてゆく。」
とある。この場合は③の「つまぐる」で蕎麦を盛り付ける時の様か。前句の「結」に呼応するもので、支考はこうした類義語で付けることが多い。
こっそりと自分用の蕎麦を手でつまんで盛り、終わりかかった菊を名残惜しみながら食べる。
「当」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「当・宛」の解説」に、
「① 物事を行なうときの、目的や見込み。目あて。心づもり。「あてが違う」「あてが外れる」など。
※山家集(12C後)上「五月雨はゆくべき道のあてもなし小笹が原も埿(うき)にながれて」
② 頼みになるもの。たより。→あてにする。
※虎寛本狂言・米市(室町末‐近世初)「有様(ありやう)は私もこなたをあてに致いて参りましたが」
③ 借金をするとき、それが返せない場合、貸し手が自由に処分してよいとする保証の物。抵当。
※史記抄(1477)一二「椹質はあての事ぞ」
④ 物を打ったり切ったりなどする時、下に置く台。
※書紀(720)雄略一三年九月(前田本訓)「石を以て質(アテ)と為(し)」
⑤ 補強したり保護したりするためにあてがうもの。「肩当て」「胸当て」など熟して用いることが多い。
⑥ こぶしで、相手の急所を突くこと。当て身。
※浄瑠璃・本朝二十四孝(1766)四「ひらりと付け入る勝頼を、さしつたりと真の当(アテ)」
⑦ (宛) 文書や手紙などの差し出し先。
※近世紀聞(1875‐81)〈染崎延房〉四「御憐察遊さるるやう歎願なせる趣きを右小弁家の宛(アテ)にして」
⑧ 食事のおかずをいう、演劇社会などの隠語。
※浮世草子・当世芝居気質(1777)一「ホヲけふは何とおもふてじゃ大(やっかい)な菜(アテ)(〈注〉さい)ぢゃな」
⑨ 酒のさかな。つまみ。
⑩ 馬術で、馬の心を動かしたり、驚かすもの。あてもの。
⑪ 木材の一部分だけが、反りやすく、抗力の弱くなったもの。また、質の悪い木材。〔日本建築辞彙(1906)〕
⑫ 檜(ひのき)で作った火縄。〔随筆・甲子夜話(1821‐41)〕」
の⑨の意味。
四句目。
こつそりと独りの当に蕎麦操て
手間隙いれし屏風出来たり 洒堂
自作の屏風が完成したので、一人で完成祝いとばかりに酒を飲み、蕎麦を肴にする。
五句目。
手間隙いれし屏風出来たり
朝寝する内に使のつどひ居る 游刀
納期が明日というので夜遅くまで作業して、やっとのことで仕上げたのであろう。そのまま寝てしまい、気が付くと屏風を引き取りに来た使いの者が集まっている。
六句目。
朝寝する内に使のつどひ居る
縄切ほどく炭の俵口 惟然
使いの者が寒そうなので、火鉢を用意しようと炭俵の口を切る。
初裏。七句目。
縄切ほどく炭の俵口
此際は鰤にてあへる市のもの 車庸
「あへる」は「饗る」でご馳走することをいう。冬は鰤の季節で、鰤を豪快に捌いて市の者にふるまう。
八句目。
此際は鰤にてあへる市のもの
逢坂暮し夜の人音 芭蕉
大阪の町は夜も賑やかで、市の者が鰤で宴会をやっている声がする。この興行をやっている時にも聞えてきたか。
九句目。
逢坂暮し夜の人音
美しき尼のなまりの伊勢らしく 洒堂
逢坂暮らしというと、逢坂山の蝉丸が思い浮かぶ。伊勢からやって来た美しい尼も通って行くことだろう。
十句目。
美しき尼のなまりの伊勢らしく
住ゐに過る湯どの雪隠 車庸
伊勢の美人尼は粗末な草庵に住んでも、立派な風呂とトイレを作らせる。
十一句目。
住ゐに過る湯どの雪隠
木の下で直に木練を振まはれ 其柳
木練(こねり)は木練柿のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木練柿」の解説」に、
「① 木になったままで熟し、あまくなる柿の類。木練りの柿。木練り。《季・秋》
※実隆公記‐永正七年(1510)九月一二日「木練柿一折同進上」
② 「ごしょがき(御所柿)」の異名。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」
とある。
コトバンクの「世界大百科事典内の木練の言及」に、
「木になったまま完熟させた果実は,熟柿,木ざわし,木練(こねり)などと呼び,しばしば宴会の献立に用いられた。室町期の故実書には,不用意に食べると中から汁がとび出すから注意せよといった心得が書かれている。」
とあるところから宴会などで饗せられたもので、贅沢なものだったようだ。それを木の下で食べるというのは、バストイレ付草庵のようなものだ。
十二句目。
木の下で直に木練を振まはれ
早稲も晩稲もよい米の性 游刀
『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、
「原本には下七を『みな米になる』とし、これを見せ消ちにして右脇に『米になりけり』と書きこみ、また前句の右脇へ訂正して『よい米の精性』と書き入れ、さらに『精性』の『精』を見せ消ちにする。」
とある。「精」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「精」の解説」に、
「① しらげること。また、そのもの。よくついた米。〔荘子‐人間世〕
② (形動) 詳しいこと。細かくゆきわたっていること。念入りに手を加えること。また、そのさま。
※日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉四「記事の巧みなるは想像の密なるにあり、論文の精なるは智の洽きにあり」 〔春秋公羊伝‐荘公一〇年〕
③ (形動) まじりけのない純粋なもの。えりすぐったもの。最もすぐれたもの。また、そのさま。
※玉塵抄(1563)九「吾が車は、牛がはやうて、牛をあつかう御者が精(セイ)な者ぞ。さるほどにはやいことぢゃと云たぞ」 〔書経‐大禹謨〕
④ (形動) 心をうちこむこと。力をつくしてはげむこと。努力すること。また、そのさま。
※義経記(室町中か)三「桜本にて学問する程に、せいは月日の重なるに随ひて、人に勝れてはかばかし」
⑤ 生命の根本の力。身にそなわっている力。元気。精力。精気。エネルギー。せ。
※日葡辞書(1603‐04)「Xeiuo(セイヲ) ツカラス」
※狂言記・聾座頭(1700)「扨も扨も、つんぼに物いへば、せいも心もつきることじゃ」 〔易経‐繋辞下〕
⑥ こころ。たましい。
※ぎやどぺかどる(1599)上「万の物に体と精と態と三つの事備りたり」 〔宋玉‐神女賦〕
⑦ ある物に宿る魂。多く、その魂が別の姿形になって現われた場合にいう。性。
※続日本紀‐天平三年(731)一二月乙未「謹撿二符瑞図一曰、神馬者、河之精也」 〔宋書‐符瑞志下〕
⑧ 精液。
※台記‐久安三年(1147)正月一六日「彼朝臣漏レ精、足動感レ情、先々常有二如レ此之事一、於レ此道不レ耻于往古之人也」
とある。①の意味は今でも「精米」という言葉に残っている。
早稲も晩稲も搗けば同じように米になる、という意図だったのだろう。この頃の早稲は匂いがあるというので、それを好む人と好まない人がいた。今でいう香り米だった。
渋柿も干せば甘柿になるように、木練も普通の渋柿も甘くて美味しいのがその「性」ということになる。同様に早稲も晩稲も精米すれば同じ米の「性」だ。
木の下で直に木練を振まはれ
早稲も晩稲もみな米になる
が元の形で、芭蕉が後から手直ししたのかもしれない。精米すれば一緒だという意味を加えようとして、精と性の駄洒落に気付いたのだろう。
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