異世界というのは結局妄想の世界で、多くの人の願望の反映される世界だからね。その異世界が様々な種族の共存する世界だというのは、結局みんなそういう社会を願っているんだと思うよ。
種族だけでなく、様々な性的嗜好を持った人がそこにいるしね。そのなかで勇者はただ覇権主義とだけ戦ってほしいんだ。
今読んでいるのは米織さんの『捨てられ聖女の異世界ごはん旅』で、やはりグルメ物はいいね。料理の描写が多いから料理の好きな人向けかな。
前に「すかすか」の作者の枯野瑛さんが、多種族の共存する世界のイメージはスターウォーズから来ているようなことを言っていたと思った。西洋人も基本的にそういう世界が好きなんだと思うし、こういうのは人類共通なんじゃないかな。
尽きることない排除なき共同体の夢。ヘテロトピア(混在郷)。
昔ロックは宗教だと言ってた人がいたが、異世界も宗教なのかもしれない。
それでは「三味線に」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
鐘木の恋を見習ふてやる
松坂もこえぬ踊の汗くさき 素行
伊勢踊りであろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、
「伊勢参宮信仰に伴って近世初頭に流行した風流踊(ふりゅうおどり)。庶民の伊勢参宮流行の歴史は934年(承平4)の記録までさかのぼるが、1614年(慶長19)に大神宮が野上山に飛び移ったという流言がおこって、にわかに伊勢踊が諸国に流行した。この爆発的流行に翌年には禁令も出された。1635年(寛永12)に尾州徳川家から将軍家光の上覧に供した伊勢踊は、裏紅の小袖(こそで)に、金紗(きんしゃ)入りの緋縮緬(ひぢりめん)の縄帯(なわおび)、晒(さらし)の鉢巻姿の、日の丸を描いた銀地扇を持った集団舞踊で、「これはどこの踊 松坂越えて 伊勢踊」などの歌詞が歌われている。1650年(慶安3)にお陰参りが始まるまでが、伊勢の神を国々に宿次(しゅくつぎ)に送る神送りの踊りとしての伊勢踊の流行期であった。現在は伊豆諸島の新島(にいじま)や愛媛県八幡浜(やわたはま)市などに残存している。[西角井正大]」
とある。
二十六句目。
松坂もこえぬ踊の汗くさき
かほはほこりに宵の間の月 素民
踊っていると汗臭くなり、顔も埃まみれになる。
二十七句目。
かほはほこりに宵の間の月
盆北に吹直したる浦の波 去来
盆北は秋風のこと。夕暮れで風向きが海の方から山の方に変わる。
二十八句目。
盆北に吹直したる浦の波
愛宕の坊でちよつと盃 先放
愛宕山や愛宕神社は全国至る所にあるので、特にどこのということでもないのだろう。涼しい風が吹いたので涼みがてらに一杯飲む。
二十九句目。
愛宕の坊でちよつと盃
虱かと何やらかゆき旅姿 風叩
昔の夏場の旅に虱はつきものだった。旅体に転じる。
三十句目。
虱かと何やらかゆき旅姿
あたまに隙のとれる若イ衆 素行
髪型を整えるのに時間がかかるということか。若衆ではなく「若イ衆」だから普通に若者の意味。
二裏。
三十一句目。
あたまに隙のとれる若イ衆
かんがりと取ひろげたる窓明り 支考
「かんがり」は「がんがり」のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「がんがり」の解説」に、
「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)
① 物の隙間のあるさま、あいているさまを表わす語。
※雑俳・すがたなぞ(1703)「口をがんがりがんがり・にくみやった兄に七分の遺言状」
② うす明るいさま、また、ほのぼのと空が明るくなるさまを表わす語。
※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)六「夜ははやがんがりと明にけり」
③ ものがはっきりみえるさまを表わす語。
※俳諧・毛吹草(1638)六「がんがりとはねまでみゆる月夜哉〈一正〉」
とある。
髪を整える時にはっきり見えるようにと窓を開ける。これも其場也。
三十二句目。
かんがりと取ひろげたる窓明り
まだほつこりとならぬ二月 去来
「ほっこり」は暖かいということ。二月ではまだなかなか暖かくならない。
三十三句目。
まだほつこりとならぬ二月
西腰はつぼんだ迄に地主の花 卯七
西腰はよくわからない。植物か。地主(じしゅ)は地主神社で、その土地の守り神。
三十四句目。
西腰はつぼんだ迄に地主の花
かねかり達の春はうかるる 風叩
カリガネは冬鳥でそろそろ北へ帰って行く頃か。
三十五句目。
かねかり達の春はうかるる
うちつづき治る世こそめでたけれ 素民
春三句続いて、春は五句まで続けることができるが、ここでは祝言に転じる。
挙句。
うちつづき治る世こそめでたけれ
ことしで丁ど長百になる 先放
長百はよくわからない。百歳のことか。
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