思うに、平和にするには「平和のために戦え」という矛盾をいかに回避するかが大事なんだと思う。同じように民主化するにも「民主化のための意思統一」が結局独裁を生む。
思うに西洋のプラトン以来の「哲人政治」という幻想が一番いけないのだと思う。哲学に絶対はないし、むしろ「無知の知」を知り、理性の限界を知るのが哲学なのだから、為政者に必要なのは哲学の無力を知る謙虚さにほかならない。理屈では割り切れないのがこの世の中というもので、理屈が支配したらこの世界は終りだ。
まあとにかく、この世界を知の力で支配できるなんて思わないことが大事だ。力も知も用いず、無為にまかせたとき、多分世界は一つになるのだろう。それを「一つ」というかどうかは問題だが。無数の多様なものが混然として一つという状態と言った方がいいのだろう。
ジョン・レノンもlet it beと言ってたし、基本的にこの考え方がimagineを生んだのだと思う。力も知も必要ない。風(air)があればいい。
それでは「西華集」の続き。
安芸
竹原
蓮池は吹ぬに風の薫かな 一雨
箸も一度に切麦の音 時習
あたまはるまねに座頭のにつとして 支考
雨の降日は淋しかりける 孤舟
磯ちかき野飼の牛の十五六 雲鈴
宿かりかねし旅の御僧 梅睡
あらし立今宵の月は細々と 一故
粟苅れても鶉啼なり 如柳
第一 不易の真也吹ぬに風のと轉倒したる所よりミれは
かならず蓮池の薫のミならんやかの琴上の南風な
るべし
第二 其場也箸も一度にといひよセて切麦の凉しき音を
あつめたる廣き寺かたのありさまなるべし。
第三 其人の一轉也給仕の者の手もとちかく末座はかな
らず按摩の座頭ならんされは此下の五もしにいた
りて一朝一夕の工夫にあらす百錬の後こゝにいた
る句に雑話をはなるゝ事誠にかたしとうけたまハ
りしか
発句、
蓮池は吹ぬに風の薫かな 一雨
の句は、蓮の咲いている池に風が吹いてないのに風の薫りがする、という意味で、風がなくても自ずと蓮の香が漂ってくるという所に、支考は天下泰平の風だと解釈する。
琴上の南風は『十八史略』に、
舜彈五絃之琴、歌南風之詩、而天下治。詩曰、
南風之薫兮 可以解吾民之慍兮
南風之時兮 可以阜吾民之財兮
とあるという。
まあ、風流の基本は天下の太平をよろこび、笑い合うことにあるわけで、そうした和を感じさせる挨拶は基本的に風雅の誠に適うもので「不易の真」ということになる。
一雨は『西華集』坤巻に、
一日は心にも似よ白牡丹 一雨
庵の月人に見せけり鉢坊主 同
の句がある。
脇。
蓮池は吹ぬに風の薫かな
箸も一度に切麦の音 時習
切り麦はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切麦」の解説」に、
「〘名〙 (「麦」は麺(めん)の意) 小麦粉を練り、うどんより細く切った食品。多くは、夏季、ゆでて水に冷やして食べる。ひやむぎ。切麺。《季・夏》
※多聞院日記‐永正三年(1506)五月二六日「今日順次沙二汰之一了〈略〉後段〈うとん・きりむき・山のいも・松茸〉」
とある。
夏の暑い時に風もないということで、一気に冷や麦をすする。
切麦や切蕎麦は寺で出すことが多い。一斉に冷や麦をすする音に寺の広さというのは、実際の興行の場のことを言っているのだろう。
時習は『西華集』坤巻に、
岩藤のちる時水の濁りかな 時習
の句がある。
第三。
箸も一度に切麦の音
あたまはるまねに座頭のにつとして 支考
まあ、楽しく会食していると、誰かがボケてそれにパシッと突っ込みを入れるふりをしたりって昔からあったのだろう。
座頭はこの突込みの頭を張る場面が見えてはいないが、研ぎ澄まされた聴覚で何が起きているかはわかっていて、にっと笑う。
「につと」は今日の「にやっと」のニュアンスではなく「にこっと笑う」の意味。元禄七年の「鶯に」の巻三十二句目に、
参宮といへば盗みもゆるしけり
にっと朝日に迎ふよこ雲 芭蕉
の句がある。
お寺での会食に按摩の座頭がいるのはあるあるだったのかもしれない。切麦の場に按摩を取り合わせたところに、ふざけて頭を張る真似をしたところで座頭がにっと笑うという取り囃しというか、今でいうネタを即座に持って来れるのは、俳諧師としての修行の賜物であろう。日頃から日常の何か面白いことを探し求め、それをたくさん頭の中にストックしているからできる。
四句目。
あたまはるまねに座頭のにつとして
雨の降日は淋しかりける 孤舟
雨に降る日は淋しすぎるから、なんとか紛らわそうと笑わせようとする、ということだろう。四句目はこのようにさっと流すのは悪くない。支考の注は第三までしかない。
五句目。
雨の降日は淋しかりける
磯ちかき野飼の牛の十五六 雲鈴
雨の日の野飼いの牛は、たくさんいても淋しそうに見える。「磯ちかき」で水辺に転じる。
六句目。
磯ちかき野飼の牛の十五六
宿かりかねし旅の御僧 梅睡
磯の傍で家もなく雨宿りする所もない。前句をその旅の風景として旅体に転じる。
梅睡は『西華集』坤巻に、
あつき日や淵に童の長くらべ 梅睡
師走より咲て居りけり梅の花 同
の句がある
七句目。
宿かりかねし旅の御僧
あらし立今宵の月は細々と 一故
あらし立(たつ)は「風立ちぬ」と同様に嵐が吹いてくること。三日頃の月で細い月が心細くて吹き散りそうだ。宿のない旅僧の心境にに重なる。
一故は『西華集』坤巻に、
どちからも青田なるべし一庵 一故
の句がある。
八句目。
あらし立今宵の月は細々と
粟苅れても鶉啼なり 如柳
粟と鶉は和歌にも詠まれていて、
うづらなく粟つのはらのしのすすき
すきそやられぬ秋の夕ベは
藤原俊成(夫木抄)
などの歌がある。それを粟すらなくて鶉が鳴くからもっと淋しい、とする。
如柳は『西華集』坤巻に、
春雨や僧に馴たる猫の声 如柳
の句がある。
仝
山陰は哥の遠のく田植哉 春草
昼寐そろハぬ庵の凉風 釣舟
から笠に皆俳諧の名をかきて 支考
三日四日の月の宵の間 流水
雁啼て湖水を渡る鐘の声 似水
早稲も晩稲もあるゝ軍場 樗散
今の世は子共も酒をよく呑て 雲鈴
もたれかゝれはこかすから紙 高吹
第一 不易の行なり田植の比はそともにきはひてをのれ
か内々の淋しさ何となくいろ心なしてあしからず
第二 其場也観音坊の心よげに在家の蠅の中よりはと明
暮に遊人のたへざるかさるは小たかき所の庵と見
るべし
第三 其人也昼寝のうちに日和あかりて我は夕食の約束
ありかれは鏨よりの手つたひにとて一度に立さわ
ぎたるか傘のまぎれ殊にやかましかかる道楽は俳
諧師ならんと見られたるいと口おし
発句は、
山陰は哥の遠のく田植哉 春草
で、田植歌の目出度さを詠みながらも、山陰に来るとそれがそれが急に遠のいたかのように感じられる。
本意を踏まえつつもそれを少し外すあたりが「不易の行」になる。
春草は『西華集』坤巻に、
雨の脚しろきは入梅のあかり哉 春草
水仙を見て有がたき十夜かな 同
などの句がある。
脇。
山陰は哥の遠のく田植哉
昼寐そろハぬ庵の凉風 釣舟
前句の「遠のく」を山の中の庵に帰るためだということで治定する。田植歌の遠のくその場所を付けているので「其場也」になる。田植歌が聞こえる範囲だからそれほど山奥でもなく「小たかき所の庵」という。
「観音坊」というのは観音堂のあるところの坊ということか。「昼寝そろわぬ」というから昼のしているのは複数で、在家の僧も家では蠅が鬱陶しいからと、こういう所に集まってくるというのは、当時のあるあるだったのだろう。
第三。
昼寐そろハぬ庵の凉風
から笠に皆俳諧の名をかきて 支考
前句を俳諧興行で集まった連衆とする。昼寝して涼しくなったら興行開始という所だろう。前句に対して、その昼寝している人物を付けるので「其人也」になる。「殊にやかましかかる道楽は俳諧師ならん」というのは、要するに自虐ネタということか。
四句目。
から笠に皆俳諧の名をかきて
三日四日の月の宵の間 流水
「時節也」であろう。時候を付ける。俳諧興行と言えば月の宵であろう。
流水は『西華集』坤巻に、
悟ても中々淋し秋の暮 流水
の句がある。
五句目。
三日四日の月の宵の間
雁啼て湖水を渡る鐘の声 似水
月の宵なので雁に湖水に鐘の音と景物を重ねる。瀟湘八景の「平沙落雁」であろう。
似水は『西華集』坤巻に、
鷺たつや枯野の川の水車 似水
の句がある。
六句目。
雁啼て湖水を渡る鐘の声
早稲も晩稲もあるゝ軍場 樗散
これは「国破れて山河在り」の心で、戦場となって田んぼは滅茶苦茶にされてしまったが、湖水に降り立つ雁と御寺の鐘の音は昔のまんまだ。
樗散は『西華集』坤巻に、
鐘遠き弥生の花や夕飯後 樗散
の句がある。
七句目。
早稲も晩稲もあるゝ軍場
今の世は子共も酒をよく呑て 雲鈴
違え付けで、昔は軍ばかりで田んぼも荒れ果てて食う物にも困っていたが、今は酒造用に回す米もふんだんにあって、子供までもが酒を飲んでいる。
八句目。
今の世は子共も酒をよく呑て
もたれかゝれはこかすから紙 高吹
酔っ払っては唐紙(襖)を倒す。
高吹は『西華集』坤巻に、
独かと蚊帳をのぞく男かな 高吹
の句がある。
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