今日も雨。
東京のコロナ新規感染者数は二日続きで前日を上回った。その一方でワクチン接種率は10パーセント近くになってきている。(全国だと11パーセントを越えている。人口の多い所はどうしても遅い。)
すぐに第四波のような急拡大はないと思うが、注意するに越したことはない。
さて『梟日記』の旅は終わったが、途中でgoogleブックスに老鼠堂永機・其角堂機一校訂の『支考全集』(東京博文館蔵版、明治三十一年)があることを知って、表八句が読めるとわかったので、あらためてそれを読んでみようと思う。
発句・脇・第三には支考自身の解説がついている。
摂津
難波
卯の花を月夜と見たる山烏 諷竹
里は焙爐のにほふ門々 天垂
笠きたと笠きぬ人の連立て 支考
申酉前の風の取沙汰 芙雀
普請場の汁あたためるこけら屑 三惟
隣の猫か鼠追出す 伽香
道端は梢ばかりの初紅葉 舎羅
日のかたふきてさむきそば刈 沙長
第一 不易の眞也さればうのはなの白妙に月夜からすの
鳴まとひたらんしゐて新意をもとめねども欵の一
字にて一句をいひこなしたるあしからず俳諧ただ
新趣を求べからず
第二 時節也その比は蛙の目かり時ならん日長く夜みじ
かにいとねぶたくてよし
第三 其人也まづは馬買など見るべし一句のさまよのつ
ねのつくりにはあらず此後はかくのごとく始もな
く終もなきやうにあらんとおもふに此筋は誠に難
からん
発句、
卯の花を月夜と見たる山烏 諷竹
は紀貫之の「月の雪」を踏まえたものだろう。月の雪は、
衣手はさむくもあらねど月影を
たまらぬ秋の雪とこそ見れ
紀貫之(後撰集)
の歌にあるように、月の光で明るくなっている様を雪に喩えたもので、発句の方は夜の卯の花の咲く様をカラスが上から見下ろしたなら、貫之の月の雪かと思うであろう、という句だ。
月を雪に喩え、花を雪に喩える心は古典に依拠する不易体で、元禄六年の句に、
餞別
風流のまことを鳴やほととぎす 凉葉
旅のわらぢに卯の花の雪 芭蕉
の句もある。
従って支考の評も「不易の眞也」となる。特に新意を求めてはいない。「欵の一字」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「款・欵」の解説」に、
「① まごころ。まこと。誠実。〔荀子‐脩身〕
② 交わり。親しみ。よしみ。〔徐陵‐答李顒之書〕
③ よろこぶこと。
※三代実録‐貞観五年(863)八月一七日「安岑等自欵云」 〔宋孝武帝‐七夕詩〕」
とある。
諷竹は之道のこと。元禄三年に『あめ子』を編纂し、大阪蕉門の中心を担っていたが、後に珍碩が洒堂の名で大阪に乗り込んできて荒らされたので芭蕉に仲裁を求めた。それが元禄七年の芭蕉の最期の大阪への旅の理由のひとつでもあった。
その後も支考、去来らとともに芭蕉を看取ることになった。芭蕉の死後名前を諷竹に変えた。
脇、
卯の花を月夜と見たる山烏
里は焙爐のにほふ門々 天垂
は「時節也」とあるように、卯の花の季節に合った景を付けている。
焙爐はウィキペディアに、
「焙炉(ほいろ)とは、対象物を下から弱く加熱して乾燥させつつ人が対象物に手作業を加えられるように工夫された一種の作業台である。碾茶や手揉み茶の製造、養蚕における繭の乾燥などに用いられる。」
とある。ここではお茶の乾燥であろう。あちこちで収穫したばかりのお茶を焙爐で乾かす匂いがする。
支考の評の「蛙の目かり時」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蛙の目借時」の解説」に、
「(「目借」は蛙がめすを求める意の「妻狩(めか)る」から転じた語という) 春暖の、蛙が鳴きたてる頃の眠気をもよおす時期。蛙に目を借りられるためとする。かわずの目借時。かえるどき。目借時。《季・春》
※俳諧・千代見草(1692)上「夜道に凄き水の鳴音 乗る駒も眠る蛙るの目借時〈草角〉」
とある。日が長く夜が短いので、眠くなる頃の雰囲気が「焙爐のにほふ」に感じられる。
天垂は『西華集』坤巻に、
朝露をふり落したる鳴子哉 天垂
しほらしく馬も眠てきぬた哉 同
などの句がある。
第三。
里は焙爐のにほふ門々
笠きたと笠きぬ人の連立て 支考
「其人也」とあるように、焙爐のにほふ里に居そうな人物を付ける。支考のイメージでは馬買だったようだ。馬喰(ばくろう)のことだろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「馬喰」の解説」に、
「17世紀からは駄送・耕作などに使役することが庶民の間にも広まるにつれて、各地の産地や市場町・宿場町に博労(馬喰)が生まれ、城下町などには馬喰の集住する馬喰町や、旅商人としての馬喰の宿泊する馬喰宿などができた。馬喰の多くは藩から鑑札を与えられていた。」
馬喰は旅商人だから、笠を着た人は馬喰で、笠着ぬ人は地元の人だろうか。
支考は第三の付け方を其場、だとか其人とかである程度マニュアル化しようとしているのだろうか。その場、その人、で何か目新しいことを出すことに注意を払っていたようだ。
四句目。
笠きたと笠きぬ人の連立て
申酉前の風の取沙汰 芙雀
申酉は時刻で酉は日没になる。「取沙汰」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「取沙汰」の解説」に、
「〘名〙 (古くは「とりさた」)
① 取り扱って処理すること。とりさばき。とりまかない。処置。
※今鏡(1170)八「かの里や局などの女房など、かみしもの事ども、とりざたすべき由承りて仕うまつり」
② 世間でうわさをすること。また、そのうわさ。世上の評判。
※天草本平家(1592)三「セジャウノ torisata(トリサタ)デ ゴザッタ」
とある。昼下がりに笠着た人と笠着ぬ人が連れ立って、世間の噂話をしている。
芙雀は享保二年刊露川・燕説編『西国曲』に、
比は華秋の実を見ん頭陀袋 芙雀
の句がある。
五句目。
申酉前の風の取沙汰
普請場の汁あたためるこけら屑 三惟
普請場は工事現場のことで、「其場」であろう。廃材を燃やして焚き火をして汁を温めている。当然そこにいる人物も想像できるから「其場其人」であろう。
三惟も享保二年刊露川・燕説編『西国曲』に、
おもしろし千石とをしはるの雨 三惟
の句がある。
六句目。
普請場の汁あたためるこけら屑
隣の猫か鼠追出す 伽香
汁を温めている現場の隅では猫が鼠を追いかけている。
七句目。
隣の猫か鼠追出す
道端は梢ばかりの初紅葉 舎羅
前句の背景と季節を付ける。
舎羅は支考の『梟日記』の旅に同行する予定だったが、何かわけがあってか西宮までとなった。
芭蕉の最期の床にあって、支考と一緒に介護を務めた仲だった。
八句目。
道端は梢ばかりの初紅葉
日のかたふきてさむきそば刈 沙長
紅葉の美しい山里に、蕎麦刈を付ける。
沙長は『西華集』坤巻に、
夕部さぞ荒けむ月の豆畠 沙長
の句がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿