2021年6月28日月曜日

 ツールドフランスの事故のyoutube動画を見たが、日本では考えられないね。コロナ下であんなに密になっているし、それにあんな狭い道で観客との距離が近すぎて、間にガードマンがいないし。日本じゃ小犬が飛び出しただけでニュースになるのに。
 前回のリオデジャネイロオリンピックでもトップクラスの選手のオリンピック辞退があいついだ。表向きはジカ熱と治安への懸念だが、実際は過密スケジュールの中で金にならないオリンピックに出たくないというのが本音だとも言う。
 この事情はゴルフでも同じだとも言う。野球でも大リーガーは出ないし、日本でも罰ゲームだなんて声も聞こえてくる。
 まあ、勝てばヒーローだけど、負ければぼろ糞叩かれそうだし、罰ゲームというのもわからないでもない。興行的に成功しているプロスポーツは大体そんなもんなんだろうな。
 そんな中で出てくれる人は本当にありがたい。
 オリンピックを本当に必要としているのは、興行的に成功してないマイナースポーツで、こうしたスポーツのためにオリンピックがあると言ってもいい。野球・サッカー・テニス・ゴルフのようなメジャースポーツは削っても良いと思うが、客寄せに残した方が良いかもしれない。
 アニメの「灼熱カバディ」は面白かったけど、オリンピック種目になったら見てみたい。
 ラノベの方は「ひきこまり吸血姫の悶々」を五巻まで読み終わり、特に四巻は風刺が利いてていろいろ勇気をもらった。やはり言うべきことはばしっと言わないとね。
 あとアニメの方では「ゾンビランドサガ リベンジ」の最終回を見た。どうしてオリパラをああいうふうにできなかったのか、本当に残念だ。
 元はといえば復興五輪だったじゃないか。逆境に立ち向かうための五輪だったじゃないか。コロナ禍で世界中の傷ついた心に勇気を与える場に何でできなかったんだ。バラバラになった世界をもう一づ繋ぎ合わせるイベントに何でできなかったんだ。
 ただ、コロナ禍をチャンスとばかりに世界をひっくり返そうという奴らと、リスクを取りたがらない官僚や政治家によってボロボロにされてしまった。
 これは勝利の記念なんかではない。これからもコロナと戦い続け、最後には勝利するために、そのために心を一つにする本当の意味での「復興五輪」に何でできなかったんだ。
 いっそのこと次のオリンピックからスポーツ振興のためのチャリティーイベントにできないだろうか。スポンサーに依存するのではなく、みんなで金を出し合って行うオリンピックにできれば、ライブ・エイドのように盛り上がるのではないか。

 さて、「西華集」で長崎に来たところで、去来・卯七編『渡鳥集』にある素行亭興行の歌仙を読んでみようと思う。

 発句。

   素行亭興行
 三味線に秋まだ若し凉み舟    支考

 長崎の素行亭での興行。元禄十一年の支考の『梟日記』の旅で長崎に来た時、たまたま去来も先祖の墓が長崎にあるということでお盆に帰省していた。その時の興行になる。
 『梟日記』によれば、長崎の卯七の十里亭に着いたのが旧暦七月九日で、翌十日には素行にいざなわれて清水寺に詣で、丸山花街の遊女よりも禿の少女の方に心を留め、禿賦を記している。
 去来が長崎に着いたのは翌十一日で、十七日まで支考と去来という芭蕉の高弟二人が長崎にいたことになる。
 この興行もその間に行われたものと思われる。
 三味線に涼み舟を詠んでいるところから、清水寺に行き丸山花街を通った時の記憶のまだそう遠くないうちであろう。秋もまだ始まったばかりで残暑の厳しい中、川には納涼船が浮かび、どこからともなく三味線の音が聞こえてくる。
 脇。

   三味線に秋まだ若し凉み舟
 西瓜西瓜の橋の夕月       素行

 舟に乗っている人は皆西瓜を食っていて、夕月のかかる橋をくぐっていく。
 第三。

   西瓜西瓜の橋の夕月
 よい宿をさがせば庭に萩咲て   卯七

 発句の水辺の景色から陸を行く旅人に転じる。宿場町を良い宿を探して歩いていけば、萩の咲く庭があり、橋のたもとでは夕月を見ながら西瓜を食べている人がたくさんいる。
 四句目。

   よい宿をさがせば庭に萩咲て
 むすこの将棋肝のつぶるる    去来

 宿の縁側で庭の萩を見ながら息子と将棋を指す。萩に見とれていたら息子の思いもしない一手にはっとする。
 五句目。

   むすこの将棋肝のつぶるる
 昼食はこちで喰ふたる呼使    素行

 揚屋の情景であろう。遊女の方から呼び出しに来る呼使(よびづかひ)も、いまは将棋をして待っている客と一緒に飯を食っている。
 六句目。

   昼食はこちで喰ふたる呼使
 雨があがればちと用もあり    風叩

 昼食をこちらで食べていた呼使も、雨が上がれば「ちと用が」と言って出て行く。何の用かというと、いわゆる「やぼ用」か。

初裏
 七句目。

   雨があがればちと用もあり
 肥後米は石で八十三匁      先放

 肥後の米相場は全国の米相場を占う指標とされていたようだ。元禄七年閏五月の「牛流す」の巻三十四句目に、

   吸物で座敷の客を立せたる
 肥後の相場を又聞てこい     芭蕉

の句がある。
 ウィキペディアの「米価」のところの「『日本史小百科「貨幣」』『近世後期における物価の動態』を基に作成した銀建による米価の変遷」によると、延宝の頃の米価は一石五十から八十匁だったが、元禄に入ってから米相場は高騰し、百匁を越えるようになったので、おそらくそれで許六の十団子も小粒になったのだろう。それからすると「八十三匁」は安い。
 ここでは米が安いので買い付けに行くということか。
 八句目。

   肥後米は石で八十三匁
 夕べの坊は面白イぼん      支考

 肥後の坊に泊まれば盆の上の料理も面白い。名物の水前寺海苔であろう。支考流の付け筋としては「時節也」であろう。
 『梟日記』の旅では熊本から八代、佐敷へ行き、そこから船で長崎入りしている。
 九句目。

   夕べの坊は面白イぼん
 俳諧で隠居の疝気さたもなし   素行

 俳諧興行の始まる前の夕食とする。俳諧と聞くと御隠居さんの疝気も止む。疝気はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「疝気」の解説」に、

 「〘名〙 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいう。疝病。疝気病。あたばら。せん。
  ※大山寺本曾我物語(南北朝頃)一「居易がせんき思ひ出でられたり」
  ※浄瑠璃・鑓の権三重帷子(1717)上「此方は腰をお引きなさるるが疝気でも起ったか」 〔史記‐倉公伝〕
  [補注]下腹部一帯の痛みを広く指すため、諸症状に適用され、俗間で男性特有の陰嚢・睾丸の病とされた。患部が特定できないため「疝気の虫」のせいにされたりもした。」

とある。
 十句目。

   俳諧で隠居の疝気さたもなし
 柿にブドウに秋は来にけり    卯七

 柿や葡萄は腹を冷やしそうだが、俳諧が薬になるから大丈夫。
 十一句目。

   柿にブドウに秋は来にけり
 みわたせば月は宝輪嵯峨の寺   去来

 柿と言えば落柿舎で嵯峨野。嵐山に智福山宝輪寺がある。渡月橋の向こう側にあり、虚空蔵宝輪寺とも言い、芭蕉の『嵯峨日記』の四月十九日の所に、

 「大井川前に流て、嵐山右ニ高く、松の尾里につづけり。虚空蔵に詣ル人往かひ多し。」

とある。
 十二句目。

   みわたせば月は宝輪嵯峨の寺
 うき世めぐりて跡はしら雲    素民

 嵯峨野宝輪寺を尋ねる水雲の僧として旅体に転じる。

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