天皇の政治利用は戦後七十五年に渡る平和の歴史をひっくり返すものだし、本来こうしたことに神経質だったはずの左翼連中が狂喜乱舞している。
まあ、喩えて言えば、みんなで動かしていたこっくりさんの駒を一人が強引に動かしてしまったということだ。これをやられると、たった一人の意見でも「国民の総意」になってしまう。
天皇が神だというのは記号論的に言えば「能記」が人間で「所記」が神というところだ。天皇は能記としてはただの人間なんだから、そりゃ毎日ニュースを見ながらいろいろなことを考えるだろうし、一人の人間としての意見を持っている。
ただ、それが神の言葉として発せられれば、その影響が果てしなく大きい。だから私人としての意見ならともかく、宮内庁の公式な見解として発表されるべきではない。
一人の人間としてオリンピック開催中の感染拡大を心配するのは当然のことだ。オリンピックの最も強硬な推進派だってコロナに無関心なはずはない。ただ、それとアスリートの夢、国民の夢、そしてスポーツが世界を結ぶという世界の夢とを秤にかけて、ぎりぎりの開催を模索してきている。
今回の宮内庁の発言が容認できないのは、日本国民の総意をも、世界中のアスリートやスポーツファンの夢をも冒涜するものだからだ。
それでは「西華集」の続き。
佐敷
槇の戸や我にはあまる月の照 幻遊
朴の廣葉の風あれて飛 谷吹
村雨の笠着て渡る鳥もなし 支考
けふも山道明日も山みち 魏吽
いつかたもただ佛法の世となりて 露葉
生て居るほど人はめでたき 龍千
酒もあり肴はやがて海ちかく 全睡
あそぶ心のかはる五節供 随吟
第一 不易の眞也今宵此月のおもしろき三公にもかふま
じと槇の戸に知足し給へる老法師の心いとたふと
し
第二 時節也その比はただ何となく風のたちゐも俄かま
しくてさひさひとしてる暮秋の風情なるべし
第三 曲也ただ山かげの渡鳥也笠とは鶯の笠にたよりあ
れば也されば此五もしに百練の工夫あり村雨にと
いへば當前也降気色は前句に対してよからず村雨
のといへばただ笠といふべき枕ならんか
発句は、
槇の戸や我にはあまる月の照 幻遊
で、名月が自分には明るすぎるという謙虚な句だ。「不易の眞也」とあるように、特に目新しい面白みはない。
幻遊は『西華集』に、
秋や今隠者の髪の剃はじめ 幻遊
彌時雨そめはむかしぞ破衣 同
の句がある。
脇。
槇の戸や我にはあまる月の照
朴の廣葉の風あれて飛 谷吹
朴というと朴葉味噌でおなじみだが、あの大きな葉が風で飛んで行く。山の中の槇の戸の情景を付ける。朴落葉は近代では冬だが、ここでは秋の扱いになる。
谷吹は『西華集』に、
なら漬に酔ふ人もあり初桜 谷吹
我庵や落葉をあてに冬籠 同
の句がある。
第三。
朴の廣葉の風あれて飛
村雨の笠着て渡る鳥もなし 支考
前句の風に村雨を付けるが、「笠着て渡る鳥もなし」が特に何の景になっているわけでもないが、一句の取り囃しとして「曲也」になっている。まあ、暗に村雨に自分もまた笠がないということか。
四句目。
村雨の笠着て渡る鳥もなし
けふも山道明日も山みち 魏吽
前句を旅体として山道を付ける。
魏吽は『西華集』に、
夕がほの煤のはけめや繩の跡 魏吽
稲こきの出入むづかし繩簾 同
の句がある。
五句目。
けふも山道明日も山みち
いつかたもただ佛法の世となりて 露葉
巡礼の道として、「山道」を仏道に見立てる。
露葉は『西華集』に、
春雨や枕はなるる食の時 露葉
一葉ちる道淋しくて念仏かな 同
の句がある。
六句目。
いつかたもただ佛法の世となりて
生て居るほど人はめでたき 龍千
前句の「仏法の世」を周りがみんな仏さまになっとして、まだ生きている人は目出度きとする。
龍千は『西華集』に、
それぞれの名をいふて摘若菜哉 龍千
一里松までは新酒のにほひ哉 同
などの句がある。
七句目。
生て居るほど人はめでたき
酒もあり肴はやがて海ちかく 全睡
酒と魚があれば生きていてよかったと思うが、海辺で肴も生きが良ければもっと良い。
全睡は『西華集』に、
掛鯛の鹽のからさよ初わらひ 全睡
酔ざめや茶碗にうごく雲の峰 同
の句がある。
八句目。
酒もあり肴はやがて海ちかく
あそぶ心のかはる五節供 随吟
海の近くで迎える節句は、また今までにない肴で酒が飲める。
随吟は『西華集』に、
兀山の麓や岩に蔦紅葉 随吟
の句がある。
仝
桐の葉の跡先に置く扇かな 攬夷
酒に寐ころぶ宵の間の月 洞翠
若衆もはやらぬ城下秋暮て 支考
今年の稲も風に吹るる 野風
砂川に取ひろげたる日のひかり 路角
藥師の奉加旅フ人につく 雲鈴
饅頭も名所となりて花の春 成也
雁啼帰る残雪の山 水流
第一 流行の眞也初秋の扇に桐の葉をとりあはせて一度
に世をしまふといひなしたる流行の作意ありて扇
置といふ所は眞也此さかいは古風の人のまどふべ
き一場也
第二 時節也人也扇置といふ所には客人遊人のあしらひ
ありて何となく面白し宵の間とは初秋の余情也
第三 其場也前句の余情何とやらん此酒もおかしからず
とて脇さし指ながら寐ころびたるは此ほど都かへ
りの若ウ人なるべし我国本もしばしは心まどひし
つべし
発句は、
桐の葉の跡先に置く扇かな 攬夷
で、桐の葉の落ちる頃に扇もそろそろしまおうかなという頃になる。
桐の散る寂しさの本意は取らずに、普通の生活感を述べる所で「流行」になるのか。
それ以上に特に面白い要素もなく、「眞」ということになる。
攬夷は『西華集』に、
籔神やいくちもはれずにごり酒 攬夷
残りてや十日の菊のすまし顔 同
などの句がある。
脇。
桐の葉の跡先に置く扇かな
酒に寐ころぶ宵の間の月 洞翠
季節的に名月の比ということで、「時節也」になる。ただ月をだすのではなく「酒に寐ころぶ」という所に一人気ままに過ごす人物の姿が浮かぶ。
洞翠は『西華集』に、
酒盛や人を酔せて秋の暮 洞翠
の句がある。
三句目。
酒に寐ころぶ宵の間の月
若衆もはやらぬ城下秋暮て 支考
前句の一人っきりの月見から、若衆遊びもできない弱小藩の若侍とする。
四句目。
若衆もはやらぬ城下秋暮て
今年の稲も風に吹るる 野風
田舎の弱小藩の雰囲気で、城下をちょっと出れば田んぼが広がっている。
野風は『西華集』に、
落栗の流れて来たる筧哉 野風
の句がある。
五句目。
今年の稲も風に吹るる
砂川に取ひろげたる日のひかり 路角
実った稲に日が射し、近くの干上がった砂川は日の光に満ち溢れている。
路角は『西華集』に、
女とも若衆とも見し月の松 路角
の句がある。
六句目。
砂川に取ひいけたる日のひかり
藥師の奉加旅フ人につく 雲鈴
「旅フ」は「たび」の動詞化か。前句を巡礼の風景とする。
七句目。
藥師の奉加旅フ人につく
饅頭も名所となりて花の春 成也
旅人がたくさん訪れれば饅頭屋が並び、名物になる。
成也は『西華集』に、
五月雨や花の名残のかび畳 成也
瓜の香や渡し場ちかき馬の錫 洞
などの句がある。
八句目。
饅頭も名所となりて花の春
雁啼帰る残雪の山 水流
花の季節は、雁は北に帰って行き、山にはまだ雪が残る。
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