三年前の夏に日記に書いた『嵯峨日記』と『幻住庵記』をようやく多少書き直して、鈴呂屋書庫に『嵯峨日記─緩い隠棲生活─』としてアップしたので、よろしく。
それでは「西華集」の続き。
岡山
旅人よ宿は酒煎る隣あり 晩翠
行燈の傍に宵の五月雨 雲鹿
敲かせてをけは水鶏のいつも来て 支考
一里堤の松に栴檀 梅林
買に出る煤掃の日の古道具 舊白
御隠居様は今か食時 晩翠
有明の鐘もきこゆる川施餓鬼 梅林
風に吹るる稲の初華 舊白
第一 時宜也市中に行脚の僧をとどむるといへる題あり
と見はをのづからあるしの貧閑もしりぬべし
第二 其場也五月雨の行燈にさしむかひ居たりといへば
隣は富貴の蔵方にしてこなたは淋しき住ゐなりと
脇にてさだめたる句也
第三 曲也ただ五月雨の水鶏を哢してたたかせてをけば
といひなせるまで也
発句、
旅人よ宿は酒煎る隣あり 晩翠
「時宜也」というのは挨拶句ということだろう。その時に合った句という意味。旅の支考さんを迎え、隣では酒を煎っていると、もてなしの意思を告げる。
酒を煎るといっても煮詰めるわけではあるまい。熱燗にするという意味だろう。
芭蕉の『奥の細道』の旅の頃はこうした挨拶句が普通に交わされていたのだが、次第に発句に挨拶の意味が薄れていったか、「行脚の僧をとどむるといへる題あり」と思って読むようにとわざわざことわっている。
「貧閑」もしりぬべしとあるが、かつてはへりくだって立派な家でもそういうふうに詠むものだった。九年で俳諧も随分変わったものだ。
脇。
旅人よ宿は酒煎る隣あり
行燈の傍に宵の五月雨 雲鹿
これも興行の席のその場の状況を詠んだもので、宵の五月雨に行燈を灯す。
「隣は富貴の蔵方にしてこなたは淋しき住ゐなり」は挨拶と切り離して読む場合で、あるいは積極的に挨拶句をやめようとして、こういう解釈を広めたかったのかもしれない。
雲鹿は元禄十六年刊除風編の『番橙(ざぼん)集』に、
傘にくさきの花の落にけり 雲鹿
豆腐には此間遠し心太 同
の句がある。
第三。
行燈の傍に宵の五月雨
敲かせてをけは水鶏のいつも来て 支考
敲(たた)かせてというのは水鶏が戸を叩くような声を出すところから、戸を叩くような音がしても放っておけばいい、いつもの水鶏だとする。五月雨の宵に水鶏の声へと発展させることで「曲也」となる。
水鶏の声は戸を叩く音に似ているというので、古来和歌に詠まれている。「日本野鳥の会京都支部」のホームページには、
「ヒクイナが夜にけたたましく「キョッ、キョッ、キョキョキョキョ…」と鳴く声は、とても戸を叩く音には聞こえません。ところが、野鳥の声の録音の第一人者・松田道生さんが一晩中タイマー録音したところ、早朝に「コッ」とか「クッ」という声を1.5秒間隔で出し続けて鳴いていたそうです。昔の人はその声を「戸を叩く音」に例えていたわけです。」
とある。
四句目。
敲かせてをけは水鶏のいつも来て
一里堤の松に栴檀 梅林
水鶏の来るあたりの景色を付ける。一里続く堤防に松や栴檀が生えている。
梅林は露川・燕説編の『西国曲』の表六句に、
鶴に舞はれて若芝の家
永き日の何にくれたる隙もなし 梅林
の第三がある。
また、元禄十六年刊除風編の『番橙(ざぼん)集』に、
はるの日や雉子のかくるる麦のたけ 梅林
の句がある。
五句目。
一里堤の松に栴檀
買に出る煤掃の日の古道具 舊白
一里の堤防の道をたどる人物を付ける。煤掃きのための道具を買いに行く。
六句目。
買に出る煤掃の日の古道具
御隠居様は今か食時 晩翠
御隠居様が飯を食っている間に買い物に行く。
七句目。
御隠居様は今か食時
有明の鐘もきこゆる川施餓鬼 梅林
年寄りは朝起きるのが早く、まだ夜も明けぬ前に起きて、飯を食う頃には有明の鐘が聞こえ、折からお盆の川施餓鬼が営まれている。位付け。
八句目。
有明の鐘もきこゆる川施餓鬼
風に吹るる稲の初華 舊白
お盆の頃なので稲の花が咲く。
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