2021年6月23日水曜日

 怒りや恨みや嫉妬といった人間のネガティブな感情がこの世界を薄い煤の霧のように覆い、そこから生まれた化け物が人間のふりをしているということなのか。あのコーヒーのような飲み物の出典はひょっとしてTHE BACK HORNの「サニー」なのかな。ああ、これはあのアニメの話。
 まあ、現実のtwitterも煤まみれだが。そういうわけできょうもみんな、笑おう。
 今日は一九四五年の沖縄戦敗北の日で、過去の戦争の罪は平和の文化を世界に広めることで償っていこう。

 それでは「西華集」の続き。

豊前
   中津
 蚊遣火の影ほの白し嫁の顔    竿水
   祭の宵に笠のせむさく    萬草
 お屋敷は門ンの出入に鎰さけて  支考
   今は鱸のとれる最中     吐雲
 明月に扨おもしろい土手の松   萬草
   萩さきかかるかりの雪隠   竿水
 梅の木の藥を買に一はしり    吐雲
   ほろりと人をだます雨粒   雲鈴

 第一 不易の行也闇き方は蚊の喰ふにさそうゐうゐしき
    花嫁ならんとおもふに白き顔に蚊遣火にほのめき
    たるゆかしさえもいふまじ
 第二 其人也嫁入もちかきほどは歩あるきの笠もあへず
    あすの祭にいかでかふらさらんとかゐそひの姥な
    ど世話やきたるにこそ
 第三 其場也地也かかるお屋敷は気のつまりてさる方の
    さそひもしのびたらんとをしはかりたる世情也

 発句は、

 蚊遣火の影ほの白し嫁の顔    竿水

で、嫁の顔が蚊遣火にほの白く映し出されるというもの。
 蚊遣火はウィキペディアに、

 「蚊遣り火(かやりび)とは、よもぎの葉、カヤ(榧)の木、杉や松の青葉などを火にくべて、燻した煙で蚊を追い払う行為、あるいはそのために熾された火や煙である。季語などで蚊遣火と書く。」

とあり、近代の蚊取り線香のような弱々しい火ではなく、結構しっかりと燃えていて、煙かったのではないかと思う。夜は焚火に映る顔のようなものだったのだろう。不易の行になる。
 竿水は『西華集』に、

    別僧
 世は瓜に小角豆もまたぬ別哉   竿水

 これは六月九日に支考が中津を発ち、日田へ向かう時の句か。『梟日記』のこの日のところに、

 「この日仲津に歸る。その夜源七のなにがし、我に初眞瓜おくられければ、
 源の字はわすれじ今宵初眞瓜   支考」

と記されている。瓜は間に合ったが小角豆(ささげ)を待たずに旅立っていった。
 もう一句、

    悼妻
 喰ふて着る秋だに寒し苔の下   竿水

 「影ほの白し嫁の顔」の発句は実は悲しい句だったか。

 脇。

   蚊遣火の影ほの白し嫁の顔
 祭の宵に笠のせむさく      萬草

 発句を祭りに行く時の準備の情景にする。「せむさく」は穿鑿で、あれこれ言うということか。「姥など世話やきたる」とする。
 萬草は『西華集』に、

 幾春か鼾なれたる家桜      萬草
 南天の花も咲たり一夜鮓     同

などの句がある。

 第三。

   祭の宵に笠のせむさく
 お屋敷は門ンの出入に鎰さけて  支考

 前句の場所をお屋敷の門のあたりとするので、「其場也」となる。「地也」もその地ということか。鎰は鍵で、立派な屋敷なら門番の爺さんが持ってきて開けるのだろう。
 『猿蓑』の「市中は」の巻十二句目に、

   魚の骨しはぶる迄の老を見て
 待人入し小御門の鎰かぎ     去来

の句があるが、これは『源氏物語』の末摘花を尋ねる場面だという。

 四句目。

   お屋敷は門ンの出入に鎰さけて
 今は鱸のとれる最中       吐雲

 鱸(すずき)は秋が旬。時分也であろう。
 中国いう松江鱸魚はヤマノカミという別の魚だが、九州では獲れるという。
 萬草は『西華集』に、

 鶏頭の埒もあかざる盛かな    吐雲

の句がある。

 五句目。

   今は鱸のとれる最中
 明月に扨おもしろい土手の松   萬草

 秋に転じたということで名月に土手の松を付ける。

 六句目。

   明月に扨おもしろい土手の松
 萩さきかかるかりの雪隠     竿水

 萩の露を小便と掛けての雪隠はいかにもな展開。

 七句目。

   萩さきかかるかりの雪隠
 梅の木の藥を買に一はしり    吐雲

 「梅の木の薬」は梅木村の薬、和中散のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「和中散」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、時候あたりや風邪などにきくとして諸国に流布した薬。枇杷葉(びわよう)・桂枝・辰砂・木香・甘草などを調合したもの。本家は近江国栗太郡梅木村(滋賀県栗東市六地蔵)で、江戸では大森に三軒、店を並べて売っていたと伝える。〔咄本・狂歌咄(1672)〕」

とある。

 八句目。

   梅の木の藥を買に一はしり
 ほろりと人をだます雨粒     雲鈴

 雨粒が目の所に落ちると、ほろりと涙がこぼれたかのように見える。

   日田
 大名に笠きらひある暑さかな   朱拙
   草に百合さく山際の道    獨有
 我こころちいさい庵に目の付て  支考
   淋しい時は世の中に飽    芝角
 秋の來て牛房大根の月の影    愚信
   濱の鳥井に鶉をりをり    幽泉
 若衆の念者まつこそ袖の露    釣壺
   躍の聲を余所のおもひ寐   雲鈴

 第一 流行の草也此殿の人あまた供せられたるか祭のさ
    はがしきやうにはあらで岩手の山のいはでもあつ
    からんと見送りたるさまいとよし
 第二 其場也日うけの山際に百合の花の咲たらんを草の
    字くははりて至極の暑也句を作るの法なるべし百
    合咲とばかりいはば凉しきかたにもかよひぬべし
 第三 行脚の観相也大家高城もかつてうらやまず早百合
    の道のほそぼそとかくても住れけるよと目のつき
    たるは泉石烟霞のやまひいゆる時なからんと我心
    をとがめたる余情也
    打越の論は前の自他に翻轉すべし

 発句は、

 大名に笠きらひある暑さかな   朱拙

 大名行列というと円盤状の一文字笠のイメージがあるが、大名行列図を見ていると、笠を被っている人と被ってない人がいたり、笠を被らない行列が描かれているものもある。藩によって、身分によって、笠を被れない人がいたのだろうか。
 武家の堅苦しさの風刺も含まれていて、「きらひある」は連歌や俳諧で「去り嫌い」と使っていて、言葉の面白さもある。芭蕉なら喜びそうな句だ。支考はこれを「流行の草也」とする。
 季節のいい時は騒がしい行列も暑いと無言になる。「岩手の山のいはでも」は、

 おもへどもいはでの山に年を経て
     朽ちや果てなん谷の埋もれ木
              藤原顕輔(千載和歌集)

などの歌に詠まれている。岩手山は平泉から尿前の関に行く途中にあり、芭蕉も桃隣も近くを通っている。陸羽東線に岩出山駅がある。
 朱拙はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「坂本朱拙」の解説」に、

 「1653-1733 江戸時代前期-中期の俳人。
承応(じょうおう)2年生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)の人。医を業とした。中村西国に談林風をまなび,元禄(げんろく)8年来遊した広瀬惟然の影響で蕉風に転じた。九州蕉門の先駆者。編著に「梅桜」「けふの昔」など。享保(きょうほう)18年6月4日死去。81歳。通称は半山。別号に守拙,四方郎,四野人。」

とある。九州を代表する俳諧師で、他にも享保九年刊朱拙・有隣編『ばせをだらひ』がある。
 元禄十一年刊浪化編の『続有磯海』に、

 鶯や鼠ちり行閨の隙       朱拙

の句がある。

 脇。

   大名に笠きらひある暑さかな
 草に百合さく山際の道      獨有

 大名行列の進む道を付けるので「其場也」となる。
 「百合さく」だけだと涼しげに聞こえるのを、「草に百合さく」とすることで暑苦しく感じさせる。
 獨有は『西華集』坤巻に、

 五月雨や面かはりする山の晴   獨有

の句がある。、
 元禄十五年知方編『はつだより』の、

  岩角にそれてや立る女郎花  豊後日田 獨優

はあるいは獨有か。

 第三。

   草に百合さく山際の道
 我こころちいさい庵に目の付て  支考

 前句の道を行脚の道として、小さい庵を見つけては心惹かれる。
 「打越の論は前の自他に翻轉すべし」は打越(発句)に「大名」という人倫があり、この句にも「我」という人倫があるということで、ここでは自他を違えていれば問題ないとしている。

 四句目。

   我こころちいさい庵に目の付て
 淋しい時は世の中に飽      芝角

 前句を庵の住人の自称とする。世の中に飽きて小さな庵に隠棲し、淋しいと思う時には世の中に飽きた時のことを思い出して自分を勇気づける。
 芝角は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 草庵とおもへど年の炭大根    芝角
 魚鳥の面白かれや暖さ      同

などの句がある。

 五句目。

   淋しい時は世の中に飽
 秋の來て牛房大根の月の影    愚信

 名月というと芋名月だが、そんな世俗の風習は気にせず、牛蒡や大根でもいいではないか。
 愚信は『西華集』坤巻に、

 傘の日影もあつし百合の華    愚信
 摺小木で蠅を追けりとろろ汁   同

などの句がある。

 六句目。

   秋の來て牛房大根の月の影
 濱の鳥井に鶉をりをり      幽泉

 田舎の月見として、浜の神社に鶉の鳴くのを付ける。椎田の濱の宮(今の綱敷天満宮)だろうか。
 幽泉は『西華集』坤巻に、

 朧月出たちの膳の眠りかな    幽泉
 鴨の首まげて身をかく小春哉   同

の句がある。

 七句目。

   濱の鳥井に鶉をりをり
 若衆の念者まつこそ袖の露    釣壺

 若衆と念者の恋とする。
 釣壺は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 物置の櫃の先まで雪あかり    釣壺
 春風に雪のよごれや道の下    同

などの句がある。

 八句目。

   若衆の念者まつこそ袖の露
 躍の聲を余所のおもひ寐     雲鈴

 恋に悩み、愛しい人を待つ若衆には、盆踊りではしゃぐ人の声も余所事にしか思えない。

   仝
 秋ちかき杉のあちらや雲の峰   里仙
   露うちわたす膳のなでしこ  野紅
 傾城の所帯綺麗に持なして    支考
   朝観音にまいる朔日     紫道
 うす雪にむかひ近江のむら烏   雲鈴
   役者の旅の武士にまぎるる  沙遊
 宵月の包をはしる肴うり     呼丁
   早稲の穂なみの吹そろふ風  若芝

 第一 不易の眞也杉のあちらといへば秋やや近きこころ
    せられて青白のうつろひあしからず風情さらに寂
    寞たり
 第二 其場也世の中もややおもしろくなりてかかか膳立
    の凉しさは発句に残したる余情也四格のはたらき
    いかでかむなしからん
 第三 其人也膳になでしこの風情はよのつねの家の類に
    はあるまじ傾城の世帯ならんに客数寄もなどふつ
    つかならず傾城の二字は曲にして一轉也

 発句は、

 秋ちかき杉のあちらや雲の峰   里仙

 雲の峰に杉林を取り合わせることで夏でも涼しさを感じさせる。特に取り囃しもなく何の変哲もない句は「不易の眞也」となる。何か面白いネタで取り囃すと不易の行になる。そうなるとやはり「不易の眞也」は凡句を褒めて言う言い回しで、「流行の草也」が一番面白いということか。
 里仙は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 年頭は紙子の上の花紋紗     里仙
 さびしさの猶秋ふかし枯ぼたん  同

などの句がある。

 脇。

   秋ちかき杉のあちらや雲の峰
 露うちわたす膳のなでしこ    野紅

 発句を背景として撫子を添えたお膳を出す。風流も世に行き渡って、お膳にこうした一工夫をする習慣も広まっていったのだろう。
 野紅は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 牛馬によらしよらしとくれの市  野紅
 三日月にふすりのかかる蚊遣哉  同

などの句がある。

 第三。

   露うちわたす膳のなでしこ
 傾城の所帯綺麗に持なして    支考

 前句の撫子を添えたお膳を遊郭の料理とする。其人を付け、傾城は「曲」となる。

 四句目。

   傾城の所帯綺麗に持なして
 朝観音にまいる朔日       紫道

 朝観音はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「朝観音」の解説」に、

 「〘名〙 朝早く、観音に参詣すること。特に、観音の縁日にあたる毎月一八日の朝、参詣すること。
  ※俳諧・花千句(1675)上「朝観音とこころざす袖〈季吟〉 ほんのりと十八日の影うつり〈正立〉」

とある。この場合は朔日なので、特に縁日でもなさそうだ。朔日というのは何か遊女ならではの事情があるのか。
 紫道は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 芋の葉の軒につられて秋の風   紫道
 蝶々や風の吹日のたをやかさ   同

の句がある。

 五句目。

   朝観音にまいる朔日
 うす雪にむかひ近江のむら烏   雲鈴

 雪にカラスは目立つ。朝の景色に琵琶湖周辺の景色を付ける。

 六句目。

   うす雪にむかひ近江のむら烏
 役者の旅の武士にまぎるる    沙遊

 東海道と中山道は近江の草津で合流する。ここから先は人通りも多く、役者も武士もごちゃ混ぜになって通る。
 沙遊は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 分別もせずに海行つばめかな   砂遊
 鶯に笠きて見する日和かな    同

などの句がある。

 七句目。

   役者の旅の武士にまぎるる
 宵月の包をはしる肴うり     呼丁

 役者も武士も団体行動が多く、肴売にとっては上客であろう。酒の肴を入れた包みをもって夕暮れ時を走り回る。
 呼丁は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 から馬のかたむく影や麦の波   呼丁
 はつ月の片われ落す柳かな    同

などの句がある。

 八句目。

   宵月の包をはしる肴うり
 早稲の穂なみの吹そろふ風    若芝

 これは「其場也」であろう。肴売の走る場所を付ける。
 若芝は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、

 山や想ふ馬屋の猿も松錺     若芝
 在家やら寺やらあれは梨の花   同

などの句がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿