今日も雨が降って梅雨らしい天気が続くが、なぜか梅雨入り宣言が出ない。何を迷っているのだろうか。このまま梅雨が明けたりして。
それでは「梟日記」の続き。
9,玖珠への道
「十七日
今宵の月の凉しきに夜道かけんとて、玖珠のかたにたびだつ。みちすがらいとねぶたし。行さきもいさやしら月夜の果は、風さへ身にしみて、谷をわたり山を越るほどに、藪村とかいふ所にて、には鳥の聲を聞。
竹あれば鶴あり里は夏月 支考
朱拙曰、このあたり人里ありとは、かねてしれるだに、今宵はおぼろげにたづきなきこゝろもせられて、藪村の鷄の聲も人をおどろかすばかりにぞありける。
白雲の下に家あり夏の月 朱拙
道のかたはらに柴折しきて、例の食固をひらくに、鷄
ははらはらと啼て心ぼそし。
盗人の夜食やなつのみだれ鷄 雲鈴
代太郎とかいふなる麓のさとにいたりて、夜ははやほ
のしらみたるが、殘月のかげに郭公の二三聲ばかり啼
過たるを、たゞ有明の月ぞ殘れるとおのひあはせたる
哀ふかし。
都をばいつ六月のほとゝぎす」
十七日、夕暮れに玖珠に向けて旅立つ。月夜とはいえ夜の旅は異例のことのようにも思える。
籔村はよくわからない。日田市月出山地区に藪不動尊があるが、ウィキペディアに元禄十五年開眼とあるから、この頃にはまだなかった。この付近にかつて籔村があって、その名前を取って造られたか。
鶏の声がしたというが、夜明けが近かったのか。「たづきなき」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「たづき-な・し 【方便無し】
形容詞ク活用
活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}
頼りとするものがない。頼り所がない。「たづかなし」とも。
出典源氏物語 夕顔
「この人の、たづきなしと思ひたるを」
[訳] この人(=右近)が、(夕顔の死後)頼りとするものがないと思っていたのを。」
とある。人里があるのは知ってたけど、おぼろな記憶でおぼつかなかったところで鶏の声がしたので、朱拙はびっくりしたようだ。そこで一句。
白雲の下に家あり夏の月 朱拙
白雲は月の光の照らす雲のことだろう。
このあと道の傍らで食固(コリ)を開く。コリは行李のことか。柳や竹や藤で編んだ箱で、
柳小折片荷は涼し初真瓜 芭蕉
の「小折」と同じ。ここでは弁当行李であろう。
弁当を食う間も鶏がしきりに鳴いて心細くなる。そこで一句。
盗人の夜食やなつのみだれ鷄 雲鈴
まるで泥棒にでもなったかのような心細さだ。まあ村の人から見てもいかにも怪しい人たちだが。
代太郎という地名は今も玖珠町戸畑大太郎という地名が残っている。大分自動車道の天瀬高塚インターの辺りだ。日田バスの日田-森町線だと代太郎バス停だけでなく籔の不動入口というバス停も通る。このルートに近かったのだろう。
この辺りで夜は白んできて、残月にホトトギスの声がする。
ほととぎす鳴きつるかたを眺むれば
ただ有明の月ぞ残れる
藤原実定(千載集)
の歌を思い浮かべながら一句。
都をばいつ六月のほとゝぎす 支考
伊勢から来たけど、ここでいう都は昔でいう畿内のことか。
「十八日」
此朝投錐亭に落つきて、ゆあびして臥す。殊のほかに草臥侍りて、二日ばかりは物も覺侍らず。」
夜通し歩いて、朝には無事に玖珠の投錐亭に到着する。「ゆあび」というから水風呂(湯舟のある風呂)があったのだろう。お寺には多かったようだが。すっかり疲れてしまって十八日と十九日は何もせずに過ごしたようだ。
10,玖珠
「二十日
此日曲風にまねかる。このあるじはよのつね立華にあそび申されければ、此日のもうけもたゞにはあらで、
生華やなつの枯葉を軒まはり
此日箱人形といふものをまはし來りけるに、かゝる艶姿綺語のたぐひは、いたらぬくまもなき世のならはせかな。さるはみやこの戀しさも、たゞまのあたりなるかし。
人形のかほにたもとや葛の花」
曲風は華道の方もやっていて、なかなかのものだったようだ。立華はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「立華」の解説」に、
「生け花の一様式名。桃山時代に佗びの精神が強調された一方で,新興武士たちの豪華希求があり,佗び精神の衰退に乗じて,16世紀末に池坊初代専好が先駆となり,江戸時代初頭,17世紀に,2代専好によって大成された古典的様式の生け花。形式には立華,砂の物,胴束 (どうつか) の3類型があり,形態は球 (卵) 型の完全性が追究された。現在伝承される形態は半月 (半球) 型で 17世紀末の生花 (せいか) 追究の影響を受けたもの。2代専好の立華作品図は曼殊院,陽明文庫などに多数残っており,門下も大住院以信,安立坊周玉,河井道玄など多彩である。」
とある。
生華やなつの枯葉を軒まはり 支考
どのような生け花だったのかはよくわからない。夏の枯葉を用いたものもあったのか。
箱人形は箱回しのことか。コトバンクの「デジタル大辞泉「箱回し」の解説」に、
「2 操り人形の一種で、首に箱をつるし、その上で小さな人形を操るもの。また、その人。傀儡師(かいらいし)。」
とあり、「デジタル大辞泉「傀儡師」の解説」には、
「1 人形を使って諸国を回った漂泊芸人。特に江戸時代、首に人形の箱を掛け、その上で人形を操った門付け芸人をいう。傀儡(くぐつ)回し。人形つかい。《季 新年》」
とある。「箱人形といふものをまはし來りける」とあるから、傀儡子が回ってきたのだろう。猿の芸を「猿回し」と呼ぶように、箱の上で人形を使った芸をするから箱回しなのだろう。
こういう芸を見るにつけ、都会の様々な面白いことが思い出されて悲しくなる。
人形のかほにたもとや葛の花 支考
葛の花は玖珠の花に掛けているのだろう。葛(くず)は秋だが葛の花は夏になる。桃隣が「舞都遲登理」の旅で尿前の関の付近で詠んだ、
おそろしき谷を隠すか葛の花 桃隣
の句も夏だった。
「廿一日
可庭亭 對前山
前置におのへの松やくものみね
此日雷に逢ふ。おどろくもの五人、おどろかぬもの二人ばかり。朱拙まづおどろく。亭のあるじいねたり。西華坊その第五指にあたるものなり。晴て後是を論ずるに、おどろかぬ人の曰、我々も是が好にはあらずと、おどろく人の曰、好不好といふは、芝居の太鼓などにあるべし。世に誰か好物あらん。
青雲を見れば此世の夕すずみ 作者しらず
此日なにがし女の風雅の心ざしあるをよみして、紫那といふ名をつけ侍りて、
旅人の名はよくしりぬ夏の草」
可庭は玖珠の人だと思うがよくわからない。前山は切株山のことか。標高686メートルで玖珠町のシンボルと言われている。その後ろには万年山標高1140メートルがある。多分その辺を見ての一句だと思う。
前置におのへの松やくものみね 支考
切株山の向こうの万年山の方から雲が涌いてきて雲の峰になり、そのあと雷が鳴る。
「おどろくもの」は怖がる者と言った方がいいだろう。怖がるのは五人、怖がらないのが二人。朱拙は怖がり、亭主の可庭は布団を被って寝てしまったか。支考も雷が怖い方の一人だった。
怖くないという人に聞くと、別に雷が好きなわけではないと言う。好き嫌いは芝居の太鼓などで言うことで、雷は好きとか嫌いとかの問題ではないと「おどろく人の曰」と、これは支考自身であろう。
青雲を見れば此世の夕すずみ 作者しらず
雷が去って夕暮れの紺色の空が見えてくればまさにこの世の夕涼みだ。生きていてよかったと、これは雷を怖がる人の句だろう。
俳諧をやってみたいという女性がいたので支考が紫那という号を付けてあげた。紫の字は既に日田に紫道がいて、『西華集』の日田での表八句の中にもその名前がある。また惟然編の『二葉集』にも肥前園部の紫貞がいる。また『ばせをだらひ』には漆生の紫來や日前田代女の紫白がいるところから、九州では何か「紫」の字を使う流れがあるのかもしれない。
旅人の名はよくしりぬ夏の草 支考
旅人はその土地の風流の徒の名を知っているから、ということで紫の字を付けたということか。紫は植物の名前としては夏の草でもある。
『西華集』玖珠での表八句。
玖珠
跡むいて腰のす坂の早百合哉 投錐
日をくるはする夕立の雲 曲風
黄檗の掃除に鶴の出あるきて 支考
八百屋たよりに渋紙が來る 女鶴
分限者の面白さうに年の暮 雲鈴
今度の家は誰にあるやら 可庭
さらさらと月照わたす門の川 長洲
うれしき空になりし初秋 繁貞
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