日本の左翼の間でオリンピックそのものに反対する人がなぜ多いかというと、戦前の体育教育が軍事教練と結びついていたからだ。戦後になっても長いことスポーツ=軍隊というイメージが払しょくできなかった。そのため一九六四年のオリンピックの時にも、「オリンピックは本来各ポリスがこれだけ強い兵隊がいるんだぞという軍事デモストレーションの場だった」などとしたり顔でいう知識人がたくさんいた。(プラトンやアリストパネスの著作を読む限りでは、オリンピックは若者を軟弱にすると言われてたようだが。)
まあ、野球にその名残が一番残っているね。ジャイアンツは正しくは読売巨人軍だし、高校野球はいまだに兵隊頭でやっているし、旭日旗を四分の一にしたような旗を振って応援している。
そういうわけで今回のオリンピックを誘致した段階でも、安倍が戦争を起こそうとしているというデマを流すとともに、オリンピックもその侵略戦争のための準備だということにされていった。韓国では結構これが信じられていたりする。
そのため、結局今回の都議会選でも左翼はオリンピック阻止を頑なに掲げることとなった。それを都民がどう評価するか。
安倍さんの時代は良かったが今のガースーは根っからの下僕体質で自分の意思がなくて、主流派と反主流派の間でふらふらしている。党内でも石破だけでなく岸田までがマス護美に媚びだしたから、案外自民党の内紛でムー編集長の予言は当たるかもしれないが。
それでは「西華集」の続き。
肥前
長崎
秋たつや朔日汐の星ししみ 卯七
はらりとしたる松に早稲の香 素行
姥捨の哥には誰も袖ぬれて 支考
白髪ばかりの庵の酒盛 雲鈴
見違る隣の亀か嫁入前 一介
櫻の花で持った開帳 野青
鶯の日和になりて味をやる 楓里
米斗出す庭の春風 千流
第一 不易の眞也何に初秋のさやかにはあらねど星しし
みの冷々として明ぼのの海原見やりたる風情也
第二 其場也片岨の田へりにはらはら松の早稲の香にぞ
よき合たるたしかに初秋のけしきをさだめたり
第三 曲也朔日の汐には月を得がたく星しらみの打越又
さら也さればとて春秋無念なれば姥捨の哥に月を
籠たる句法也前句の山田を更科の田毎と見なした
る此時の一興也いづこにも月をぬくべきとてかく
いひたらんは前句のうつろひ詮なかるべし
発句は、
秋たつや朔日汐の星ししみ 卯七
だが、「星ししみ」は意味不明。googleブックスの老鼠堂永機・其角堂機一校訂『支考全集』(東京博文館蔵版、明治三十一年)には「星しゝみ」とあるが「星しらミ」か。「ゝ」と「ら」の草書体は似ている。
月のない朔日の明け方、星空の白んでくるその光がどこか冷え冷えとして見えることで秋を感じるというなら、「不易の眞」といえよう。
卯七は『続猿蓑』に、
京入や鳥羽の田植の帰る中 卯七
の句がある。また、元禄十年刊許六・李由編『韻塞』には、
爪紅の濡色動く清水哉 卯七
の句がある。
脇。
秋たつや朔日汐の星ししみ
はらりとしたる松に早稲の香 素行
明け方の海の景色に松と海に近い田んぼの早稲の香を付ける。「其場也」になる。
素行は宝永元年刊去来・卯七編の『渡鳥集』に、
秋風や浪をしのぎて雲に鳥 素行
きりぎりす鳴き落したる日景かな 同
などの句がある。
第三。
はらりとしたる松に早稲の香
姥捨の哥には誰も袖ぬれて 支考
秋の三句目だが打越(発句)に「星」という天象があるので月は出せない。そのため「姨捨」を出して月を匂わす。
四句目。
姥捨の哥には誰も袖ぬれて
白髪ばかりの庵の酒盛 雲鈴
姨捨の歌に涙するのは年寄りばかりだった。
五句目。
白髪ばかりの庵の酒盛
見違る隣の龜か嫁入前 一介
龜は唐突だが竈の間違いか。嫁が来るので竈を直して見違えるようだというならわかる。
一介は『西華集』に、
鉢巻のあやめにたつや女武者 一介
唐門や松葉こぼれて夕涼み 同
などの句がある。
六句目。
見違る隣の龜か嫁入前
櫻の花で持った開帳 野青
秘仏の開帳で桜の咲くお寺に着て、隣はとなる。
野青は『西華集』に、
我影をふまぬ合点に田植哉 野青
の句がある。
七句目。
櫻の花で持った開帳
鶯の日和になりて味をやる 楓里
「味をやる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「味をやる」の解説」に、
「① うまい事をする。うまくとりさばく。
※浮世草子・浮世親仁形気(1720)三「ずいぶんあぢをやって親の名まであげてくれよ」
② 気のきいた事をする。なまいきな事をする。
※評判記・満散利久佐(1656)大夫「座敷つき、あいさつ者にて、あぢをやりたがる」
とある。今日では「味なことをやる」という。前句の開帳のことをいう。
楓里は『西華集』に、
食時や馬草の中のきりぎりす 楓里
の句がある。
八句目。
鶯の日和になりて味をやる
米斗出す庭の春風 千流
味なことをやったのでご祝儀か。
千流は『西華集』に、
かまきりの水にたき込稲葉哉 千流
一所帯雪降り埋む庵かな 同
の句がある。
仝
燈籠や此松はよき釣所 鞍風
野つらの月に虫は鳴ぬか 逸雲
清酒の門も杉葉の秋は来て 支考
そこらの者の味噌つきによる 望郷
昼過はとろりと曇る天気相 盤谷
又手をかへてあそぶ兀山 北溟
鐘つきの鐘楼にのぼる鎰の音 雲鈴
洗あけたる膳の清ふき 六出
第一 不易の眞也是は盆の燈籠と見るべしその夜あるじ
のはたらかれたる庭前の気色也
第二 其場也此住ゐ淋しげに垣のあなたは野山につづき
て虫の声々もをのづからならんとおしはかりた
る当座也
第三 其場の一轉にして時節也ただ野中の出見世と見る
べし
一休和尚
極楽をいづこのほどとおもひしに
杉葉たてたる又六が門
発句は、
燈籠や此松はよき釣所 鞍風
で盆灯籠をつるのに良い松がある。一般的には灯籠は庭に設置する。支考の故郷の方では切子灯籠や折掛け灯籠を用いる。
長崎では『梟日記』の七月十五日の所に、
「今宵は法性院の欄干に月を賞す。この流にさしむかへる山は、この地の墓所とかや。松の木の間にかけわたしたる燈籠百千の數をしらず。」
とある。翌日は精霊流しでこうした燈籠が川を流れ、
「十六日
今宵又なにがし鞍風にいざなはれて、いざよひのかげに小船を浮たれば、かの數千の燈籠、そのひかり水面につらなる。」
となる。
鞍風は元禄七年刊泥足編の『其便』に、
無造作に小僧ねてゐる暑サ哉 鞍風
何魚の餌食とならん磯ざくら 同
の句がある。
脇。
燈籠や此松はよき釣所
野つらの月に虫は鳴ぬか 逸雲
「野つら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「野面」の解説」に、
「① 野原の表面。野原。
※合巻・正本製(1815‐31)初「のづらに育つやぶの梅」
② 切り出したままで加工してない自然の石のはだ。また、自然のままの石。野面石。
※浄瑠璃・曾我虎が磨(1711頃)上「露滑らかに苔蒸して、手がかりもなき野づらの石」
③ 「のづらづみ(野面積)」の略。
※浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)五「野づらの石垣麦藁塀要害うとしと申せ共」
とある。野原なら虫はいくらでも鳴いていそうだ。支考の注に「垣のあなたは」とあるから、家の中から燈籠を吊った松を眺めて、向こうの野原では虫が鳴いてるかな、という意味に解している。「其場也」になる。
死者を迎える燈籠という意味では、三途の川原が連想される。
逸雲は元禄十二年刊朱拙編『けふの昔』に、
小狐の眠りたらぬに時雨かな 逸雲
の句がある。
第三。
野つらの月に虫は鳴ぬか
清酒の門も杉葉の秋は来て 支考
この比杉玉があったかどうかはよくわからないが、杉の葉を飾って新酒を知らせる習慣はあったようだ。
支考が、
極楽をいづこのほどとおもひしに
杉葉たてたる又六が門
一休和尚
の歌を引いているように、古くは杉の葉を立てて飾ったいたようだ。
時節で月見のための野中の出見世とする。
四句目。
清酒の門も杉葉の秋は来て
そこらの者の味噌つきによる 望郷
「味噌つき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「味噌搗」の解説」に、
「〘名〙 味噌を製するため、味噌豆をつくこと。《季・冬》
※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「みそつきに傭ふ女有けり」
とある。晩秋の頃と見て味噌搗きを付ける。
五句目。
そこらの者の味噌つきによる
昼過はとろりと曇る天気相 盤谷
天候を付ける。
六句目。
昼過はとろりと曇る天気相
又手をかへてあそぶ兀山 北溟
昼前も遊んで、午後はまた手をかえて遊ぶ。
七句目。
又手をかへてあそぶ兀山
鐘つきの鐘楼にのぼる鎰の音 雲鈴
鐘撞が鐘楼にのぼるということは、入相の鐘を撞くところか。鐘が鳴れば日も暮れて御開きだが、また場所を変えてという、今でいう二次会というのもあったか。
八句目。
鐘つきの鐘楼にのぼる鎰の音
洗あけたる膳の清ふき 六出
「清ふき」はコトバンクの「デジタル大辞泉「清拭き」の解説」に、
「[名](スル)濡(ぬ)れた布でふいたあと、仕上げとしてさらに乾いた布でふくこと。」
とある。鐘の鳴る頃にはお膳も洗い終わり、片付けに入る。茶店などの情景か。
六出は『西華集』に、
梅が香の庵ありとは杉の奥 六出
川せみのふみ折蓮や枯はじめ 同
などの句がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿