2022年4月30日土曜日

 今日で旧暦の弥生も終わり。春も終わり。行く春や。

 それでは「啼々も」の巻の続き、挙句まで。

 二十五句目。

   折かけはらん月の文月
 唐秬の起さぬ家に吹なびき    孤屋

 前句の「折掛」を唐黍の折れ掛に掛ける。唐黍はこの時代はコウリャンのことで、高さが三メートルにもなる。今はモロコシと呼ぶようだが、モロコシは漢字で書くと「唐」だから、トウモロコシは唐唐と同語反復になる。
 二十六句目。

   唐秬の起さぬ家に吹なびき
 四手漕入ル水門の中       其角

 前句の唐黍が倒れたのを野分の風として、四手網で漁をする船も水門の中に避難する。
 二十七句目。

   四手漕入ル水門の中
 うち残す浪の浮洲の雪白し    野馬

 前句を水辺の景色として、波のかからない浮洲にだけ雪が残っている、とする。
 浮洲はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浮州」の解説」に、

 「① 泥や流木などが集まり、その上に植物が生えたりして、湖や沼などの水上に浮きただよい、州のように見えるもの。
  ② 海中の州などが水面に現われたもの。また、州が浮いているように見えるもの。
  ※光悦本謡曲・藤戸(1514頃)「あれに見えたるうきすの岩の、すこしこなたの水の深みに」

とある。
 「うきす」は雅語では鳰の浮巣など、巣の意味で用いる。
 二十八句目。

   うち残す浪の浮洲の雪白し
 葉すくなに成際目の松      孤屋

 際に「さかひ」とるびがあり、際目は「さかひめ」と読む。波打ち際の松は葉も少ない。
 松に雪は、

 み山には松の雪だにきえなくに
     宮こは野辺の若菜摘みけり
              よみ人しらず(古今集)
 年ふれど色もかはらぬ松か枝に
     かかれる雪を花とこそ見れ
              よみ人しらず(後撰集)

など、歌に詠まれている。
 二十九句目。

   葉すくなに成際目の松
 数珠引のあたり淋しく寺見えて  其角

 数珠引はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「数珠引」の解説」に、

 「数珠を作る職人。《七十一番歌合》には念珠引として現れ,《人倫訓蒙図彙》《今様職人尽百人一首》などでは〈数珠師〉ともいわれ,洛中洛外図にも数珠屋がみられる。そこに描かれた職人は僧形で,舞錐(まいぎり)を使っているが,その組織などはまだ明らかにされていない。【網野 善彦】」

とある。
 数珠の糸を通すのに松の葉を使っていたか。
 三十句目。

   数珠引のあたり淋しく寺見えて
 あき乗物のたて所かる      野馬

 「あき」は空きで空車のことだろう。寺の外の数珠引が住んでいる辺りは、寺に来る人の駕籠置き場になる。
 二裏、三十一句目。

   あき乗物のたて所かる
 被敷その夜を犬のとがむらん   孤屋

 被には「かつき」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「被・被衣」の解説」に、

 「① 頭に載せること。また、そのもの。
  ※玄々集(1045‐46)「かつきせむ袂は雨にいかがせしぬるるはさても思ひしれかし〈侍従内侍〉」
  ② きぬかずきのこと。公家や武家の婦女子が外出の際、顔を隠すために、頭から背に垂らしてかぶり、両手をあげて支えた単(ひとえ)の衣。かつぎ。衣被。のち、室町時代の中期から小袖被衣(こそでかずき)もでき近世に及んだ。近代は晴の日に帷子(かたびら)などを頭から被り、婚礼のときの嫁や、葬式のときの近親女性が用いた服装。かむりかたびら。」

とある。ここでは単に一重の布を下に敷いたということか。
 駕籠を勝手に止めていたら番犬に吠えられた。
 三十二句目。

   被敷その夜を犬のとがむらん
 うきふしさはる薮の切そぎ    其角

 切そぎは削ぎ切りとおなじで、薮の笹や竹の根元を斜めにカットして尖らせたものであろう。おそらく防犯用にそうしていたのだろう。
 番犬には吠えられ、切そぎを踏んで怪我をして、文字通り「憂き節」だ。

 今更になにおひいつらむ竹のこの
     うきふししげき世とはしらずや
              凡河内躬恒(古今集)
 世の中は憂き節しげし篠原や
     旅にしあれば妹夢に見ゆ
              藤原俊成(新古今集)

など、和歌で用いられる。
 三十三句目。

   うきふしさはる薮の切そぎ
 五月雨塗さす蔵に苫きせて    野馬

 苫はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苫」の解説」に、

 「① 菅(すげ)、茅(かや)などを菰(こも)のように編んだもの。
  ② 着物のことをいう。
  ※洒落本・美地の蛎殻(1779)「お直は番茶ちりめんに、嶋つむきの下着〈略〉何れもとばはよし」

とある。この場合は①で、塗ったばかりの蔵の壁が五月雨に濡れないように、苫で覆う。同時に蔵が泥棒に入られないように、辺りの竹薮を切そぎにする。
 「さつきあめ」は日文研の和歌データベースの検索でヒットしなかった。俳諧特有の言葉か。「さみだれ」の用例は多数ある。
 三十四句目。

   五月雨塗さす蔵に苫きせて
 海の夕も大津さびしき      孤屋

 前句を大津の琵琶湖岸に並ぶ海運倉庫とする。賑やかな港も雨の夕暮れは淋しい。
 五月雨の夕べは、

 五月雨の夕べの空にいがばかり
     寝にゆく鳥も羽しほるらむ
              藤原家隆(壬二集)

などの歌がある。
 三十五句目。

   海の夕も大津さびしき
 思ふほど物笑はまし花の隅    其角

 大津はかつて大津京のあった地で、『平家物語』で平忠度の歌とされている、

 さざなみや志賀の都は荒れにしを
     昔ながらの山桜かな
              よみ人しらず(千載集)

の歌もよく知られている。
 「笑はまし」は「ためらいの意志」という用法だろうか。花見には寂しげな場所だが、周りに人もいないし、心置きなく笑おうではないか、というところか。
 挙句。

   思ふほど物笑はまし花の隅
 つくし摘なる麦食の友      野馬

 吉野隠棲の西行法師であろう。

 さびしさに堪へたる人のまたもあれな
     庵ならべむ冬の山里
              西行法師(新古今集)

のような隣人がいて、ともに麦飯を食い、春になれば一緒に土筆を摘み花見をして、今日くらい笑おうではないか、という所で一巻は目出度く終わる。

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