今日は八重桜の開花を見た。染井吉野はだいぶ散ったが、まだかなり残っている木もある。山桜はまだ見頃。まだまだ春は終わらない。
今日撮影した桜。
日本共産党の志位委員長も自衛隊による国家防衛を認める判断を下した。ただ「個別的自衛権」と言っているから、米軍との集団的自衛権はまだ排除しているということなのかな。
綱領との整合性を考えるなら、基本的に民族自決権に基づく国家の防衛は必要なもので、本来なら民主主義革命ののちに革命憲法を制定して、一種の人民解放軍のようなものを組織するというのが筋なのだろう。ただ、それが間に合わないなら、違憲の自衛隊でも使う、という判断なのか。
米軍はもとより、集団防衛という考え方そのものを否定して、自衛隊だけで国を守るのというのなら、核の共有ではなく、独自の核開発が必要なのではないかと思うが。
まあ、とにかくあの人たちの論理はわかりにくいが、根本的な方針転換でないのは確かだろう。
あと、「享徳二年宗砌等何路百韻」を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。
それでは「兼好も」の巻の続き。
十三句目。
五百のかけを二度に取けり
綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ 嵐雪
綱ぬきは日本皮革産業連合会の「皮革用語辞典」に、
「江戸中期以降の関西にのみ普及した革製の巾着沓<きんちゃくくつ>を指す。革の甲側足首周囲に何カ所かの穴を開けてひも(綱縄)を通し、これを絞り締めるようにして履く。貫き緒を通すところから名前がつけられたとの説が有力である。」
とある。また、「広辞苑無料検索」には、
「牛の皮で作り、底に鉄の釘を打ったくつ。」
とあり、滑り止めのためのスパイクを付けたものもあったのだろう。雪の中を掛け取りに行く。
十四句目。
綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ
人のさわらぬ松黒む也 利牛
雪が降れば松の葉が白くなって、これを王朝時代の人は松の紅葉と呼んだが、この場合は葉は雪原の白に目立たなくなり、雪の積もらない枝や幹が黒々と見えるという意味か。湯山三吟の発句、
うす雪に木葉色こき山路哉 肖柏
を思わせる。
十五句目。
人のさわらぬ松黒む也
雑-役の鞍を下せば日がくれて 野坡
雑役(ざふやく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雑役」の解説」に、
「① 雑用。また、雑用をする者。
※三代格‐六・大同三年(808)二月五日「停レ給二事力一、支二用雑役一」
※源氏(1001‐14頃)行幸「下臈、童べなどの仕うまつりたらぬざうやくをも、たち走りやすく、惑ひ歩きつつ」
② 種々の労役。また特に、中世、荘園領主・在地領主が支配下の農民を使役したいろいろな夫役(ぶやく)をもいう。
※観智院本三宝絵(984)中「外国より来れる人あれば其の名をたづね注して雑役におほせてかりつかひ」
③ こまごまとした仕事。ちょっとした手入れ仕事。
※俳諧・父の終焉日記(1801)享和元年五月一一日「畠のざうやくなりとて、人々は皆、鎌提、塊槌もて門を出れば」
④ 「ぞうやくうま(雑役馬)」の略。
※詞林三知抄(1532‐55頃)上「駒情 こまのみやび ざうやくをこふる也」
⑤ ⇒ぞうやく(駅)
⑥ ⇒ざつえき(雑役)」
とある。ここでは④の意味か。雑役馬は「精選版 日本国語大辞典「雑役馬」の解説」に、
「〘名〙 乗用には使わないで、いろいろな雑用に使う牝馬(めすうま)。駄馬。雑役。
※仮名草子・智恵鑑(1660)八「ぞうやく馬を五百疋ばかりひきよせをき」
とある。
前句の松の黒むのを日が暮れたからとする。
十六句目。
雑-役の鞍を下せば日がくれて
飯の中なる芋をほる月 野坡
貧しい人は米に麦や雑考を焚き込んだりしたが、大根や芋を焚き込むこともあった。その焚き込んだ芋を箸で取り出して、これが雑役の芋名月。
十七句目。
飯の中なる芋をほる月
漸と雨降やみてあきの風 利牛
「芋をほる月」を単に芋名月のこととして季候を付けて流す。
「漸」は「やうやう」。雨上がりの秋風に夕食を食べていると、芋名月が昇る。
十八句目。
漸と雨降やみてあきの風
鶏-頭みては又鼾かく 野坡
雨上がりの涼しさにのんびり庭の鶏頭を眺めていると、眠くなる。
二表、十九句目。
鶏-頭みては又鼾かく
奉公のくるしき顔に墨ぬりて 嵐雪
居眠りをしていると顔に墨を塗られていじられる。徹夜の奉公が続いたりしたのかな。
二十句目。
奉公のくるしき顔に墨ぬりて
抱揚る子の小便をする 利牛
前句を奉公の苦しい合間をぬっての子供たちとの遊びとする。
ゲームで負けて墨を塗られ、抱き上げた小さな子はお漏らしをする。まあ、それもつかの間の安らぎか。
二十一句目。
抱揚る子の小便をする
くはたくはたと河内の荷物送り懸 野坡
河内の特産品というと綿がまず思い浮かぶ。また、河内というと河内国高安の里で、『伊勢物語』二十三段「筒井筒」という連想もある。
金持ちの商人の娘より、生まれ育った村の幼馴染を選んだ男は、平和な家庭を築いだのだろう。ビアンカ派。
二十二句目。
くはたくはたと河内の荷物送り懸
心みらるる箸のせんだく 嵐雪
洗濯はいまは「せんたく」と読むが、昔は「せんだく」と濁って読んでいた。
弁当の箸をきれいに洗って返すというのは、なかなかの心遣いだ。
二十三句目。
心みらるる箸のせんだく
婿が来て娘の世とはなりにけり 利牛
婿養子を入れて家督を譲ると、娘の代になる。箸を洗うのは婿養子の仕事だったりして。
二十四句目。
婿が来て娘の世とはなりにけり
ことしのくれは何も貰はぬ 野坡
娘婿に家督を譲って隠居の身になったら、今まで貰ってたお歳暮がかたっと来なくなった。近代でもよく、定年退職すると年賀状がまったく来なくなったなんてのいうのを聞く。
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